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瀬峰静弥「ゆうたのこと」(「民主文学」16年10月号)

 今年は「民主文学」をほとんど読めていない(去年もそうだったような気がするが)。
「まがね」の合評が終わったので、月例会は「民主文学」の合評に移った。おかげで読む気になった(ならざるを得ない。怠け者にはちょうどよい)。
 他支部ではどうだか知らないが、まがね例会での「民主文学」合評はかなり手厳しい。「まがね」作品に対するよりも厳しい。横から見ていると、「まがね」作品の方が「民主文学」作品よりも上かと思うだろう。
 ぼくは常に遠慮せずに思ったとおり言っているつもりだが、みんなが悪口ばかり言うと、(天邪鬼だから)逆にこういういいところもあるよ、と言いたくなったりもする。

 瀬峰静弥である。14年5月号の「送別会」は読んで感想を書いた。あまりいいイメージではなかった。で、期待せずに読み始めた。ところがなかなかいいのだ。
 冒頭から引き付ける。軽めの文章のリズム感がいい。人物にも存在感があるし、話も面白い。
 ところがなにか違和感があるのだ。時代がうまく浮かび上がらない。いつの話なのだろうと思ってしまう。
「写メ」という言葉が出てくる。「写メ」は2001年以後の言葉だから、基本的にこの10年ほどの間の話ということになる。「めっちゃ」もはやり始めたのは最近だなと思っていたら、これは関西弁で関西では昔から言っていたそうだ。(ぼくは京都に8年いたがはっきりした記憶がない)。全体に関西弁風だが、京都、大阪の都会的関西弁とはまったく違う。田舎風の関西弁だ。著者を調べてみると名古屋方面の人のようだ。
 ストーリーを追って時間経過を見てみる。
1、<この田舎路線の車掌になって5年目の僕>
 いま書き写していてやっと気が付いたが、この文章に読者は騙されるのだ(ぼくだけかもしれないが)。<車掌になって5年目>なのではない。<この田舎路線>に来て5年目なのだ。高校を出て<車掌になって5年目>と思うから<僕>(田中)は23歳なのだと思ってしまう。最初にそう思い込んで読んでいくから読むほどに食い違いが生じてくる。
 とりわけラスト部分は全く理解できなくなる。
 <僕は僕自身の未成年を振り返る。職業高校を出て運よく鉄道会社に就職した……たった一人で真夜中じゅう通過する寝台車や貨物列車の信号を出し続ける仕事をしていた十八歳の僕>
 <僕にだってそれなりの青春はあった。恋人がいて一緒にカラオケしたり遊園地に行ったりした>
 田中が23歳だと思っているから、この部分はとうてい理解できない。これは23歳の回顧ではありえない。そしてそうなのだ。<この田舎路線の車掌>になってから5年目で、<運よく鉄道会社に就職>したのはもっとずっと前のことなのだ。
 この田中が寮生活をしていたりするから、てっきり若いと思い込んでしまう。カラオケをした青春だし、中学生を<僕の弟>と触れるくらいだから、それが不自然でない程度には若いのだろう。だが、上記引用部分から言うとそこそこ年を取っていないと釣り合わない。年配がわかるような記述が見当たらない。思い込みのせいで見落としたのだろうか。
 この冒頭場面の夜遅い列車に乗っている<ゆうた>は<学校に行っていたら高校二年>である。だが話はすぐに<ゆうた>の中学時代にバックする。つまり2年戻る。列車通学時のいくぶん不良がかった<ゆうた>と車掌の田中とのふれあいが語られ、やがて寮に連れてきてカレーを食わせたりする。そのあと<ゆうた>は卒業してペンキ屋見習いとなり、列車通勤している。
2、<寮へカレーを食べに来た日から一年が経とうとしていた>
 カレーを食べに来たのは中学生のときだから、ここで描かれるのは、<ゆうた>の高校一年相当の年齢のときということになる。つまり冒頭場面(高校二年相当)の一年前である。その日、田中は<ゆうた>の家を訪問する。夏の終わりである。<ゆうた>の祖父母や母親との出会い、<ゆうた>の父親に関する話などがある。
 そしてラスト、<ゆうた>は朝一番の列車に乗っている。これが冬なのだが、いつの冬だかがわからない。ふつうに読むと、夏の終わりに<ゆうた>の家を訪ねた年の冬だろう。つまりそれは冒頭場面より一年前ということになる。
 つまりラストから一年経って冒頭に来るのである。間が一年抜けている。そこにどういう意味があるのかがわからない。それともラストは冒頭と同じ年なのだろうか。だとするとラストの手前で一年飛んでしまう意味がわからない。

 何が言いたいかというと、ひとつにはそれがいつのことだかわからないようでは困るということ、もうひとつは、小説はストーリーが終わった時点で終わらねばならないということだ。もしどこかで(ラストの手前にせよ、あとにせよ)、一年あけるのだとしたら、一年あけた意味がどこかになければならない。
 どうでもいいことにこだわっていると思うかもしれないが、ぼくが小説から受け取りたいのは雰囲気なのだ。そこに何らかの統一したイメージを読みとりたいのだ。時間の経過や時代背景に齟齬があると、そこをうまく感じとることができない。時代背景についてはぼくの読み間違いがあったが、読み間違ったのは果たしてぼくだけだろうか。そして、時間の経過には合理的な説明がつくだろうか。
 全体としては気持ちよく読んでいける作品なのに、そういう欠陥部分で引っかかってしまうのである。
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