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稲沢潤子「ある謝罪」(「民主文学」16年10月号)

 鳩山由紀夫と「最低でも県外」の問題である。それがあえなく挫折し、やがて政権が自民党に代わってからのこと。沖縄での県民集会に鳩山が姿を見せ、集会参加者たちに頭を下げて歩いたというのである。その後鳩山の講演会があって<私>は出掛けた。鳩山の謝罪を直接目の前にしただけに、彼の発言に興味を持てたのだ。以下鳩山の講演内容。
 自分は本気で沖縄県外へ持って行くつもりだった。ところが、米軍の極秘文書が外務省からまわってきて、その内容は「基地は沖縄の訓練場から120キロ以内でなければならない」というものだった。これは日米の協約であって、破棄できない。120キロ以内ということは沖縄から外へは持ち出せないことを意味する。それで自分は最終的にあきらめたが、極秘文書なのでその内容は公開できなかった。秘密の期限が切れたので、その文書について協力者を得て調べている。ところが外務省は今になってそんなもの知らないと言っている。米軍のマニュアルにもそんな記載はない。
 作家はただ講演会で聞いたままを報告している。その発言に同情的ではあるが、作家としての結論を述べようとはしていない。複雑な裏取引のある事柄なのだから、短い小説の中で判断しうることではない。作家はただ鳩山の発言を書いた。それに沖縄県民集会での鳩山の謝罪を付け加えた。そういうものを読者に提供した。ひとつの情報として提供したのであって、読者の判断を強制しようとはしていない。
 だからそのこと自体は正当な言論行為だと言える。
 また作品全体は文学作品としても楽しめる柔らかみのあるものになっている。実際楽しく読んだ。
 ただぼくが気になってしょうがないのは、作家というのはなぜ何でもかんでも小説にしたがるのだろうということだ。
 鳩山は作中では鳩山ではない。H元首相である。そして作家の名は潤子ではない。聡子である。苗字は書いてない。
 その他の登場人物はみな私人であるから偽名で書くことに何の不自然もない。プライベートを公開する必要はない。だが作家と公の人物とはそれを偽名で書くとしたら偽名で書く理由がなければならない。たとえ、ストーリーや設定や公人以外の人物に作った部分があるとしても、公人の発言内容が事実そのままであるなら、それを偽名にしなければならない理由はない。
 この場合あえて理由を探そうとしたら、「作家はこの件に責任を取りません」という逃げ道用意としか考えられない。事実誤認やその他で責められたときに「あれは小説なんです」という言い訳をあらかじめ用意していると思うしかない。
 ぼくの言うことはおかしいだろうか。明らかに一人の公人の、それもプライベートではなく公の発言を書くのに、その人の発言とはっきり分かる形で書きながらなおその名を偽名にする理由は何なのか、とぼくは問うているのである。
 それともこれは本当に小説なのか。つまりすべては作家の空想力で生みだしたストーリーであって、真実はひとつもないのか。もちろんそういう小説だってあってよい。しかしそのときには(エイプリルフールじゃないのだから)これは全くのフィクションですと一言断るべきだろう。(鳩山をHと書いたからそれでいいということにはならない)。
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