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日本共産党について(領土問題)

6、領土問題
 尖閣問題が騒がしくなった時、党は声明を出して、「尖閣は日本の領土である」と述べ、「そのことをもっと国際社会に訴えていかなければならない。日本政府がそれを怠っていたので、問題が発生したのだ」と指摘した。 
 しかし第一に、領土問題は二国間の問題であって、そんなことをどんなに一生懸命説いても、喜ぶのは日本人だけで、中国人はもちろん反発を強めるし、国際社会は何ら納得しないばかりか、そもそもわずかな関心さえも持たない。
 第二に、日本国民のナショナリズムが危険なほどに湧きたっているときに、それを煽るようなことを言ってどうするのか。党が言わなければならないのは次のようなことだ。
 「国民の皆さん、冷静になってください。こんなつまらない問題から戦争になっては馬鹿らしいじゃないですか。こちらに言い分があれば、向こうにも当然言い分があります。お互い平和的に話し合って双方が納得できるような解決策を見つけていこうじゃないですか」
 高橋源一郎は朝日新聞で、「尖閣なんかどうなってもいい」と言った。脅迫が殺到したそうだが、ぼくは彼を支持する。
 党も、政府も国民も、根拠としているのは先占権である。これはいかにも子供っぽい考え方ではあるが、しかしなるほど無用な争いを避ける知恵とはいえる。早い者勝ち、あとから来たものは文句を言うな、というわけだ。
 だがそれは先進国に都合のいい考え方でもある。
 「地図が国境を作った」と言われる。近代国家成立以前には厳密な国境線という概念はなかった。ぼんやりとした勢力圏があっただけだ。
 そもそも琉球は独立国家だった。薩摩藩がこれを武力で支配し、さらに明治政府が国家の領土に繰り入れた。尖閣を領土宣言したのは、日清戦争の直前だ。その直後に下関条約によって台湾まで日本領にしてしまったのだから、これは一連の出来事と見られても不思議はないのであって、歴史問題と切り離すことは不可能である。
 しかも第二次大戦の敗北によって、台湾が日本支配から離れたとき、沖縄も同時に米国支配に入った。それから72年の沖縄の日本復帰まで、尖閣諸島では昔と変わらず、琉球、台湾双方の漁民が仲良く操業していたのである。歴史上台湾漁民はこの時初めて尖閣の漁場を失ったのだ。
 国境も領土も、国家権力の問題である。庶民はそんなものとは無関係に生活している。それをある日突然権力が暴力的に襲いかかってこの生活を奪い取るのである。
 領土問題の解決法は三つしかない。保留するか、仲良く分けるか、戦争するかである。それを決めるのは当事者間であって、国際社会には関係ない。
 竹島については共産党は保留しているので、千島について少しだけ述べる。詳述しないが、千島についての共産党の立場は基本的に全島返せである。政府よりも激しい。
 その理由はポツダム宣言によって、武力で奪い取った領土以外は奪われないとされているので、千島は平和的に日本領になったのだから、奪われてはならないというものである。
 もちろんアイヌから武力で奪い取ったことなど無視しているのだが、アイヌが国家を形成していなかったという国家の論理に従うのなら、そうでもあろう。
 だがポツダム宣言とは所詮紙の上の約束事である。戦争で勝ったものが領土を取るというのは歴史の常識だ。日本国家そのものがそうやって成立したし、現に日本は戦争に負けるまで、戦争で奪い取った土地を返そうとはしなかったのである。日本が南樺太を戦争によらずに返したのなら、日本にも主張する権利があっただろう。だが、日本が南樺太を返したのは戦争に負けてしぶしぶ返したのであって、そうであるなら、千島を返してほしければ戦争してみろと言われても仕方ないではないか。他人の土地は勝手に奪っておいて返さずに、自分の土地は返せという、矛盾した主張である。
 ぼくが言いたいのは、尖閣にしろ、千島にしろ、こちらに主張があれば向こうにも主張があり、そんなことを言いあっていても千年解決しないだろうということだ。解決法は三つしかないのだ。保留か、仲良く分けるか、戦争である。
 いったい、現地以外の遠く離れた日本人にどんな利害関係があるのか。国家のメンツだけではないか。そんなことのために戦争するのも馬鹿らしければ、未解決のままに保留を続けることは現地に被害を与えている。漁場の問題、漁業権の問題がある。そして自由に行き来できないという問題がある。尖閣の場合にはさらに石油資源の問題もあるだろう。こういう現実の問題を解決することが必要なのであって、その観点から問題を考えていかねばならないのだ。竹島の場合も基本的にそうである。
 だが、愚かな世論がそれを許さない。党がせねばならないことは世論を説得することであって、煽ることではない。
 だから、労働者の権力などと簡単には言えないのだ。労働者の意見はさまざまなのである。問題はひとつひとつ個別に解決していかねばならないのだ。
 そして、こういう問題を党員に提起したとき、党員からは公式見解以外の何も返ってこない。考える間も必要とせずに瞬間的に公式見解が返ってくる。彼らは心から党を信じている。
 だが、ぼくは思うのだ。もし党が見解を変えたら、たぶん党員たちはたやすく自分の見解をも変えてしまうのではなかろうか。
 ぼくは党員たちに敬意を払うが、どうしても感じてしまう党員たちのこういう体質を怖いと思うのだ。
 それは彼らが党の綱領規約を無条件に支持していながら、それが変更されると、一日で新しい綱領規約をまたも無条件に支持してしまう、その豹変ぶりを見てきたからだ。あるいは上部では議論を積み重ねているのだろう。一般党員には難しくてわからないということもあるだろう。それはかまわない、インテリだけが党員の資格を持っているわけではない。分からないなら分からないでいいのだ、何もすべてを理解する必要はない。ただ無条件で信じてしまうような党員を作ってはだめだ。それが「学習」効果だ。それがスターリン主義の下地だ。そして国民はこのような党員を見ることで党の宗教的体質を恐れるのである。
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