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SEALDsと奥田愛基

 高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」 朝日新聞出版 2015年
 高橋源一郎×SEALDs「民主主義って何だ?」 河出書房新社 2015年
 SEALDs「民主主義ってこれだ」 大月書店 2015年
 SEALDs×小熊英二×内田樹「民主主義は止まらない」 河出書房新社 2016年
 奥田愛基「変える」 河出書房新社 2016年
 白井聡×内田樹「属国民主主義論」 東洋経済 2016年

 いままでに読んだSEALDs関連本である。最初と最後の二冊は直接SEALDsを書いているわけではないが、無関係でもない。
 奥田愛基の「変える(絶望から始めよう)」は自伝から書き起こして、SEALDs結成過程を丹念にたどっている。そこまでに読んだものからの予備知識の上にここまで来ると、SEALDs現象とは何であったのかということが一段とくっきりしたように思う。
 それぞれ出自も性格も考え方も違うさまざまな若者たちが、大人たちのだれも予想していなかったときに、だれも予想しなかった場所から現れて、大きな波を巻き起こした。
 それはいろんな偶然的な人と人との出会いの中から不思議な形で立ち上がってきた。そして多くの教訓を残して、いまは日常の中に散らばっていった。それは起こってみると、まさに時代が欲していたものであったようにも思える。だが、それが時代の必然であったのか、まったくの偶然であったのかということはだれにも言えないだろう。
 この現象については多くのことが語られねばならないし、語られるであろう。しかし、いまここではひとつのことだけを取り上げる。

「言うこと聞かせる番だ俺たちが」
 ネット社会の功罪はどちらも非常に大きい。若者たちが短時日の内に大きな運動を起こせたのもネット社会があり、それを彼らが自由に使いこなせたからだ。だが一方、ネットは人の悪口を言うことをとても楽しみしている人たちの巣窟でもある。彼らのコールへもすぐに非難が巻き起こった。
「DV加害者のセリフに聞こえる」「マチズモmachismo=マッチョだ」
 言葉狩りにはうんざりである。言葉を文脈のなかで理解しようとせずに、ケチをつけることばかりに熱心なのだ。

 このコールは次のようなことを意味する。
 いままでは政党が人を集め、人々はただ政党についていった。だがそういう時代は終わった。これからは政党とは無関係に人は集まり、そして政党に「おれたちの言うことを聞かせる。そういう番が来た」
 小選挙区制が国会を通ってしまったときに、それまでの政治文化は過去のものとなった。小選挙区制は大政党に圧倒的に有利な制度であるから、一度通ったらもはや覆ることはないと思わねばならない。この制度の下では二つの政党しか生き残れない。それも似通った二つであって、異なる二つではない。国民の大多数の支持を得ることのできる二つである。少数意見はもはや政治の場に出てくることはできない。
 したがって、この制度のもとで少数意見が日の目を見ようとしたら、キャスチングボードを利用するしかない。二大政党のどちらかに加担して、その代わりに自分たちの主張を一部でも取り入れさせるのだ。公明党がとっている手段である。これは小選挙区制の下での完全に正しい手段である。
 今回SEALDsは、野党に対して立場を乗り越えて団結するように求めた。そして野党各党はためらいながら、おずおずと近寄った。もっとも鮮やかだったのは共産党だった。共産党は何かを理解したように見えた。
 政党の外のSEALDsが、政党に対して「いうことを聞かせた」のである。

 もちろんこのコールはもともと野党に対してではなく、政府与党に対するものだったのだろうが、しかしSEALDsの存在によって野党が動いたとき、それは極めて象徴的な言葉となった。

 福山に小林節が来たとき、ぼくも講演を聞きに行った。かなり大きな会場が満員になった。大部分がぼくらの世代、70年安保世代だった。共産党員が活発に世話していたので、その関係で来た人がほとんどだろうが、小林節に興味を持ってきた人もいただろう。一部、小沢派と思える比較的若手が質問に立ったりビラまきしたりしていた。この小沢派というのがよくわからないのだが、一部の左派が小沢グループに接近しているように見える。
 そういう関係の質問者に見えたが、「新しい政党を組織する気があるか」と小林節に質問した。小林の答えは、「自分は政治家ではないし、政治家になる気もない。政党はすでにある。これ以上必要ない。ただ、バラバラでは自民党に勝てないので、何とか共闘できないかと思って動いているだけだ」
 この時点では彼もSEALDsと同じだった。だが年寄りのほうが若者よりも短気だった。比例区名簿を野党統一名簿にするように民主党に説いて拒否されると、小沢派や社民党の誘いも断って、独自立候補した。結果はもちろん無残な敗北だった。主として共産党が集めた各地方講演会の聴衆を彼は自分の支持者だと勘違いしたのだろう。

 小林節が会場で答えた答えこそが正解だった。「政党はすでにある。これ以上必要ない」
 中選挙区の時代だったら、少数政党にも意義があった。議席の可能性は十分あったし、議会で存在感を示せば支持者を増やしてもいける。だが小選挙区になってしまった以上、もはや覚悟を決めるしかない。新しい政党は全く必要ない。いまでさえ多すぎて、これ以上増やす必要はない。いまある政党をどういうふうに使ったら、少数意見を国会に届けることができるのか、それを考えていかねばならないのだ。

 共産党中央はいまそれを理解したように見える。しかしそれについていけない層は疑問を持っているだろう。
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