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まがねとおる

Author:まがねとおる
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失われた夜のために (その8)

      八

 僕はとり残され、寸時、ぼんやりした。だが、何を考えてみようとする間もなかった。誰かがテーブルの向う側に立ったからだ。僕は眼を上げた。
「やはり、あんただったな」
 小平だった。男としてはくっきりしすぎる顔が、二年前と同じようにそこに立っていた。僕は苦笑した。
「ここに来るんじゃなかったな」
「おれと会いたくなかったてか」
 僕は心から笑った。
「いや。会えて嬉しいよ」
「そうでもなさそうな顔だったぜ」小平はにやにやと笑った。
「この店を使うのはやめたんじゃなかったのか」
「ときたま労務が張り込んでいたからな。でも、そんなことはどうでもいいさ。久しぶりの顔を見たくないかい」
「誰かいるのか」
 小平はふりむいて合図した。向うの席から誰かが立上がり、近寄ってきた。青木礼子だ。
「まだ生きてたんだね」青木は昔と変らぬ笑顔を見せた。
「これが幽霊でなければ、そうなんだろうな」と僕がいった。
 二人は向いに腰掛けた。ウェイトレスが来て、大場のミルクを片付け、新しい水を二つ置いていった。
「減らず口を叩けるってことは元気なんだね」と青木がいった。顔じゅうで笑っていた。
 小柄だがばねの利いていそうな全身、全体に小作りなのに表情豊かな目鼻口、その眼はあまりに細いので笑うと消えてなくなり、その小さな鼻は天井を向いている、ものをいうと小さな口が尖る。ざっとした短髪、あっさりした服装、この決して美人とはいえない女に、僕はやはりこの上ない親近感を抱いていたのだ。忘れられない女になるだろう、と僕は思っていた。そしてそのとおりだった。彼女は中学しか出てなかった。その教養には付け焼刃的なものを感じることもあった。だが、彼女は決まりきったことは決して言わなかった。その言葉はいつも彼女の生活と密着しているように思えた。そして時々はっとするようなことをいった。僕はその顔を見るのが好きだった。
「このぼんくらのインテリ崩れはどうしていたのかな」彼女は相変らず辛らつな口をきいた。
「それはおれのせりふだぜ」と小平がいった。「やっと二人で作り上げた文学サークルを放り捨てて消えちまいやがって」
「そうだったな」と僕はいった。「あれはどうなった?」
「つぶれたに決ってるじゃないか。おれにはあんたのようなカリスマがないんだよ」
 僕は意外なことを聞いたような気がした。
「僕にはカリスマなんてないよ」
「でも、何かがあったんだろうな」と小平がいった。「あんたがいなくなるとサークルは自然解消した。――話は違うけど、広田だって苦しんでたぜ。まあ、岡と二人で何とか盛り返したようだがな」
 広田と始めた分工場での日々がちらと頭をかすめた。僕らは二人きりで始め、本社の党組織が企画した山歩きや海水浴に分工場の若い労働者を動員し、ちょっとしたサークルを立ち上げ、やがて民青の班を作った。工場の分会集会でも、そのあと全社の組合大会でも、僕らは執行部を追いつめた。それは輝かしい夏だった。だが、会社はすぐさま僕を本社に配転した。本社と言いながら、行ってみると、そこは会社のなかの離れ小島のようなところで、まわりには年寄りしかいなかった。僕は年寄りを扱いかねた。僕は党の民青指導班に所属し、ひきつづき分工場を受け持った。広田と僕とのコンビは絶妙だった。僕が作戦を立て、広田が実行した。彼はその人を食ったような倣岸不遜な態度にもかかわらず、人々から信頼され、愛されていた。十五から働いてきた彼は、若くてもすでに一人前の職工であり、人々から認められていた。カリスマとは彼のような人間をこそいうのだろう。
「懐かしんでる?」と青木がいった。
 鋭い女だ。僕の表情を見ていたんだろう。
「過去った昔さ」と僕はいった。
「あんたにとってね」青木は意味ありげにいった。
「インテリなんてものは結局そうなんだ」と小平がいった。
「言っとくけど、僕はインテリじゃないぜ」
「おれらにとってはインテリだったんだ。小難しい本を読んで、小難しい理論をふりまわしてたもんな。そのくせ生活感覚がまるでなかった」
「よく見抜いてたな。おまえと僕ともいいコンビだったのにな」
