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石崎徹の描く文学世界  矢嶋直武 (その1)

 矢嶋氏の書いてくれた「石崎論」を、少し照れくさいが公開する。これはご本人の承諾を得たもので、この公開によって石崎文学への関心が少しでも高まってくれればよいと矢嶋氏は言われている。感謝申し上げる。批評対象となっているのは、「まがね」掲載作および当ブログで公開しているものである。
 400字詰めで50枚くらいあるので、標題に沿って五つに分ける。「はじめに」を除く四つは、主として4作品の批評となっている。それぞれに適切な標題をつけてくださった。このことにも深く感謝する。

目次 
 ■はじめに
 ■《空っぽ》の意味するもの──「三郎のふしぎな日々」をめぐって
 ■小さくされた者──「盗難」をめぐって
 ■果てしなき議論の後──「コスモス」をめぐって
 ■労働者の一分(いちぶん)──「朝」をめぐって

      石崎徹の描く文学世界
                        矢嶋直武

■はじめに
  
 わたしと石崎との出会いがいつであったのか、それについての確かな記憶はない。いや、<出会い>と言ってもわたしはこれまでまだ石崎に直接会ったことはない。したがって、早い話彼がどんな風貌をしているのか、大柄な人なのか小柄な人なのか、わたしは何も知らない。ただ、わかっていることはただ一つ、わたしは彼の「ブログ」をとおして彼を知ったということだけである。
 人は誰でも、映画を観たり小説を読んだりすればそれについて誰かと話しがしたくなる。あるいはまた、他者(ひと)はこの映画を観てどう思ったのか、この小説を読んで何を感じたのか。そのことを知りたいと思う。実際、若い頃のわたしは「文学界」「群像」「新潮」といった文芸雑誌を読むと必ずその月の新聞の「文芸時評」を楽しみにしたものである。そして、一つの作品をめぐって文芸評論家の〈読み〉と自分の〈読み〉とを引き比べながら、それに共感したり反発したりしながら「文学」というものについての自分なりの考えを育ててきたという記憶がある。わたしと石崎との出会いもまさにそれなのである。
 「民主文学」という雑誌は間違いなくマイナーな文芸誌であり、そこに掲載される作品が一般ジャーナリズムで取り上げられることは皆無といっていい。わずかにそれらの作品評に接することができるとしたら、それは「民主文学」あるいは「しんぶん赤旗」の文芸批評だけなのだが、しかし、両者とも批評の傾向はおおむね<社会的・政治的>側面からその積極的な意味を評価するといったものが多く、作品に対する〈文学的〉な側面からの追及は概して弱い傾向にある。むろん、それはあくまでもわたしの印象であるから、読み手によってはそう思わない人もあるかもしれない。いずれにしろ、そんなわたしが、ある日、暇に任せて慣れないパソコンをいじっているうちに、偶然、石崎のブログに出会ったのである。石崎のブログはすこぶる新鮮で刺激的であった。あれこれ読み進むうちに、文章の内容から彼がわたしとほぼ同世代の人間であるらしいこともわかってきた。また、彼は「民主文学」に載る作品をしばしばブログで取り上げていたが、その批評姿勢は大変に真摯であり、内容は的確にして、柔軟であり、文学的であった。石崎は〈文学のわかる人〉である。そう思ったわたしは、以来、石崎のブログの愛読者となった。そして、それをきっかけに石崎の創作にも接するようになっていったのである。
 以上がわたしと石崎との出会いの経緯であるが、本稿では、そのようにして出会った石崎の個々の作品に触れながら、わたしが石崎の作品をどんなふうに読んできたかについて語ろうと思う。言うまでもなく、作品の解釈は多様であってそこに正解はない。これから述べるわたしの解釈は、作者である石崎が作品に込めた想いと必ずしも重なるものではないかもしれない。しかし、文学作品を読むということは、作者の意図にたどりつくことを必ずしも最終の目的とするものではない。したがってこれは、<わたしはあなたの作品をこんなふうに読みましたよ>という、いわば作者に宛てた私信のようなものであり、そこにはわたしの嗜好も当然色濃く反映されたものとなるに違いない。
   
 石崎徹。1946年生まれ。広島県福山市在住。出身地はわからない。作品「あこがれ」(まがね56) のなかに《出身地を訊かれると、ややこしいので福山と答える》という記述があるから福山でないことだけは確かなようだ。また、別の個所には《十八で出生地の大学へ入った》とあるが、具体的な地名は書かれていない。
 現在「まがね」(編集・民主文学会岡山支部)を中心に創作活動をつづけている。長瀬佳代子(「まがね」同人)の文章(「真金吹く吉備」まがね55)によれば、岡山支部の発足は1976年、「まがね」創刊は1977年のことだという。石崎がいつからこの「まがね」に参加するようになったのかそれは不明であるが、それからしばらくして、彼は1989年ころに一度「まがね」を離れている。それは石崎が「まがね」に復帰した年(2011年)に書いた「ごあいさつ」(「まがね」51)によって知ることができる。石崎はそこに《久しぶりに「まがね」に復帰した。三十年くらい経っていると思っていたが、二十二年であった》と書いている。22年間とはまたなんと長い空白であることか。石崎が一旦入会した「まがね」をなぜ離れたのか、また、離れている間、石崎はいったい何処で、何をしていたのか。詳しいことは何もわからない。ただ、「ごあいさつ」の中では《ほぼ半年は、政治評論ばかり書いていた》とあり、この間に興味を持って読んだ本の名を10数冊列記している。その多くは政治的、社会的な問題に関連する著作であって、文学に関係したものは少ない。わずかに<村上春樹・ドストエフスキー・浅尾大輔>の名を見ることができるのみである。石崎がいかに政治や社会や経済に深い関心を寄せてきた人であるかがよくわかる。ただ、二十二年間「まがね」を離れていたとは言え、一旦は「まがね」に草鞋(わらじ)を脱いだ人間である。当然、「まがね」に入会したということは文学に対する浅からぬ関心があってのことに違いない。ならば、その頃の若き石崎はどんな文学的関心を抱いて「まがね」に入会したのだろうか。それを知るには、70年代、80年代に彼が書いた作品を読むのがもっとも手っ取り早いわけだが、しかし、残念ながら復帰以前に発行された「まがね」をわたしは持っていない。
 ただ、ブログの中には80年代に書かれたと思われる作品も幾つか載っているので、それらを手掛かりにしながら<石崎文学の描く世界>をわたしなりに歩いてみようと思う。
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