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<他人事>から<わがこと>へ (その2)

      2

 <とすれば、私にとって祖母とはいったい如何なる存在なのであろうか>

「祖母ふたり」は鎮魂歌である。それ以外の何ものでもない。この点を読み違えた読者は最初からこの小説の解釈を間違えてしまっている。
 鎮魂とは宗教的行為である。だが文学とは宗教的行為以外の何であるだろう。先に述べたように、それは切り捨てられたものを復活させる行為であり、謂わば落穂拾いである。それは現実の行為によっては救済しえないことがらに対する魂の救済行為である。人間は果たしてこれなしに生きていくことが可能だろうか。
 <これから四十九日の法事まで、週に一度ずつ縁者が寄って故人を偲び合い、そして、雑然たる日常の些事の中で次第に忘れ去っていく。一人の人間を記憶から緩やかに消し去ることを、故人に対しても生きている互いの間でも無理なく認め合うために、七日毎に七度集う約束事は必要性をもって生み出された――>
 こうした宗教的行為は人間性の本質に根ざしている。だが故人の魂がすでに存在しないと考える無神論者にとって、宗教的行為とは何だろう。<無神論者の看板を掲げるつもりはないが、死後の世界は完全な無……と考える私>
 無神論者の鎮魂とは何か。それは誰に向かって何のために捧げられる歌なのか。それは果たして可能なのか。
 とりあえず、鎮魂にふさわしい描写をいくつか拾いあげよう。
 <私>が生前の祖母こひでを最後に見たのは、<夏にさしかかる頃>で、いっとき快復したこひでは<私>の部屋を訪れ、<私>との間に言葉少ない会話を交わして、やがて去っていく。<正午を知らせる役場の音楽サイレンの音が、わずかの東風と一緒に窓から入って>くると、<「おりゃ、もう十二時か」>とこひでは呟く。<「十二時でも何時でもええわ。日が暮れたもう晩かぁ思うし、外が明こうなったら、また夜が明けたか思うし……」帰るとも言わずに、祖母は再び危うげに引きずるような足どりで、部屋を出て行った>
 <私>は数少ない祖母こひでに関する記憶の中から一瞬の美を掬いあげようとする。それは美に対する忠誠か、こひでに対する忠誠か。だが、その問いは無意味だろう。現実に存在するのは美しいものであって、美ではない。
 <「マチ子がなあ」私が仰向きになるのを助けながら、母は言った。小学二年生になる妹の長女のことである。「夕方からおばあさんの枕元にじいっとすわったまんまで、線香がのうなりかけたら黙って新しいのと点け替えてやるんじゃで」(略)「おばあさんは腹も顔も膨れ上がってなあ、いっときはお化けみたような顔つきになっとった。(略)マチ子は全然怖れもせんと、おばあちゃんを自分が守ってやっとるような気持ででもおるんじゃろうか」私は、言いかけた言葉を呑みこんでいた>
 曾祖母の怖ろしげな遺骸の前にじっと坐りこんで、黙って線香を点け替えてやる七つか八つの少女。この少女が自らの行為によって死者から受けとる人間的なもの、そのようにして、死後もなお他人に対して意味を与えることのできる、一人のお年寄り、それによって掬いあげられるこひでの生。
 これらの描写は、無神論者でないとしても鎮魂歌でありうる。だが無神論者である<私>にとって、これらはまた別の意味を持ってくる。鎮魂歌にふさわしいこれらの心にしみとおってくるような美しい描写は、実は「祖母ふたり」の中にわずかしかない。残りの大部分は感情の渦巻く激しい世界である。だが作中の何個所かに巧みに配置されたこれらの描写においてこそ、<私>は生きることの意味を根源的に問おうとしているのだ。我々は最後にもう一度ここへ帰ってくるとしよう。