「駄目、駄目、あんたはいずれそうなるだろうという気がおれはしていたよ。おれにはあんたのような知識はないが、まあ、こつこつと組織を作っている。おれはあんたと違って労働者だからな。もっとも、文学をまだ捨てたわけじゃないがね。あんたはどうなんだ」
 小平も中卒だったが、いっとき夜間の労働学校に通って、それなりのものを身につけていた。太宰治に惚れて津軽の斜陽館を訪ねて一泊し、そのあとカミュに傾倒していた。太宰とカミュには似たところがある、というのが彼の持論だった。太宰を読んだ人間は必ずカミュを読み、その後たいてい共産党に入るんだ、と彼はいった、これをどう思う? 僕には答えようがなかったが、確かに僕もその実例をいくつか知っているような気がした。小平と僕とは御用組合のメーデーデモで知り合い、その後、小説を書いている若い工員を見つけて、とりあえず三人でスタートしたばかりだったのだ。
「興味ないな。もう、文学には何の興味もない」
「芝居は?」と青木がいった。
「あれきり、見てないね」
 僕は思いだした。青木も芝居が好きで、安部公房の幽霊はここにいるや、宮本研の阿Q外伝について、僕らは意見が違って、かなり烈しい論争をやったのだ。一歩も譲らずに言い募る彼女を見て、僕はますます彼女を好きになったのだった。
「あっさりと何でも平気で見捨てていくんだね」と青木がいった。
「あんたが帰ってきたということは、岡や小野さんから聞いていたんだ。田村のことは聞いたかい」
「結婚するらしいね」と僕はいった。
「平気なの?」と青木がいった。
「僕には関係ないよ」
「へえ?」と青木がいった。
「ほんとうに、僕らはなんでもなかったんだ」
「あんたは失恋して逃げ出したんだと思っていたよ」と青木がいった。
 僕は笑った。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。人間の行為の動機なんて、なんとでも理由づけられる。そんなことには何の意味もない」
「あんたはいつも自分を分析することを避けるんだ」と小平がいった。「勿体をつけて煙にまくのが好きなんだよ」
「鋭いことを言うじゃないか。まあ、そうだということにしておこう」
「あんたと圭子とは人前では素知らぬ顔して批判しあっていたけど……」と青木がいいかけた。
「だって、意見が違えば批判するだろ?」
「でも陰で会っていたのはみんな知っていたよ」
「そりゃ、会うさ。同志だもの」
「ごまかさなくていいよ。ばれてるんだから」
 青木が見透かすような眼で僕を見た。僕は何気なしに、彼女の眼を見返した。
「そりゃ、あの頃も今も、圭子とわたしはそんなに親しくないし――だってわたしは工場事務で一日工数計算にあけくれ、彼女たちは本部ビルで総務や設計にいたからね。党でも部署が違ったから、そう頻繁に顔を合すわけじゃなかった――それでも噂は流れてくるし、察しはついたよ」
「そりゃ、彼女のことは好きだったよ」
「人気があったもんね、どういうわけだか知らないけど……。設計の秋山さんまでが、いっとき、さかんにモーションかけてた。結局それきりで、あの人もどっかよその人と結婚しちゃったけど」
 僕は思わず眼をつぶった。あわててすぐ開いたが、彼女に何かを悟られたような気がした。何もかも分っているような眼で、じっと僕を見たからだ。僕は強いて自分を落着かせた。
「で、誰と結婚するんだ」
「知らない。どっかよその人よ。党も会社もやめたからね。でも、こないだ、たまたま会ったから、あんたのこと言ったら、会いたがっていたよ」
 こういう街なのだ。先日は小野たちとばったり会ったし、今日はこれだし、街をうろついていれば、そのうち見知った顔と出くわさずにはおれないのだ。この街のこういう狭さが、僕を出発させたのかもしれない。
「嘘だろ?」と僕はいった。
「あんたは会いたくないの?」
「いや。もちろん会いたいさ」
「じゃ、会いなさいよ。家の電話は分っているんでしょ」
 僕はうなずいた。
「迷ってるの?」
「まあ、そう責めるなよ」と小平がいった。
「責めてないよ。好きにしたらいい」と青木がいった。
「田村とあんたとはどこか似たところがあったよな」と小平が僕を見ていった。
「どのへんが?」と青木が横からきいた。
「そうだな」小平はしばらく考えた。「……あんたたちは二人とも、なんとなく世の中を斜めに見ていた」
 僕は思わず眉をしかめた。それはついさっき大場にいわれたことだ。僕は黙った。いっとき沈黙が流れた。僕は自分が、さっきから多少動揺していると感じたが、平気を装って彼らを等分に見た。
「話は違うが」小平がいい出した。「あんたが大学で共産党と出会ったのは、あんたにとっては幸いだったな。そうでなければあんたも群馬の山奥で殺されていたかもしれない」
