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失われた夜のために (その1)

 失われた夜のために

      一

 僕は手をとめる。なぜうまくいかないのか、よくわからない。うまくいかないというよりも、どうやら限界なのではないか。登場人物が百名を超えてから、もうこなしきれなくなっている。民部少輔とか図書頭とか左衛門佐とか筑前守とか、そういう馬鹿々々しい幾十もの小官職が、僕の頭に悪腫のように堆積している。そいつらはこびりつき、しこりのようになり、僕は眼をつむる、すると、後頭部からこめかみまで、鈍い重量感が滞っている。頭を後ろに反らし、左右に烈しくふってやる、首の付け根がぽきぽきと音をたてる。もう一度眼をつむる、眩暈に似たものが頭の中を動いて、すぐに眼を開く。頭蓋骨の内側に、硬いごろごろしたものがいくつも場所を塞ぎ、頑固に動こうとしない。石ころを数十もつめこんだみたいだ。
 しかし、やり方はある筈だ、と僕は思う。問題なのは、この小官吏どもが、もはや少しも生きていないこと。かれらは三十すぎて登場し、つまらない官職を得、五十から六十までにほぼ残らず死ぬ。国司は四年から六年の任期で人を替えねばならないので、適当にたらいまわしする。まったく機械的だ。かれらが増えすぎると、内乱が起こり、半数が淘汰される。それでもかれらは鼠算なみに増えていく。ほんとうは、かれらはもっと失業の期間を持つべきだった。それに、この小官吏どもと、皇帝家を始めとする、いくつかの貴顕の氏族王家との間に、中流貴族といった層がまるでないのはどういうわけか。かれらはあまりに早く没落し、たちまちにして、みな最下等の一線に並んでしまう。もちろん、要職が最上流の貴族に独占されるのはやむを得ないが、そして時流に乗り損ねた一族がたちまち没落していくのは当然としても、やはり常になんらかの中間的部分はある筈だ。
 もう一度頭をふる。さっきよりいっそう大きくぼきぼきいうので、おそろしいくらいだ。だが、どうやら、わかりかけてきた。貴顕の一族の少年たちが要職をすっかり占めてしまうのでは、もはや律令の時代は完全に終っているというべきだし、すでに律令の時代ではなかった道長時代に、範を求めたことがまずまちがっていたのだ。皇帝の権力が絶対的であり、その皇子たちがそれぞれ一家をなして栄えていくというためには、むしろ中流どころの貴族群に活躍させねばならない。その一族にあっては、嫡子のみが一定の地位を約束され、庶子の没落は早いだろう。
 こうして徐々に、まったくちがう構想、まったくちがうイメージが湧きあがってくる。こうなってくると、霧が晴れるように頭の中が澄んでくる。まず、子の人数がおしなべて四五人に限定されてしまう傾向を、なんとか打ち破るべきだろう。子のない皇帝や大臣や大納言がいなければならない。一方には十数名の子を持つ親が登場すべきだ。そして零から十数に到る、あらゆる偶然的な数字が統計的な几帳面さで選ばれねばならない。十六で生まれる子も五十六で生まれる子もいるだろう。二十歳で死ぬ者も八十で死ぬ者もいるだろう。結局のところ、僕はまったく機械的にやりすぎた。
 僕はぱらぱらとざら半紙をめくっていく。十数枚のざら半紙に記録された、百数十年の歴史。九代にわたる皇帝群、太政大臣、左右内大臣、大納言、中納言、参議から、果ては国司たちまで、すべては一人の皇帝から出て、代々男系でつながり、その生年、官職に就いた年、没年に到るまで、その細かな数字のひとつひとつが、かれら一個人一個人の栄枯盛衰、そして一国の一世紀半にわたる歴史の変遷を物語る。漢字と数字と直線のみで表現された歴史。百数十年、精確には……百三十七年だ。九代の皇帝……二十二名の大臣……現官吏数百二十一名……死者数九十九名。僕は算え終わり、ちょっとメモを執る。多少はまちがえたかもしれない。なにしろ、漢字と数字と直線とで真黒に埋め尽された十六枚の読みとりにくい書類の中から、重複を避けながら一名ずつ読んでいくのは、あまり面白い仕事じゃない。登場人物、総べて二百二十名。なるほど、これが僕の三か月間の全仕事だ。僕の夜は残らず、ここで消費された。よろしい。これは失敗した仕事だ。僕はざら半紙を重ねて真中から二つに割き、更に四つに割く。なるほど、これが三か月間だ。僕はそいつを屑籠に放りこむ。そいつは小さな屑籠にすっぽり納まり、そいつはいかにも平べったい……
 注意深くやりなおさねばなるまい、と僕は思う。炬燵に足を入れたまま身体を延ばしてポットのコンセントをさしこむと、そのまま畳の上に仰向けになった。右手を開いたり閉じたりし、ぐっと開くと、中指の第二関節が硬直して、もう動かない。電気溶接のホルダーを握るのに力を入れすぎるせいなのだ。僕は胸の上で静かに揉んでやる。この指はだんだん使いものにならなくなる。この身体もだんだん使いものにならなくなる。僕は天井を見る……だが、いつか見なくなるだろう。
 建国の初期に叛乱が少なすぎる。まったくないといっていいほどだ。これは怠慢だ。建国初期は倭の五王時代に比定すべきであり、皇位継承は血を流さずには片付かなくてしかるべきだ。子の数を増せば、叛乱を吸収できる。
 ポットがたぎり始める。上体を起こして手を伸ばし、手近の小さな水屋から茶碗や砂糖を取り出し、炬燵の上に移す。真新しいざら半紙の束を、汚さないように、畳の上におろしてやる。それでも炬燵の上は、電気スタンドや、人名辞典や、灰皿や、すりきれて表紙の取れそうな、わけのわからない本の類いでいっぱいだ。ほどよい濃さに出ている、うまい紅茶を飲み、これが僕の人生だ、といえたら、とてもすばらしいことだろう。しかし……おそらく……これが僕の人生なのだ。

