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「民主文学」16年10月号

 原 健一「『ちょぼくれ』と出合って」

 少し変わった作品。小説的部分とそうでない部分とが混ざったような作品。だが、読ませる。
 日本における唯物論哲学の草分け的存在(らしい。ぼくは知らない)の永田広志から話は始まる。43歳で死んでいる。戸坂潤も三木清も獄中で40そこそこで死んだが、永田は獄から出てからだったが、やはり同じころ同じ年ごろで死んだ。山形村と書いているので山形県と勘違いした。長野県の山形村である。
 郷土に永田広志研究会というものがある。鰺坂真の本をテキストにしてやっている。著者はその一員で、永田について書いて発表したりもしているようだ。その研究会と仲間たちの話、そこで話し合われたことなどを書いたり、永田自身について書いたりしながら話は進んでいく。ところが途中から百姓一揆の話になるのである。
 幕末に「木曽騒動」というものがあった。百姓が暴徒化して豪農を襲った。ところが明治になるとこの豪農階層の家から知識階級が出てきて、自由民権運動から普選運動もやり、唯物論哲学の永田広志もそういう百姓一揆の標的とされた家の出身なのである。
 ここに興味を持った著者は木曽騒動の研究に入っていく。そこで出てくるのが「ちょぼくれ」である。
 <帰命頂礼/ちょぼくれ/ちょんがれ>
 これは阿呆陀羅経で、木魚で音頭を取りながら世相を風刺するものである。そういう形で木曽騒動を伝えている。
 <月日の光は海からつんでる/騒動起こりは谷からつんでる。時に聞きねえ/慶応二年の寅の八月十七日の夜半に>
 こういう感じである。リズム感をもって歌いながら百姓一揆の一部始終が物語られていく。

 郷土史を伝える実物資料の発掘と紹介は大事な仕事だと思う。具体的な資料があって具体的に語られて、具体的な像が目に浮かぶということが大切なのだ。自分たちの祖先が自分たちの土地でどのように生きてきたのかを知ることは、人々の生活や思いにそれなりの影響力を持つだろう。

 野里征彦「月と人形」

「こつなぎ物語」の野里征彦である。「こつなぎ物語」は「上」「中」が連載されて、「下」は連載なしにそのまま本になった。ぼくは実は「上」だけしか読めなかったのだが、たいへん面白かった。絶版になっていた岩波新書の「小繋事件」をアマゾンで買った。しばらくして岩波が再刊した。「まがね」で書評を書いたら、読者が興味を持って岩波新書を買って読んでくれた。「まがね」も多少はそういう役は果たしている。
 それは余談。
 この作家はこういう土着風の人物像を作り上げるのがとてもうまい。東北弁を交えながら、「こつなぎ」では農民の、今回作では漁民の、具体的な日々の生活を細かく書いていくことで、そこにひとつの世界を作り上げる。「こつなぎ」では東北弁がいくぶん過剰でとっつきにくさがあったが(それも読み進むうちに慣れたが)、今回は控えめの東北弁で読みやすい。
 津波で娘と孫娘を失い、ほどなく妻をも失って一人きりになってしまった老漁夫の物語である。周囲の人々が気にかけて何かとかまってくれ、本人も徐々に気力を取り戻すのだが、やはり寂しさを克服できない。そして最後は死んだはずの孫娘が出てきて、雪の夜、二人で雪だるまを作り雪合戦をしているうちに息絶える。その死に顔は幸福そうに微笑んでいた。リアリズムの世界から一挙にメルヘンの世界へと移っていく。悲しくも美しい物語だ。
 この結末は議論になるかもしれないが、ぼくは支持する。こういう話も必要だ。
 だがタイトルには一工夫ほしい。
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