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Author:まがねとおる
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失われた夜のために (序)

 失われた夜のために 

      序

 二〇〇九年の秋に、定年を三年延長して年金生活に入ると、永年働いた土地を離れて、両親の遺してくれた住まいに引越した。永年働いたとはいえ決して馴染んだとは言い難い土地だったので、そこを離れることに未練はなかった。引越した町も生地ではなく、その家に住んだこともなかったが、ともあれ小学校の途中から高校卒業までを、数回転居しながら過した町で、半世紀の不在が町の姿を激変させて、故郷と呼べるほどの感慨は持ち難かったにせよ、多少は勝手のわかる土地ではあった。
 もっとも、わたしにわかるのは、市の中心部に近い、昔住んでいた界隈だけだ。両親の遺してくれた家のあるのは、かつては郡部だったところで、というよりも山だった土地だ。四十年前に、彼らは退職金をつぎ込んでこの家を新築したのだ。
 家は崖っぷちに建っている。四十年を経た安普請の家は隙間だらけで屋根も壁も薄い。南側一帯は山を切り開いた四十年前の新興住宅地が、いくつかの丘をつつみこんで展開している。かつては子供たちの声のにぎやかだったところだというが、いまでは老人しか住んでいない。北側は小さな池に向かって急傾斜で落ち込んでおり、眼下に、かつての農村地帯がなごりをとどめて拡がっている。そのむこう、真正面には山が連なり、冬が来ると、そこから強烈な冷風が襲いかかってきた。
 ここで、わたしは二年間をひとりで過ごした。
 スポーツと縁のないわたしには、散歩が唯一の運動である。農村地帯を迂回して住宅街の真中を突っ切る道路を下っていき、途中で右に折れて、なお下っていくと、かなり大規模な池をめぐる、よく整った公園に出る。そこまで三十分、池をひとまわりして三十分、坂を登って帰ってくるのに三十分、越してきた日から、これがわたしの日課となった。
 寒さが増してきたころ、池の端にある喫茶店が目に入った。道路を隔てて高台に瀟洒なたたずまいで建っているのが気にいって、一度入るとそこでコーヒーを飲むのが習慣になった。窓から池の見えるのがいい。どうかしてその席が埋まっていると、そのまま店を出ることもあったが、そんなに流行る店ではなく、たいていは空(あ)いていた。中年の女性が二人でやっていた。わたしは話し好きなたちではないので、毎日のように通いながらも、黙って池を眺めながらコーヒーを飲んだ。
 橋本と知りあったのはその店だ。年も押し迫った日曜日、急に寒さがゆるんだ上天気の日で、昼食時にぶつかったため、いつになく混んでいたが、おりよく、いつもの窓際の席が取れたので、その日はわたしも、昼食を兼ねた遅い朝めしを注文して食べていた。すると、店の女性が来て、遠慮がちに、合席を許してもらえるだろうかと訊いた。後ろにさえない老人が立っていた。
「いいですよ」とわたしは言った。
 老人は恐縮しながら席に着いた。
「ここでランチを食べるのが日課なんですよ」と老人は言った。
 その声は意外に若々しく、話し始めると表情にも若々しさがあった。そんなに年ではないのかもしれない、とわたしは思った。さっき立っていたとき、背はわたしよりは高いように見えた(もっともわたしは高いほうではない)。極端にやせていて、よけいひょろひょろと高く見えた。太い皺の刻まれた額は禿げ上がって、薄い髪の毛も真っ白だ。眉毛の黒く濃いのがアンバランスに見える。眉間の縦皺も深い。小さめの眼は落ち窪んでいるが、ときおり異様に光る。頬がこけ、鼻は尖っている。口元がちょっと飛び出し、歯はそろっているが黄色く変色している。顎は張ってはいないが、口の真下だけは盛り上がっている。顔色はいくぶん赤茶けており、短い無精髭に覆われていた。その髭は胡麻塩で、やはりアンバランスだ。