 午後の仕事の最中に、工長がきた。彼はしばらく、小物の製缶用の、丈の高い机が並んでいる方で、年寄り連中と雑談していたが、やがて、衝立の間から、丈の低い溶接用の机の前へ入りこんできた。ちょうど一個終って、次の一個を手前へ引き寄せたところだった。僕は手をとめて、工長を見あげる。彼は片手で衝立によりかかり、愛想笑いしながら、調子をたずねる。僕は適当に受け答えしながら、彼に対して少しも卑屈そうな様子をしていないと感じて、自分に満足する。ここのところ欠勤もないし、今日の仕事がとりわけはかどっているせいだ。
 なぜ寮へ入らないのかと彼はたずねる。アパートの部屋代をきき、損じゃないかという。
「何か特別の理由でもあるのかね。毎日定時で帰るようだが、なにか、していることでもあるのかね」
 別に、と僕は答え、煩わしいことを嫌いなだけだと説明する。
「しかし、残業をしないのはどういうわけかね。残業しなければ、早く帰っても遊びにいく金もないし、毎日やることもなくて、暇をもてあますんじゃないかね。それにそろそろ貯金もせねばなるまい。いつまでも独り者でいられるわけじゃないんだから」
 まあ、僕はまだ若いから、と曖昧に笑ってごまかそうとする。君の年齢では、もう若すぎるというほどじゃない、と彼はいい、まだなにか言いたげだったが、僕が笑っているだけなので、匙を投げて行ってしまった。
 すぐにまた仕事にとりかかり、二、三個溶接し終ると、隣の溶接台から、年寄りの一人が声をかけてくる。秘密めかして、にやにや笑い、「おやじ、なに、いいおったね」
「残業しろって」
「そうだろ、少しは金儲けしろよ」
 彼も、工長と同じことをいおうとして、衝立の横あいからまだ顔をのぞかせている。僕は無言で面をひっかぶり、アークを、ば、ば、と飛ばしてやる。彼は眼を焼いて、あわてて衝立の向うに隠れただろう。そのまままた仕事にかかる。