 無神論者の死は救いようがない。<死後の世界は完全な無>だとしたら、死に対して我々はお手あげである。死後の復活を信じる魂には平安がある。そうでない者には恐怖がある。
 <棺に入って送り出されて行くときとは異なって祖母がすでに人間のかたちを失い、一人分の骨と灰に姿を変えているのだという認識は、もう一度私をひそやかに戦慄させた>
 <私は自分が怯えているのがはっきりと分かった。私を落ち着かなくさせているのは、まぎれもなく恐怖であった>
 恐怖は空想力の産物である。どこかの哲学者のように、死と恐怖とは両立しえない、ゆえに死は恐怖ではないと強弁してみても無駄なことだろう。しかし我々は死をまぬかれるわけにはいかないし、何とか折れ合うしかない。死は解決不可能なのだが、我々は死を解決しなければならぬ。再び希求と現実との乖離にぶつかった。政治は死を解決できるか。確かに、よりましな死に方にすることはできる。それだけでもたいしたことだし、政治は無力ではない。それにしても人はいつか死ぬ。
 それに<不幸や理不尽な死>(「火の方へ」)が現在ただいまのことである我々にとって、政治的努力による未来の解決を約束されるだけで事足れりとするわけにはいかない。我々は今日を生きていかねばならず、現実がまだ解決していないものを精神において解決せねばならない。ここに鎮魂歌の果たすべき役割があろう。
 だが、それは解決されてしまっていいのか。行為において現在解決しえないものを、精神において解決してしまうことは、行為による未来の解決の可能性を殺してしまうことにならないか。のみならず、それは結局精神による欺瞞行為となってしまうだろう。我々に要求されているのは、こういった矛盾そのものを生き抜くことである。
「祖母ふたり」の中で、<私>はあくまでも覚めている。
 <いずれは、私もまたある一瞬を境に、祖母たちと同じ無の世界へと踏み込むときを迎えねばならない>
 生の先にあるものは無である。無神論者は生の目的を設定できない。生は消え去り、無となってしまうものだ。ならば、人は何によって生きるのか。目的のない生をいかにして維持し、方向づけることができるのか。
 <私はさいわいにも、死生に関して虚無に引きずられる思いは抱いていない>
 <私>がこう断言できるのはなぜなのか。<私>の生は何によって支えられているのか。

