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日本共産党について(前衛)

4、前衛について
 前衛というものはもう必要ない、というかありえない。民主主義の一定程度定着した社会では、それをどれだけ実質化していくかということだけが問われる。前衛、後衛という段階はもう過ぎたのである。社会の構成員全員がどれだけ広範に実質的に参加できるかが問われているのであって、前衛による革命は結局前衛による支配を確立したに過ぎなかった。それは後進社会の話である。
 「労働者の権力」などという言葉がいまだにネット上に散見されるのに驚く。共産党だってもうそんな言葉は使わないだろう。歴史上、労働者の権力と思われていたのは、実は共産党の権力にすぎなかった。それもきわめて封建的な内部構造をもつ共産党の権力だから、実質は党幹部、ある場合には一個人の権力だった。共産党とはその下に組織されたマフィア(利権集団)にすぎなかった。
 それはあるいは過去の話であり、あるいは中国といくつかの国の話である。いずれにせよ後進国での話だ。だが、先進国では、それはもっと抽象的な概念になってしまう。
 先進国では、第一に、労働者はもはや失うものを持たない人々ではない。失いたくないものを数多く持つ人々である。
 第二に、彼らの価値観も生活スタイルも多様化している。
 第三に、彼らの周囲には持ちきれないほどの情報があふれている。
 そもそも、かつて無知な人々を集めて労働者の権力などと呼んだことが間違いであった。彼らを組織する方法が封建的な方法でしかありえないことは明確であったろうし、スターリンも毛沢東もいわば歴史の必然であった。
 権力に関する考察がいい加減だったのだ。
 そしていま、我々の眼前にいるのは情報にどっぷりつかった労働者であって、無知な労働者ではない。
 そして我々の前にある道とは、その一人一人の選択に委ねられた道である。
 前衛が後衛をひっぱっていく時代は終わった。一人一人が何を選択するのかという時代なのである。
 ぼくが40年以上前から、共産党にいい加減捨ててほしいと思い続けている単語がある。それは「学習」という単語だ。この単語には啓蒙主義のにおいがプンプンし、のみならず、パブロフの犬を思い起こさせる。
 「自覚的」とか「民主的」とかいう用語も嫌いだ。まるで自分たちだけが自覚的で、ほかの人々は無自覚的であり、自分たちだけが民主的で、ほかの人々は非民主的であるかのような言い方だ。
 こういう思い上がった前衛意識をきれいさっぱり捨てなければならない。
 いまは人々に教える時代ではない。人々と話し合って合意点を見つけるべき時代である。
 おそらく現場の党員たちは身近な問題に関する限り、それをすでに実践しているのだと思う。ところが問題が少し大きくなると、彼らは沈黙してしまう。それは微妙な問題である、中央で判断せねばならない問題である、というわけだ。なるほど確かに集中制だ。だが、民主的ではない。重要な問題に関してひとりひとりが自分の意見を持たねばならないだろう。また周囲の人々の意見を中央に上げていかねばならないだろう。だがそのルートは詰まっている。民主集中制のもとでは必ず詰まる。なぜ歴史の経験に学ばないのか。もし「学習」するとすれば、そういう「学習」が必要なのだ。中央の文献ではなく、現場の実際、歴史の実際から「学習」すべきなのだ。
 党中央こそが「学習」せねばならないのだ。
 以前、不破哲三が中国訪問後に書いた本を読んだが、びっくりしたのは、せっかく中国へ行きながら、「自分は理論対話のために来たのだから」という理由で、いっさい一般国民と接触しようとせず、御用学者たちとだけ無意味な抽象論を語りあって帰ってきたことだ。まあ、もう歳だから仕方ないかもしれないが、彼には「学習」意欲がすでにないのである。
 以上「前衛」問題についてはこのくらいとする。
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