 会社の食堂で夕食をとってから、バスを待つ。時刻がずれるから待っている人も少なく、バスもなかなか来ない。陽は道路の向うで建物の陰に沈もうとしている。工場の塀に沿って枯れ残りの芒が風に靡き、風は砂埃を舞いあげる。陽が落ちると、急に寒さが厳しくなる。僕は電話ボックスの中へ入りこむ。そこはいくらかましだ。煙草をくわえて火を点けかかると、バスが来た。あわててとびだして、バスに乗る。バスはすいている。出口付近に座って、暮れていく風景を眺める。いくつかの工場の塀を通りすぎて、やがて街に入るころには、車内灯がついて、もう、窓の外は、ともりはじめた街の灯が、車内と二重写しになって、なにも見えない。僕は車内に眼を転じる。まばらな乗客が、それぞれの座を占めて、怖れ気もなく座っている。僕の眼の前には若い男の外套の肩と、うなじと、きれいに刈りこまれた頭髪と、耳とが――これはさっき僕と一緒に待っていたやつだ、少しも寒くないかのように堂々と立っていたっけ、きっとうちの会社の事務系のやつだろう――むこうの席には赤いオーバーの若い女、ちょっと澄ましている、それから若いのや年とったのや、男や女がばらばらといる。みなひとつひとつ別々の有機物の固まりが、あくまで無機物であることを主張する鉄に隔てられて、いかにも頼りなく宙に浮いて全速力で走っている。こうして見ていると、硬い鉄と柔らかい肉体との、この同居は、いかにも奇妙で危なげだ。有機物はいつか滅びるだろう。無機物はいつまでも無機物だろう。けれども、それらはそこにあり、かれらはそこにいた。
 乗りかえのためにバスを降りる。パチンコ屋のネオンが、十字路のあちらでもこちらでもそればかり華々しい。風はもう氷のように冷たい。信号の真中で、小野と広田と岡の三人連れを見つけた。むこうでは岡が真先に気づき、三人とも歩道まであともどりする。岡は多少興奮している。
「あんた、いったいどこにいたの。いきなり消えちゃって、びっくりするじゃないか」
 ごめん、と僕はいう。その横では広田が笑いもせず、外套のポケットに両手をつっこんだまま、人並みはずれて高い背をまっすぐに伸ばし、人を嘲るように細い顎をつきだした以前のままの傲慢な調子で、唇だけを動かし、「元気かい」
「元気だ」
「働いてるのかい」
「そうだ」
 彼はしばらく無言で僕を見る。僕は並外れた長身の彼をまっすぐに見あげる。やがて、広田はちらりと信号を見、笑うと子供っぽくなる例の笑顔になって、
「じゃ、おれ、急ぐから、先に行くよ。元気で」
 ふりかえりもせずに横断歩道の人ごみに紛れこんでいく、昔のままだ。
「あいつ、愛想のないやつだ」と小野がいう。僕が笑うと小野が続けた。「やつは君に腹を立てているからな」
「しかたがない」ぼくは笑いを収めた。
「僕だって、怒ってるぜ」と岡がいった。「あんまり突然だったものな。あんたは僕らの前で毎晩のように、何をすべきかといい、そしてある日ふと消えちまったんだ。広田さんだってあんたに頼りきっていたし、あんたのこと好きだったんだ」
「僕はなにもいわないよ」と僕がいった。「なにもいう資格はないからな」
「もう一度、帰ってこいよ。これから面白くなる。難しいけど、僕らは少しずつ情勢を変えてるんだ。広田さんと僕とでね。難しいことばかりだけど、でも、少しは人数も増えたんだ」
「もう帰れないよ。会社が入れてくれないさ」
 男が駈けてきて岡にぶつかり、変りかける信号へと突進していく。岡は転びそうになって僕につかまる。
「暇があったら、茶でも飲んでかないか」と小野がいった。
「おれ、もう行かなきゃ、まにあわないよ」と岡がせわしく腕時計を見ながらいった。僕に向きなおり、「また会いたいな。小野さんに連絡先を教えといてくれよ」
 僕はうなずく。岡は小野に、じゃ、あしたといって、おりしも変った信号を渡っていく。途中でふりむいて、手を挙げる。僕も挙げてやる。小野と僕とは寸時並んで突立つ。
「えらい、はりきりようじゃないか」
「彼は今度青婦部の役員に立候補する。いちばんマークされてる一人だ」
 小野はいいながら、人混みの中を歩き出す。僕は彼と並ぶように人々をよける。自分が久しぶりに活気に満ちていると感じる。そうだ、久しく自分らしい喋り方や笑い方をしなかった。自分らしい喋り方や笑い方――そんなものがないとすれば、自分の好む、喋り方や笑い方――それに黙り方や、歩き方までも、こういったものはみないつもとちがう。これらはどれもこれも、あの頃やっていたやりかたなのだ。
「どのくらいになるのかな」と僕はいい、胸の中で算えはじめる。意外と記憶が混乱していて、月と月、年と年とが混じりあい、なにが去年のことで、なにが一昨年のことだか、少しもはっきりしてこない。実際、以前はこうじゃなかった。何年の何月にどこでなにをしていたか、僕はいつでも瞬時に答えることができた。あのころは自分に関する年鑑をひとそろい頭の中に持ち歩いていたのだ。僕はいつでも精確な自伝を書けたし、アリバイに困ることもなかったろう。ところが今では、自分の過去なんてものはどこに転がっているのだか、見当もつきはしない。
「岡はいくつになった」と僕はたずねる。
「二十歳だよ」
「そうか、二年か。もうそんなに経ったのかな。思いもよらなかった」
「そうか、そんなになるかい」と小野がいう。
 二年だ。精確に言えば二年半だ。すると僕はあの頃、そんなに若かったのか。それはまだすべてが可能な年頃といってよかったはずだ。ところが僕は自分をひどく老年だと思いこみ、あの日々をまちがって生きてしまった。
 僕らは奥のほうに座を占める。運好くそこの客が立ちあがったのだ。とても混んでいて、音楽、客たちのざわめき、コップの触れあう音、小野の声が届かない。ごたごたしたままのテーブルの上に小野は身を屈める。僕もそうする。