 祖母こひでは、<二度の入院をはさんで死ぬまでの一年余りを病み過ごし><日により時によって痴呆と正常との間を往来>し、<波のように高まり寄せてくる死の戸口からの誘いも幾度か払い退け>る。
 こうして永びいてくると、これを看護する母の疲労も激しい。
 <傍らに寝ていても夜中に二度三度と汚す下の始末で、母はほとんど満足に眠ることができない>その上に、胸から下が完全にマヒしている<私>の介助と、三人の孫たちの世話とで<指先でつついただけでぶっ倒れそうなほどに疲労困憊>している。父と弟夫婦とが魚屋稼業で一家の生計を支えるために出払っている以上、家に残る弱者たちの日常は、母一人の肩にかかってこざるを得ないのだ。
 このまま行けば、<祖母よりも先に母の方が消耗し切って、「持って行かれる」><それだけは勘弁してくれ>母親に死なれてはたまらない。そんなことになれば<私は再び障害者施設への入所を余儀なくされるであろう>
 ここで読者はのっけから<私>のあからさまな利己主義と直面することになる。
 祖母の死を目前にして<私>が心配するのは母の<共倒れ>であり、それも母への愛からというよりも、母を失えば、<私>が住み心地のいい我家から施設へと移らねばならないからである。
 <私>は囁く。<――もうおばあさんは充分に生き足りたと言えないか。母親までも道連れにするようなことにならぬ間に、このへんで先に去ってもらってはどうだ――>
 <私>は聖者でもなければ自己犠牲的な人間でもない。<私>は生きたい。それも境遇の比較的恵まれたこの家で生きたい。それには、ばあさん、あんたは邪魔だ、早く死んでしまってくれ。
 <私>は三十六歳。十八歳のとき頸椎損傷で下半身不随となり、以後十八年間寝たきりである。今では、瀬戸内海に面した狭苦しく坂の多い漁師町で、両親の家の庭に建て増してもらった小部屋で日々を送っている。この小部屋から家族のいる母屋へと入っていくことは、車椅子の通行不可能な日本の古い家屋構造にあってまず困難である。そこで事実上<私>は孤絶している。洗面、食事、排泄と、数限りない用のために母はしょっ中この間を往復せねばならないのだが、他の家族にはそうたびたび来るような暇はない。これは<私>にとって望ましい生活の場だ。<私>は読んだり、考えたり、書いたりするために、是非孤独を必要としているからだ。
 だが他方<私>は人間たちとすっかり切れてしまうことを望んではいない。二枚のドア越しにでも家族の動静に常に関心を払っており、寄せ集めた児童文学を近所の子供たちに開放して、かれらの出入りを許している。電動車椅子で坂の多い町に出ていくことも好きだ。なお、「去るべきとき」(1982年)の描写によれば、この同じ<私>は月例の読書会を二グループ持っており、こうした幾とおりもの接触によって、この町で何らかの文化的役割を果たすことに意欲を燃やしているのが分かる。
 つまり、<私>の精神は、孤独と連帯の両方を志向しており、この部屋はその欲求にかなっている。
 <家を離れたくない。家に居てしたいことがたしかにあるのに、なんで出ていかねばならないのか――>(「去るべきとき」)
 <私>には<したいことがたしかにある>。ものを書いていきたいし、それを支えとして、この町の人々の中に何かを創り出していきたい。それはまだ緒についたばかりで、<私>が去ればあとかたも残さず消え去ってしまい、今まで何のために生きてきたのかわからなくなってしまう。
 <私がしたいと思うことの八割がたを不可能にしつづける私のやくざな四肢>の持ち主である<私>にとって、あらかじめ限定された行動の自由の中で辛うじて積みあげてきたことごとくを奪いとられてしまうことへの予感は、絶望と怖れといらだちとを生みださずにいない。
 こうして<私>は<私がしたいと思うこと>即ち<私>の欲望のために、こひでの死を願う結果となってしまう。
 そうして祖母は死ぬ。そのとき<私>の頭に去来するのは、祖母への哀悼ではなくて、<「具合の悪い日と重なった」>という思いである。何故ならそれは、<私>がこつこつと準備してきた<初めての親子読者会>の前日だったからだ。これは<私>の長い活動がひとつの形となる筈の日だった。<私>が行かなければ読書会は失敗するかもしれない。だが、明日が葬儀だとしたら、<私>は行くことができない。
 <「葬式はあしたになる?」私は気になっていたことを尋ねてみた。「いやあさってになった」(略)それを聞いて、私は助かったという思いがいちばんに来た>
 翌日、葬儀の準備の進む我家をあとにして、当家の総領息子である<私>はでかけていく。途中、準備を手伝ってくれている老婆に出くわし、<「秀ちゃん、どこ行きかいな」>と問われた<私>は<妙な落ち着かなさに押され><たまらなく、私は恥じ入る思いがし><後ろめたさにまごつ>く。
 読者会は二百人を集めて成功した。帰ってきた<私>は<祖母との最後の対面>をするかどうかという迷いにとりつかれる。母からマチ子の話を聞かされ<言いかけた言葉を吞み込ん>だのち、<私は頷き、かすれたような声で言った。「元気な時分のおばあさんの顔を覚えとくだけでええわ」>結局のところ、<私>は<祖母との最後の対面>を拒否したのだ。<「おれは逃げた」>
 <私>は逃げた理由に死への恐怖をあげる。<私を落ち着かなくさせているのは、まぎれもなく恐怖であった>
 だが、実際のところ、それはむしろ祖母の生と死への<私>の無関心なのだ。<私>は祖母に愛着を抱いていなかった。それ故<最後の対面>は義務的な儀式としてのみ<私>に意識され、<うっとおし>さを感じさせるものでしかなかった。ここのところでは作者に若干のごまかしがあり、それが小説の感銘度を幾分弱めている。
 だが小説の中ではごまかしたとしても作者は自覚している。だからこそ<私>は自問することになる。<とすれば、私にとって祖母とはいったい如何なる存在なのであろうか>