 じつははじめて見る顔ではない。昼に近い時間帯にはときたま見かけた。馴染み客らしく、店の女性と気軽に声を交わしあっていることもあった。
「あなたもよくお見かけしますね」と男は言った。
「散歩の途中にね、ときどき寄ります」とわたしは答えた。
 彼はわたしの住まいを尋ね、自分はこの店の裏山とでもいうべきところに住んでいるのだと言った。
 これが橋本との最初の会話であった。
 それからは店で顔を見ると挨拶を交わすようになり、自然にわたしも店の女性たちとも言葉を交わすようになった。
 だが、橋本とわたしが急速に親しくなったのは、年を越えて桜が咲き始めるころになってからだ。ときどきわたしは店の混んでない時間帯に行って、文庫本を読んだりしていたが、そういうときに橋本がわたしを見つけた。何を読んでいるのかと訊きながら、わたしの向かいに腰を下ろした。わたしは表紙を見せた。ドストエフスキーの白痴だった。
「ドストは好きですか」顔見知りになってきても、橋本は言葉を崩さなかった。
「若いときに何も読んでいないんで」とわたしは答えた。
「ドストは偉大です」と橋本は言った。「まるで現代日本を予言しているかのようです。そこにイポリートという青年が出てくるでしょう?」
 わたしはうなずいて、彼の先に言った。
「わたしも驚いているんです。イポリートの思念しているのは、まるで秋葉原の理由なき無差別殺人そのままじゃないですか」
「そのとおりです。彼は人間の心の奥底がわかる作家です」
 このようにして、わたしたちは急速に親しくなっていった。彼が橋本伸一という平凡な名前であることを知ったのも、年令がわたしと同じであることを知ったのも、このとき以来だ。わたしは驚いた。
「もっとお歳かと思っていました」
「充分歳をとりましたよ。でも少しも大人になれない」そう言って彼は苦笑いした。
 わたしたちは相互に家を訪ねるようになった。橋本は奥さんと二人暮しだった。奥さんはまだ五十代で仕事を持っていた。若々しい女性で、橋本とならべると、親子のように見えた。気さくな人で、変わり者の主人にやっといい友達ができたと喜んでくれたが、忙しくしている奥さんの前で遊び人二人がのうのうとしているのも気兼ねで、自然にわたしの家に来ることが多くなった。
 文学の話が多かった。わたしの読んだことのない作家の名前が次々出てきたが、本人は、
「いや、怠け者で、何も読めてなくて」などと言った。
 社会問題も話題にした。
「わたしたちは幸運な時代を生きてきたと思いませんか」と彼は言った。「ぶらぶらしていても、食べるだけは食べれた。こつこつ頑張ってきた人は、それなりに恵まれた。とやかく言ってみても、高度成長のおかげではあるんでしょう。ところがいまはどうです。ぼやぼやしていては生きていけない世の中です。あなたにはどうだったか知らないが、わたしには一生涯がモラトリアムだったような気がする」
 そんなふうに、彼の話はいくぶん抽象的で、わたしにはつかみづらいところがあった。たとえばこんなことも言った。
「ひきこもりのゲームオタクが話題になるでしょう。あれは相性がいいんです、ひきこもりとゲームとはね。でもいまは対症療法に傾きがちです。なんでも病気にしてしまって、治療しようとする。ハウツウ万能です。それがいけないわけじゃないが、こういった問題は、本来もっと哲学的なものなんです。人間に関することのなかには、すべて深遠なテーマが隠れている。人々はそれを見逃してしまうんです」
おたがい将棋が好きなので、話にあきると将棋を指した。だがどちらも下手の横好きに過ぎないことはすぐわかった。碁もやったが、これは二人ともまったくのざる碁だった。
奇妙だったのは、過去を語りたがらないことで、話がそのほうに流れようとすると、すぐに話題を変えてしまうのだ。酒を飲ませてみても、その態度は変わらなかった。
「つまらない人生を送ってきたのですよ」と彼は言った。「人に話すようなことは何もありません。まあ、形だけは――働いて、子供たちは勝手に育って世の中に出て行きましたが、いまだにわたしには人生がよくわかりません」