「さて、いったい、どこでなにをしていたのだい」と小野がたずねる。
 僕は手短かに、行った街や、就いた職のことを話す。
「別に、ここに帰ってくる必要はなかったんだが……」
「なぜ帰ってきたね」
「理由はない。僕は工場に入ろうと思った。けれども、自分の部屋が欲しかった。ここなら地理がわかっているから、手頃なアパートも探しやすい」
「じゃ、一人住まいしているのか」
「ああ。相部屋はもうごめんだったんだ。誰とも口をききたくなかった。でも工場へ入ろうと思ったときには、別の期待も……持っていたかもしれない」
「また、やりなおそうと思った?」
「そんなにはっきりしたものじゃない。でも、ほかには何ひとつすることがなかった」
「それで、いまは?」
「やはり、何ひとつすることがない。でも工場に入ってよかったと思うよ。ほとんど口をきかなくてすむ」
 ボーイがきて、テーブルを片づけ、注文をとる。ボーイはすらっとして給仕服がよく似合い、こういう職業にぴったりの整った顔だちをしている。片手にコップをのせた盆を持ったまま、その上でメモをとっている。器用な男だ。もう長いのだろう。彼はボーイだと僕は思う。彼はボーイにさせられている。ボーイにさせているのは、僕の眼だ。だが、彼はそう思っていない。彼は立ち去る。
「なぜ、君が消えてしまったのか、おれにはいまもってわからんのだ。説明してくれないか」
「僕は立ち去った。理由など必要だっただろうか。ある朝、ふと、僕は出発したんだ」
「君は寮になにもかも置いていった。君のおふくろさんが田舎から出てきて、すっかり整理していったよ。おれはたまたま岡の部屋にいて、おふくろさんに会った。泣きはしなかったが、いまにも泣くのじゃないかと思った。――おふくろさんに会ったかい」
「ああ。ひどく老けこみやがった」と僕はいった。
「君のせいだよ」
「わかっている」
 小野は身を退いて椅子に体を沈め、しばらく僕を見た。小野は少しも変らない、と僕は思った。僕は小野に対し、あるいは岡や広田や、そのほかの一人一人に対し、どれほど深い友情を抱き続けてきたかを、いってやりたくなった。だが、それはほんとうだろうか。僕は去った。僕は去り、かれらを捨てたのだ。ほかの生き方もできたにちがいない。いまなら、僕はなにを選ぶことも可能だったということがわかる。そして僕はこれを選び、ここに、こうしているのだ。小野はふたたび身を乗りだしてくる。
「まだ理由をきいていない」と彼はいった。
 僕は笑った。とまどったのだ。あの直後は、あれこれと理由らしきものを探してみたような気がする。あの頃は僕はまだ年鑑をしょって生きることに執着していたのだ。しかしまもなく、そんなことがすっかり終ってしまったことに気づいた。いつからか、僕は過去を思い出せなくなっていた。あの、幼時期や少年期や青春期の、美しい思い出とかいうやつが、少しも僕の心を動かさなくなり、同時に、僕を悩まし続けた、それらの時期へのつらい後悔の念とも、すっかり縁遠くなったのだと気づいたのは、そのころだった。僕はいつのまにか過去とは無縁に生きはじめていたし、過去の行為の動機を探ってみることが無意味なばかりか、いったいそれらの行為に動機があったなんてことが、もう信じられなくなっていた。僕はしばらく考えて、それからいった。
「理由は――それが理由だというのなら――おそらくいくつだって発見できるだろう。誰だって出発する理由くらい、ひとつふたつでなく持っているものだ。けれども、人はたぶん理由なんかで出発したりはしないだろう」
 ボーイがきて、飲物を置いて、立ち去った。小野は砂糖とミルクを入れ、飲物をかきまぜながら、つぶやく。
「ま、そりゃ、そうだろう……しかし……」
 僕は笑いだした。
「僕はあのころずいぶん欠勤していたんだ。それですっかりうっとうしくなっちまったのさ」
 小野は、びくっとして僕を見る。
「そんな単純なことで、党を捨てたのかい」
 単純なことで……僕はコーヒーを飲む……単純なことで……たくさんだ、僕はいまでは心理学に興味をもっていないといってやろう。
「おれには、どうもわからん」と小野がいう。「君は役に立つ男だった。君はおれたちの前に現れ、さぼっていた広田は、たちまち君と一緒に行動しはじめた。君らの職場は注目に価した」
「会社も注目したさ。それから僕はとばされ、もうなにもしなかった。そうだろ?」
「君には年寄りが扱えなかった。そのかわり、君は寮で動いた」
「ひどく自己を分裂させてね。会社で一日沈黙していて、寮に帰ると多弁になるんだ」
「そう、君は確かにそのことで悩んでいた。いまもっておれにはよくわからんのだが、あれはどういうことだったんだね」
「こわいのさ、人間が」と僕はいう。「特に大人がね。あのころはひどくこわかった。やつらをはじめて見たせいだろう。やつらがやつらの頑固な道徳で僕に向ってくると、僕は決してやつらを納得させることはできないと感じた。いまでもそうだが、いまでは、やつらを納得させる必要がなくなってしまった」
「そのへんがよくわからないんだ――君はマルクス主義者かね」
「ちがう。だが、あんたもちがう。誰だって、主義者じゃない。あんたはやつらの仲間だ。やつらと同じ感受性をもっている。だが、僕はちがう」
「君は労働者なんだ」
「残念ながらね。そして、そいつは何の意味ももっていない」
