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もろ ひろし「空中楼閣(4)」(「クレーン38号」2017年 前橋文学伝習所)

 連載の4回目で、まだ続く。この回だけで120枚はある。1~3を入手していないので以前の枚数はわからないが、たぶんすでに400枚くらいあるのだろう。
 うつ病患者の話である。作者の亡夫人がそうであったようなので、彼女と、彼女との夫婦生活がモデルになっていると思われる。
 かなり特殊な手法を用いている。とはいえ、一見普通の大衆小説の手法である。すなわち、「視点」という考え方を採らない。基本的に客観描写である。登場人物たちを外面から描く。誰が見ているわけでもない、作者が見ている。そして、ヒロイン千恵子の心の内面だけは、完全に千恵子になりきって書く。
 大衆小説では登場人物すべての心の内を作者が書いてみせることもあるが、この作品では心の内を書くのは千恵子についてだけだ。だが千恵子に視点があるわけではない。外面描写は千恵子の目を借りずに作者の目で書く。
 これはこの素材のために作者が工夫した書き方なのだと思う。
 千恵子はうつ病患者なので、千恵子の視点だけで書こうとすると、千恵子を取り巻く情景も、千恵子自身の姿も書ききれない。だからそれらは映画の画面のようにすべて客観的に読者の目にさらされる。
 そうしておいてそこに千恵子の独白が入る。
 うつ病はいま耳にすることが多く、働き過ぎからうつ病になり自殺した人のニュースもしょっちゅう見聞きする。身近に患者のいる人も多い。
 だがその心の内を知るということは簡単ではない。
 北杜夫が自ら患者で、専門の医者で、作家でもあったわけだから、そういうことのわかる作品を残しているのかもしれないが、読んでいないのでわからない。
 もろひろしは千恵子になりきって千恵子の心を書く。それがほんとうに千恵子の心かどうかはおそらく作者にもわからない。だがその激しい心の叫びは読者の胸に迫ってくる。
 今号の(4)では、医者が薬を追加したせいもあって、千恵子は躁の状態にある。うつに苦しんでいたときとは打って変わって、快活で活発になり、なりすぎている。やたら出歩き、かつての職場の同僚たちとのお茶会にも行く。そこには千恵子がうつになる一因ともなったいじめの主である女性もいる。躁状態の千恵子が彼女をこっぴどくやっつける場面は小気味よい。男の作家がこのような女性たちの場面を描けるということにこの作家の力量を見る。
 夫の雅夫はスーパーマーケット業界にいて、新規開店に奔走してきたが、ヤオハンの倒産に象徴されるスーパー業界の大不況がやってきて、たいへんな状況にあるらしい。「らしい」というのは千恵子の目から見て書いているからで、夫の置かれている状況やその内面を作者は直接には書かない。ただ夫の不機嫌な様子、それによって苦しむ千恵子が書かれる。
 千恵子の躁は続き、担当の羽生医師への恋情を燃え上がらせ、性欲を持てあます。盛んに外出してはクレジットで買い物をする。クレジットはすでに膨大な赤字を抱えている。
 一方で、彼女はヤーフェ(エホバか)の信者である。サタンの誘惑に負けて夫を裏切っている自分は、もうじき来るハルマゲドンののち楽園に行くことができないと苦しんでいる。うつでも苦しみ、躁でもやはり苦しむ。
 1~3を読んでいないのでわからないが、(4)でわかる限りでは、富山で暗い少女時代を過ごした彼女は、東京に出てきて初めて快活な青春を送り、結婚したのもそこだ。ところが夫の故郷の群馬に帰ったことで、その慣れない土地での生活が彼女のバランスを崩したようである。
 そういったことを含めての恨みつらみが夫に対してある。夫は彼女にとって、唯一救いを求めることのできる相手だから、だからよけいに夫に対する非難は仮借ないものとなる。彼女の心の言葉は夫への罵詈雑言であふれる。
 一方夫の心のうちは描かない。それは千恵子の見る夫の態度や表情だけだ。仕事で頭を悩ませている夫にとってはいまは千恵子どころでもなさそうで、ほとんど口も利かない。作者は夫の言い分を書かない。じつはこのことがこの作品をぐっと効果的なものにしている。主人公は千恵子なのだから、夫は目立たないほうがよいのだ。
 だが、この回の最後で、夫も少しだけ自己主張する。少しだけなので逆に効果的である。
「できっこないきれいごとばかりを言われてさ、それができなくって、千恵子は追い込まれているんだろ。追い詰められているだろ。できないことは罪だなんて言ってさ。馬鹿馬鹿しい。人間なんて、清廉潔白、無垢純粋で生きられるはずが無い。そうだろう? 生きていりゃ、人様にひどいことも言い、してしまって、自分が許せないことなんか、嫌になるほどして、それでやっと生きているんだ」
(厳しすぎる戒律にも信者が耐えていけるのは、案外適当に手を抜いているからじゃないのか)
「おまえの信仰は重荷過ぎるんだよ。真面目すぎる千恵子には合わないんだよ。それで、心を病んで、自責して、身動き取れなくなって、それを全部、おれが被って、背負ってきた。棄てちまえよ、そんな信仰」
 千恵子と雅夫のたたかいはまだまだ続いていくのである。
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