 頭の禿げ上がった人からそういう言葉を聞くのは、なんとも奇妙なことだった。
 また、こうも言った。
「むかし柴田翔という作家が、実は人生はとっくに始まっているのに、なにか人生の練習をしているという気分で、日々を過してしまった、と書きましたが、わたしはそういう気分のままで、うかうかと歳をとってしまったような気がしているのです」
「何か書いてみようとは思わなかったのですか」とわたしは訊いてみた。
 文学に深い思いがあると思えたからだ。
「書こうとしてるんですよ。ずっと書こうとしてるんです。でも何も書けない。書くほどのことは先人たちがとっくに書いてしまったような気がする」
 総じて、話が彼自身のことに及ぼうとすると、活気がなくなってしまう。自分と関係のない話をしているときには眼が輝いているのだが。
 わたしたちは半年ほどもそうして付き合ったが、秋になって、音沙汰がなくなったなと思い、電話してみると奥さんが出て入院したのだと言った。わたしは病院に駆けつけた。
 彼はいっそうやせ細り、骨と皮のようになっていた。まだ意識はあったが、酸素吸入をしていて、会話も出来ない。わたしを見て弱弱しい笑いを浮かべた。
 そうして彼は死んでしまった。肺癌が手遅れだったのだという。あっけない最期だった。
 さらに半年たった今年の春、あの大津波で世間が騒いでいるときに、奥さんが電話してきた。来てくれという。行ってみると、原稿用紙の束を取り出してきた。
「たぶん、値打ちのないものでしょうけど」と奥さんは言った。「わたしにはよく判りません。前田さんならお分かりじゃないかと思って」
「読ませていただきます」とわたしは言った。「たぶんこういうものがあるんじゃないかと想像していたんです。短い付き合いでしたが、何かこういうものを読ませていただきたかった。ありがたく読ませてもらいます」
 正直に言うと、読んでみて少しがっかりした。原稿用紙の黄ばみ具合から見ても、内容から見ても、ごく若い時分、まだ三十になるかならないかのころに書いたものと思われた。主人公は二十代半ばと思われる。それが橋本本人なのか、それともまったくの創作なのかもわからない。橋本の年令はわたしと一緒だから、ベトナム戦争と全共闘の時代、七十年前後が時代背景であると思われる。だが、そこからリタイアしたと察しられる人物が主人公であり、あまり時代と切り結んでいない。はっきり言ってしまえば、何を書いているのかよくわからないのだ。ただ不思議と妙に心にひっかかる。それは単にわたしが彼と、短いが濃密な時間を持った、という理由からだけなのかもしれない。といっても彼は最後まで自分を見せることをしなかったのだが、これを読んでもそれがわかったわけでもない。これが発表する価値のあるものなのか、わたしにもわからない。このよくわからない作品を何かの寓意と見るべきではないだろう。これはそのまま、おそらく彼の青春なのだ。それが現代の青年に共有できるものかとも判断できないのだが、その判断は読者に任せることとしよう。
 なんだか表題はプルーストとカール・ヒルティを足して二で割ったようなおおげさなもので内容にそぐわない気もするのだが、原題のままとする。なお、漢字と送り仮名の使用法も、多少古めかしかったり、統一性に欠けたりしているが、これも原文のままとした。
 文章中に挿入されている架空の帝国史は、模糊としていて理解もしづらく、またその内容は本文の企図と特に関連していないようにみえるので、飛ばして読んで差し支えないと思うが、一応わたしの理解できた範囲で系譜を作ってみた。五章の冒頭に置いたものがそれであり、これは原文にはなかったものを、原文の表記のみから、わたしが作成したものである。興味のある人は、参照しながら読み進められれば、理解しやすいであろう。もっとも、理解したところで意味があるわけではないのだが。

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