 小野は身を退いて黙り込んだ。周囲のざわめきと音楽とが、急に耳に戻ってくる。僕は広い店内を見渡した。どのくらいの人数がここに集まっているんだろう。彼らはその人生の途上でふと出会ったどこかの誰かと、彼らだけに通じる会話を交していて、隣の客が何を話していようと関心がない。そして店の外にはもっと大勢の人々がお互い無関心に歩きまわっている。その無数の人々の中の一人が僕の目の前にいて、小野の目の前にもいる。人々のただなかで僕らがここにこうしていることに、僕は漠然と何がしか感慨を抱いた。
 その時、小野が別の話題を持出した。
「君は大学では、どんな活動をしていたんだ」
 僕は何気なく問いに答え始めたが、答えているうちに徐々に、思いもかけず饒舌になっていった。
「たいしたことはしてないさ。落第生だからね。民青には入っていたが、党には入ってなかった。だから工場に来てから入ったろ。デモについていったり、ビラを撒いたり、あとクラスアジといって、講義の始まる前の、学生たちのお喋りでざわついている教室に入って、即席のアジ演説をやるんだ。みなお喋りに夢中で誰も聞いちゃいないんだけどね。小クラスは苦手で、百人くらいの教室が好きだった。たいていマイクのスイッチが入っているので、僕のひ弱な声でも、かえって小クラスよりも透ったんだ。ある日、たまたま知ったばかりのボール爆弾の構造を細かく喋った。この時だけだったな、みなしんとして聞いてくれ、終ると一斉に拍手してくれたんだ。かえって僕のほうが感動してしまった。そのとき思ったね、抽象的なことをいっても駄目だ。具体的に喋ればみんな聞いてくれる。でも僕は不勉強なので、結局一回きりだった。それに僕は気が変りやすいんで、何ヶ月か活動したら、また半年くらい下宿にこもってしまう。そんなことの繰返しだった」
「下宿にこもって何してたんだ」
「別に。あれこれ下らないことさ。僕はいつでも、自分が何をしたいのか、よく分らないんだ」
「そのへんは、おれにはどうも理解しにくいところだが――君が組合大会で堂々と執行部案を批判できた理由は分ったよ。そういう経験を君は大学でしていたわけだ」
「いいたいことが分っている時には僕は喋れる。僕がまったく喋れなくなってしまうのは、いいたいことがない相手に対してなんだ。そしてほとんどの相手に対して、僕にはいいたいことがない」
「それはつまり、雑談とか世間話とかが苦手だという意味かい」
「まあ、そうだけど、苦手というだけじゃなくて、興味が持てないんだ。たぶん……会話のない家庭で育ったし、友達も欲しがらない子供だったからなのだろう」
 小野はまた黙って煙草を吸った。こんなことも、あの頃は誰にも話したことがなかったな、とふと思った。あの頃はなすべきことがあった。ありすぎるくらいあった。あまりに忙しくて、たとえ少々悩んでも立ちどまってなどいられなかったのだ。
 小野はもう、さっきのように、椅子に体を沈めてしまった。僕もそうする。友情は、ただそれのみでは何の意味もない。もしそれが何かに向って役立てられるのでないなら、そんなものはいったい何だろう。女たちは愛しているということが好きだ。だが愛が愛から外へ出ていかないなら、それがいったい何だろう。しかし、僕らは僕らを何の役に立たせたらいいのか。小野は僕を見つめている。五分刈りの頭が四角い顔によく似合う。狭い額の横皺と細めの眼はいかにも人が好さそうだ。そして実際、好人物だった。彼はきょう僕に二年ぶりで出会った時、僕になにかを期待しただろうか。彼は僕をなつかしんだ。僕も彼をなつかしんだ。すべてこういうことは意味がなかった。僕はもう彼と会わないだろう。彼のがわにも僕と会う必要がないだろう。僕は岡とも会わないだろう。岡には僕が必要ではない。僕は誰にとっても必要ではない。
「あれから、ずいぶん大勢やめていってね」と小野がいった。
僕がたずねると、彼は指おりながら、いくつもの名前をあげた。それらはすべて多少僕を驚かせた。僕の知っている彼らは、いつもいちばん苦しいことに耐えて、自分に課されている責務をまちがいなくやりとおす彼らだった。僕が消えたときにも、人々は僕がいま感じているような驚きを、僕に対して持ったのだろうか。
 いくつかの、気になる名前が出てこなかった。僕はさりげなく訊いてみた。
「秋山さんはどうしてる?」声が少し震えたかも知れない。
「ああ、あれは元気だよ。設計からも何人か脱落したが、秋山は元気でやっている。そういえば君は秋山と気が合っていたな。そうだろ?」
「別に気が合っていたわけじゃない。ただあの人は多少本を読んでいたので、話題が合っただけだ」
「去年結婚したよ。どこかの集会で活動家の女の子を見つけてきた。社外の子だがね。秋山は社内の女の子にも、もててたんだけどな。設計でも人望があるから、今度は分会長をねらえるだろう」
 またしばらく話題が途切れたあとで、そういえば、と小野がいった。
「田村もやめたよ」
「いつごろ」と僕がきく。
「もう一年になるかな。彼女は同時に会社もやめた。君はまったく会ってないのか」
「二年半、会ってないね」
「そうか。先ごろばったり彼女に会ったら、結婚するとかいっていた」
 僕は意外なことを聞いたように思った。だがそう思うのはまちがっている。圭子だって結婚するだろう。もうそんな年なのだ。人々はみなその青春を終えたのだ。
「彼女は変ったかい」
「変ったね」と小野がいう。「別人のように変った。君のいない間に、なにもかもすっかり変ってしまったよ」
 小野は僕を見る。そういう小野だけは変っていなかった。小野は頑固に自分の道を守りとおしていくだろう。
 ふたたび僕らは沈黙する。それぞれの椅子に身を沈め、まるで、自分の尻の下にその柔らかな肌ざわりのあるのが当然だというふうに、クッションの上で少し尻を動かし、座り心地のよい窪みをつくり、そうして僕らは、その無機物の上に身を沈める、怖れ気もなしに……