「僕はやつらとは違うさ」
「でも、ああいう傾向はあっただろう? おれも太宰くずれだが、まあ、おれは斜陽館までいってけりをつけてきた。あんたは中途半端に太宰的なものを引きずっていた」
 小平が見当違いのことをいうので、僕は少し説明してみる気になった。話題が圭子を離れたので、ほっとしたのかもしれない。
「太宰と過激派とは結びつかないよ。むしろ、僕らの原点はベトナム戦争だったんだ。親のすねかじりで、学費値上げがどうのと言われたってぴんとこないし、学問への情熱もなかったから、大教室講義がどうのと言われたって、やはりぴんとこなかった。むしろ、僕らのすぐそばで人殺しが行われている。アメリカはナパーム弾でベトナムを焼き払い、ボール爆弾で女子供まで皆殺しにしている。米軍の高官が、ベトナムを原始時代に戻してやると公言する。こんなときに日本の平和と経済的繁栄といわれたって、虚しく、むしろ許せないものに思えたんだ。そういうときには、ゲリラ活動だって、正当なものと思えないでもなかった。でも、やつらの暴力は度を越してしまったね。最初はそうでもなかったんだ。どういうわけか僕を眼の敵にする社学同の学生がいて――社学同というのはブントの学生組織だがね、いまの革マルだとか中核だとかいうのは革共同から派生した組織だが、うちの大学では連中は目立たなくて、社学同と民青との対立だったんだ。ほかに社会党系の社青同がほんの少しいたけどね――その社学同の学生なんだが、僕がキャンパスでビラを配っていると、こんなでたらめのビラを撒くなといって、奪いとろうとするんだ。やせた、ちっぽけなやつで、たかをくくっていたら、どうしてばかに力が強くて、取戻せない。まあ、その程度の暴力で、僕らはビラを握りあったまま、議論したよ。ところが彼も、そののち新聞で知ったんだが、東京くんだりまで出向いていって、明治大学で内ゲバして、教室の窓から突き落されて死んだよ。やつらはあっというまにああなったね。プラカードの角材を外して持ち歩き始めたなと思っていたら、じきに鉄パイプとヘルメットで武装した。それを振りかぶって本気で殴りかかってくるんだぜ。僕らはスクラムを振りほどいて一散に逃げ出したよ。その時思ったんだ。この理不尽な暴力に耐えるよりは、佐藤栄作に支配されていたほうが、まだましだってな。日本はベトナムの虐殺に加担し、水俣では人々が理不尽に殺されていた。でも、僕の実感としてはそうだったな」
「どうせ、あんたみたいな、現実離れした人間の集まりだったんでしょ」と青木がいった。
「雑多な人間が集まっていたよ。世界同時革命をいう者もいれば、学生運動はスポーツだ、と割り切っているやつもいた。でも大半は普通の学生だったんだ。彼らは組織が先鋭化するにつれて離れていったがね。残ったのは、どうしようもない連中さ。確かに僕はいろんなところに首を突っ込んだ。連中とも何度か対話を試みた。社青同にも関心を持ったし、友人と新党をつくる相談をしたこともある――それは、まあ、子供っぽい計画に過ぎなかったが――。それに、キリスト教の教会をいくつかまわったのは中学生のころからだ。聖書にも読みふけった。何かを求めていたんだろうな。でも、根が懐疑論者だからね、どこへ行っても満足できなかったさ。彼らに対しても同じことだ」
 僕はちょっと言葉を切り、水を飲み、それから続けた。
「連中は結局、ドストエフスキーの悪霊をそのまま真似てしまったね。もし連中がドストを読んでいたら、あんなことにはならなかったんじゃないか。だって、あれそっくりの事件をドストは見事にカリカチュアライズして描いているんだもの」
「その小説は、おれは読んでないからなんともいえないけど」と小平がいった。「あんたが彼らに心情的に惹かれていたのは事実だろう?」
「そりゃ、そういう面もあったさ。人間の心なんて複雑なものだろ? ただね、いま思うのは、普通の学生たちが、何故共産党にそっぽをむいて、やつらに惹かれていったのか、いつかはそれを問うてみねばならない時が来るだろうということ、それだけだよ」
「誰だって、共産党を無条件で信じているわけじゃないけど」と青木がいった。「でも、必要な組織よ」
「そうだろうね。いまの僕には関係ないけど」
「あんたは労働者じゃないからな」と小平がいった。
「小野さんは、おまえは労働者なんだと言ったぜ」
「でも、あんたはそれを自覚できていないだろ?」と小平がいった。

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