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「浜野論」への批判

 発表当時、「浜野論」はさまざまに批判された。なかでもぼくがわざと挑発的に書いた部分へは、すさまじい反発が来た。
 具体的には2点。
1、ムルソーの処刑が正当か不当かは一概に言えないと書いた部分。
 これはカミュの愛読者から、「異邦人」を読み間違えているという批判が来た。そういう反応を承知で書いたので、ある意味うれしい反応ではあったのだが、続く文脈の中で解釈してもらえれば、その意図的な挑発の意味は分かるはずだと思ったので、ぼくは反論しなかった。
2、「火の方へ」の利数が障害者となることで他人事をわがこととしたと書いた部分。
 他人事をわがこととするためにわざわざ自分が障害者になる必要はないと、これも激しく反発された。
 この部分は作家に対して失礼かなと気にしながら書いたのだが、「火の方へ」に対する批判があったのである。「火の方へ」の18歳の主人公利数は、物語の最後で障害者となる。ところがストーリーのどういう必然性から障害者となったのか、それがまったく見えないのだ。ただ事実そうなったので事実のままに書いたのだとしか思えない。小説としてはそれではダメなのではないかとぼくは思っていた。
 もちろん人はいつでもいきなり前後の脈絡なしにどういうことに遭遇するかわからない。それは現実である。しかしそれを書くとそれが物語のテーマになってしまって、そこまでのストーリーがまったく消し飛んでしまう。そこまで作者がながながと書いてきた内容とラストを無理に結びつけるとすれば、ぼくの書いたような解釈をするしかない。
 それ以前にぼくは作者に対して、「利数はなぜ障害者になったの」と問いただしたことがあった。それを聞いた作者が、「そうか、そうならない結末もあったのか。ぼくはただ事実そうだったのでそう書いてしまった」と答えた。つまり、このラストは小説の必然からではないのである。

 ぼくはもちろん1も2もちゃんと説明すべきであった。「じつはわざと挑発的に書いていまして……」とまでは言ったのだが、そこで他の人からの「そうだろう」と納得するような反応があったりして結局ぼくは黙ってしまった。

 ほかにもいろいろ言われた。
 他人事とわがこととが絶対的な対立関係で、この対立はいかんともなし難いのだ、という部分を批判され、また心理をもっと抽象化して観念にすべきだと書いたことを批判された。
 文脈のなかで言葉を受けとってもらえなかった、言葉をただ彼らが日常使っているだけの意味でしか読んでもらえなかったと思った。
 ここは簡単には説明できないことなので、いまはここまでにする。

 論が浜野博の小説を離れすぎているという批判は当たっていると思う。

 もう一、二点。
「読者がこの小説に嫌悪を感じることがあるとすれば……」と書いた。これはもっと言葉を選ぶべきだった。ここは作者に具体的な説明を求められたが、ぼくは言葉を濁してしまった。「まがね」以外の場所にいくつかの読書会を作ったり壊したりしていたぼくには、「まがね」を読んでもらい感想を聞ける人が何人かいて、その一人が「この小説は嫌だ」と言ったのだ。別に障害者に偏見を持っている人ではない。むしろそういうことも真剣に考える人であったが、書き方が気に入らないという。その嫌悪感がどこから来るのかなと考えてああいう表現になった。

 利数と年数の類似について。
 その類似に触れたとき、それが偶然であって浜野博がそういう細工をする作家ではないのをぼくはわかっていた。その旨書こうとしてやめた。そこを作者に指摘された。
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