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628:「失われた夜のために 新版へのコメント」 高原利生 by 高原利生 on 2016/10/11 at 22:20:55 (コメント編集)

 2016年9月の石崎さんの「失われた夜のために」新版を読んでのコメントである。
 石崎徹さんブログへのコメント『生きる構造』2016年9月14日 http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-925.html#comment626 の一部だったが、そちらが二万字を超え字数オーバーになったので、新しいコメントにする。

 (矢嶋直武氏の「失われた夜のために」批評が載った。充実した批評と思う。その批評についてのコメントを最後に追加する。2016年11月28日
 なお、2017年1月に、石崎氏による新しい「失われた夜のために」の改版がされ、正確に言うと、本稿は、改版前の「新しい」「失われた夜のために」へのコメントになってしまった。公開された「失われた夜のために」に三種類ある。その真ん中のものに対するコメントである。矢嶋さんの批評もそうである。
 追加された「序」には、あらためて感動する。旧版での忘れていた感動が蘇る。これ自体でいい短編小説になっている。
 ただ、どこかを見れば、各時点での、前の版との差が分かるようにするか、音楽で誰かがやっているように、変更の過程も作品と思うか、のいずれかが必要なのではないか?今の中途半端は困るのだ。コメントを何度も書き直し、石崎さんと、読んでおられる読者がもしおられればその読者にもご迷惑をおかけしている身にとっては、言えた義理ではないが。2017年1月9日)

 書き直し前の「失われた夜のために」を読んで感動し、感想をコメントに書いた。前に「嘔吐」を読んでいたら感動しなかったのかもしれないが、「嘔吐」は、あいにく持っているだけで読んでなかった。十数冊ほど持っているサルトル全集の中に小説は「嘔吐」だけである。
 持っていたサルトル全集の中で、まともに読んだといえるのは「方法の問題」だけで、ずいぶん、書き込みをしながら読んだのだが、外出時にも持ち歩いてメモを取っていて、本をどこかに置き忘れてしまった。同時に、ケイタイにも、ページを記入してメモを取った。しかし原本をなくし「世界の大思想」の「サルトル」に「方法の問題」も入っているのだが、当然、そのページは全集と全く異なるので、メモは、半分意味不明になってしまった。こんなこともあるのだ。
(教訓:情報は、断片でも、独立してそれだけで意味の分かる方がよい。危機管理上も必要である)

 新しい「失われた夜のために」を読んだ。題は同じだが、別の小説と思った方が良い。よくまとまった作品になった。削除を心配していた「帝国の歴史」が残ったのも良かった。しかし、今回は感動しない。
 感動しない理由が、「前の版を読んだ経験が邪魔をしている」ならいいのだ。
「平井真」は書き直してよくなったと思う。今回も書き直しが失敗だと言っているのではない。

 前の版は、個々の回の会話が面白く(今回も面白い)、よく構造が分からないため自分でまとめていく緊張と、それが最終章で一気に解決する到達感が感動を生んだような気もする。
 今までに読んだ石崎徹さんの作品は多くないが、良かったと思った中編は、「失われた夜のために」と「コスモス」だった。どちらも、作者の登場人物への視点に、驚くべき著しい特徴があり、驚嘆して読んだ。小説だけでなく、石崎さんの感性、態度、複雑なものをまとめていく構成力には、自分に全く欠けているもので敬意を持っている。「コスモス」の難解な構成には閉口しもしたが。
 矢嶋直武さんの「石崎徹の描く文学世界」(その5)http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-923.htmlの後半では、石崎徹さんの小説の登場人物への視点は批判されている。また「石崎徹の描く文学世界」(その4)で「コスモス」は取り上げられているが、「失われた夜のために」は取り上げられていない。