「祖母ふたり」の中で筋書きらしいものはこれで全部である。即ち、祖母こひでの病臥――母の過労――<私>がこひでの死を願う――こひでの死――親子読書会――最後の対面の拒否――こひでとは何者か。
 大部分の描写は筋書きの外にある。<私>の事実上の最後の対面となった<夏にさしかかる頃>の描写――これはこひでが読者の前に姿を現わす唯一の個所である。それはまた読者と同じく<私>にとっても、こひでとの接触はその程度であったことを意味する。
 その理由は最後になって明らかになる。最後になって、<私>は太平洋戦争前からの一家の来し方を語る。それはそれでひとつの物語だが、要するにこひでは父の実母ではなく、祖父の後妻であり、朝鮮での漁師生活のあと、祖父母は故郷に、両親は大阪にあって子供たちを生み、やがて焼け出されて、祖父母との共棲を再開する。だがそのときから<物置にしていた裏の三畳>へ<こもって世帯を完全に近く別にして暮らしてきた>祖父母は、そろって物静かな性格であり、<私>たち孫との接触はないに等しかった。やがて祖父は死に、こひでは一人きりで三十年間を送る。
 <ともに住み暮らす「おばあちゃん」として狎れ親しんだ記憶も、全然といってよいほどになかった>
 <それが自然な家族のありようでないということさえ、思い至ったことさえなかった>
 <そうした我家の人間関係を、永い年月まるで疑いもせずにいた>
 そして今になっても、こひでがそのような孤独な暮らし方を選んだ本当の理由はよくわからない。

 いずれにせよ、こひでとは何者かという問いに対する、これはひとつの解答だ。こひでとは一人の他人なのだ。だが本当の問題はここから始まる。何故なら<私>がこの小説を書いたからであり、他人としてのこひでとは何者かという問いに答えることなしには、解答は半面に留まる。つまりその問いなしには、<私>が「祖母ふたり」をこのような形で書くということはありえなかったであろう。
 標題の示すとおり、もう一人の祖母がいる。母の母であるたつの生と死の物語は、冒頭においてすでにこひでと対照的なものとして少し触れられ、<夏にさしかかる頃>と<物置にしていた裏の三畳>の物語との間に、多少の分量をとって描きこまれる。
 たつは<私>にとって<少年期から「懐かしい祖母」という感じを、いつもこの人に対しては抱いていた>という存在である。
 その死は<ひどい苦痛に遇うこともな>く、<すでに「彼岸」に達した者のような澄み渡りようで>母をして<「西のおばあさんほど喜んで死んで行った人を、うちは知らん」>
と述懐せしめるほどの大往生であった。かつて少年の頃、たつと<とりとめない話を交わすことが、少年の私には懐かしいものの現出にやわらかく触れているような、乾きやすい心に沁み入ってくる思いがあった>
 臨終に間近いたつの床のまわりに集まった親族には、<どこか華やいだ賑わいにも似た雰囲気>さえ感じられ、<佳いものをこの世に遺して><理想に近い>死を遂げる。
 たつこひでとはことさらに対照的な描かれ方をされている。
 <懐かしい祖母>であるたつと、<狎れ親しんだ記憶も>ないこひで。<佳いものをこの世に遺し>たたつと、<その生涯の重たさを、私たちにはほとんど覗かせることのないままで去って行った>こひで。<喜んで死んで行った>たつと、<抗い疲れた末力尽きたようにして命絶えた>こひで
 にもかかわらず、一読してわかるように、「祖母ふたり」という標題に反して、物語の主筋は明らかにこひでにあり、たつの物語は全体の中では挿話の位置にある。
 ここに<私>である作者の選択がある。なぜ浜野博はこひでを選びとったのか。こひでとは何者なのか。
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