 余計な話だが、「失われた夜のために」の(その6)に、キリスト教の布教に来る女性が登場する。「使徒行伝」「黙示録」というエホバの証人なら使わない名称が出てくるのでエホバの証人ではないのかもしれないが、僕の家にエホバの証人はよく来た。石崎さんと違い、来る布教者は、何教に限らず、追い返さず、全て言いたい話は全てを聞くことにしている。ところが、半年ほど前に、エホバの証人に、高原のところにはもう行かないと言われてしまった。こちらからの質問に答えられないのが困るらしい。ホームページに「エホバの証人」を書いている。単なるテキストの羅列でできているホームページの、上から四分の一ほどのところにある(ホームページをHTMLで書いている。リンクの張り方が分からないので、こうなる)。
 気になるのは、エホバの証人の欠点と「マルクス主義者」の欠点に実に共通点が多いことである。したがって「エホバの証人」への怒りと「マルクス主義者」、左翼への怒りにも共通点が多い。全く余計な話になった。

 前に感想に書いた、最終章への内容の飛躍の課題は解決されていない。課題解決を求めたのがどういう内容だったかを語ろうとしても、それは改版に伴う本文の削除と一緒に石崎さんのブログから消えてしまった。こんなこともあるのだ。

 この私見による課題のためには、コメント626:『生きる構造』by 高原利生 on 2016/09/21 http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-925.html#comment626 で延々と述べてきた、答えのない答えの全てがいる。私見であるので真実とは違うかもしれない。以上は、全くの私見で愚痴である。

 最後は、次のように終わる。これが前の版とどう変わったのか、確かめることができない。あまり、変わっていないような気がする。

「彼が思ったのは、自分の空虚な人生に、どうやらなすべきことができたのかもしれないということ以外ではないだろう。ド・ロルボンでもなく、架空の帝国史でもなく、そのような、存在についての本ではなく、現象を記述してみるという試みのうちに、それまで彼を包み込んでいた空虚さとは違う手ごたえを感じ、それが地味なつらい仕事であっても、そこには労働の喜びとでもいったものが、見出せそうな気がしたのではなかったか。
 そして、僕にとっても、もし何かなすべきことがあるとするなら、それは僕の失われた日々、とりわけあれらの失われた夜について記述してみることなのではないか。書いたからといって、そこになにか意味が生じるわけではない。ましてあれらの夜を取戻せるわけでもない。それはただ、ひとつのちっぽけな魂が、このように彷徨したというだけのことに過ぎない。だが、それはたしかに僕であり、僕自身なのだ。それを記述する日々も、またひとつのラッキーセブンに過ぎないかもしれないが、しかしそこには、なにかしら、架空の帝国史を記述する日々とは違った何かが生れてきそうな気がする。これもまた錯誤であろうか。錯誤であるとしても、そこから出発しなければ、僕は永久に出発できないだろう。」

 石崎徹小説全集を作る時には、前の「失われた夜のために」も入れてほしい。


(以下、矢嶋直武氏の批評をめぐってのコメント 2016年11月28,29日追加,
同12月1日矢嶋さん原文修正のため追加)
「生き方」の物語

1.「失われた夜のために」には何人かの「生き方」の物語が登場する。作者石崎徹氏本人はこの作品では対象化できない。この作品で対象化できるのは「失われた夜のために」の序の作者、残りの部分の手記の筆者である「僕」、手記の多くの登場人物、手記の筆者の未亡人の「生き方」である。それに忘れてならないのは、架空の帝国の歴史物語、(当時の)共産党、(当時の)キリスト教の、人または人々の「生き方」である。

 矢嶋さんは、架空の帝国の歴史物語を、
「「私」が「序」のなかで《架空の帝国の歴史物語》と紹介しているそれである。「私」はそれを《意味をつかみづらく、しかも本筋とはほとんど関係がないので、読み飛ばしても差し支えない》と書いている。そこで本稿も以後この《歴史物語》には一切触れずに先に進むこととする」
と言われて無視する。
 しかし、序で「私」がどう言おうと、この作品にとって《架空の帝国の歴史物語》は重要である。

 矢嶋さんは、「作品に込めた「作者の思い」のうち一体どれほどのものを読み取ることができたのか」と石崎氏へのメールで述べられている。そして「作品の構造と物語の構成」から検討を始められる。全くの素人である僕には、「作品の構造と物語の構成」が区別されることさえ新鮮である。作品と物語、構造と構成の使い分けがよく分からないが。
 矢嶋さんは『「序」の筆者と「一」から「十」の章の筆者が別人であるにもかかわらず、両者の文体にほとんど違いがなくきわめて類似していることが気になる。せっかく作品の構造に凝ったのなら、両者の文体にも個性の違いが欲しかった』と言い、『「熱」は「対象を見つめる冷静な目」を曇らせ、「勢い」はその背中合わせに「荒っぽさ」を生む。また、「僕」と「作者」との間の間隔があまりにも近すぎることから、「僕」に対する「作者」の<批評性>の希薄さをも生みだす結果となっている』と言われたことは、そうかと心に残る。しかし今は置いておきたい。

2.石崎氏のブログ「植田与志雄氏への手紙」2016年9月14日 へのコメント626『生きる構造』  高原利生 2016/09/21 http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-925.html#comment626
 同じくコメント633『ポスト資本主義』  高原利生
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-925.html#comment633 で「生き方」について述べた。
 それは次のような内容であった。

 人と人類が生きるとは、事実を認識し続け、目的(価値)と手段の仮説を立て、手段の課題を解決すること、その仮説を検証すること、新しい目的(価値)と手段の仮説を作ること。それを続けることである[FIT2016]。
 これは、長年かかって得た「生きることの全体構造」の一つの結論である。

「生きる全体構造」は、「生きる一瞬の構造」における仮説設定、検証とその構造変更を繰り返し行う「生きる一瞬の構造」の運用である。

 私または私たちが生きるとは「私または私たち-関係-対象」を決めることである。
「生きる一瞬の構造」を、三つの階層モデルで近似するというのが仮説である。
 三つの階層は、
 認識像と行動像を作る解層:粒度決定、決定粒度と方法により決まる認識,行動像の総合体、
 これに影響する階層:認識,行動像の前段階にあってこれを規定する歴史像と未来像についての「世界観」と、これが規定する価値観、潜在意識、感情、態度、
 これを実現する制度、技術、科学、芸術の階層:認識,行動像の後段階にあって認識像、行動像を実現する「認識についての科学と芸術」「操作についての技術、制度」である[FIT2016]。(コメント626,633のまとめ終わり)

 これを、「失われた夜のために」の「生き方」がどうなっているか確かめようと思ったが、共産党、キリスト教を含め、これに当てはまる「生き方」はなかった。当たり前だったろうか?というか、これだけ見れば、根本的な共産党、キリスト教、石崎徹さんへの批判に見える。しかし、コメント626,633で求めた理想の「生き方」はどこにも、高原にもまだないのである。

3.矢嶋直武氏が紹介する本田神父の訳は「心底貧しい人たちは、神からの力がある」である。英訳では(いくつかの訳で共通に)「Blessed are the poor in spirit.」である。
 二つのポイントがあることを矢嶋直武氏は言いたいらしい。
 1)「貧しい」内容ではなく、「be blessed」を「幸いなリ」と静的に訳すのは間違いで「神の加護が与えられている」というやや動的な意味に理解するのがよい。
 2)主語が複数なので「人たちは」と訳すのが良い。その上で本田神父は複数の人々の共同を聖書が提起していると理解している。
 これらは確かに重要な違いである。
 ただ、分かりにくいので、矢嶋氏には修正をお願いしたい。

(と書いたら、2016年12月1日に次のように修正された。太字の部分が修正結果である。
 <心の貧しき者は幸いなり>という聖句はよく知られている。しかし、これを「誤訳」であるとする神父の存在は余り知られていない。神父の訳によればこの聖句は<心底貧しい人たちは、神からの力がある。天の国はその人たちのものである>となる。」(以上修正文)

 勝手に補足する。つまり、
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。“Blessed are the poor in spirit,for theirs is the kingdom of heaven." 」
が、本田哲郎神父の訳では、
「心底貧しい人たちは、神からの力がある。天の国はその人たちのものである」
に代わる。「彼ら」が「その人たち」に代わるのはこの訳だけから見ればあまり大きな違いではなかった。高原の誤解であった。2016年12月1日追加終わり)

 なぜこれを気にするかと言うと、理想、価値のとらえ方、その実現の仕方の性格が混乱していると考えるからである。理想、価値を「状態」ととらえず、過程、運動ととらえるべきという主張をずっとしてきた。何度も論文で触れたような気がして探してみたが見つからない。FIT2016でも直接には書いていない。実質的に「--し続ける」という表現でそれを表してしまった。
 高原利生ホームページの冒頭で触れている。
 高原利生ホームページの「本の読み方と根源的網羅思考」でも次のように述べている。
「歴史に残っている哲学者、思想家の当時の問題について書いた考え方、態度は、おそらく全て有益である。
 次の文がある。ドイツイデオロギー(マルクス、エンゲルス、国民文庫、p.68)の中にある文である。共著なので、双方が責任を負っている文だ。書いたのがマルクスなのかエンゲルスなのかは、広松訳の岩波なら分かる。
「共産主義はわれわれにとっては、つくりだされるなんらかの状態、現実が則るべきなんらかの理想ではない。われわれが共産主義とよぶところのものは現在の状態を廃止する現実的運動のことである」

4.矢嶋直武氏の「失われた夜のために」批評についてのコメントにすればいいのかもしれない。そうしないのは、前のコメント626と633を前提にしていて、結果として新しい内容がないこと、石崎徹氏の優れた小説の批評、感想ではなくなって、この作品の思想、哲学の全否定という予期せぬ結果になったことにもよる。コメント626,633で求めた理想の「生き方」はどこにも、石崎氏にも高原にもまだないのである。今の高原のコメント626と633は、全てをゼロから構成し直しており既存のものとは全て違ってしまうので、小説の評には向かないのだった。繰り返して言うが、石崎氏の「コスモス」と「失われた夜のために」は好きである。

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