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日本共産党について(確かな野党)

2、確かな野党
 ある人から、次のようなメールを受け取った。「共産党が確かな野党といいだしたときに、共産党の国政における役割は終わったと思った」
 その時ぼくの見解を送らなかったので、今ここで送る。
 ぼくは党のこのスローガンを支持する。共産党は確かな野党であるべきだと思う。与党になってはいけないとは言わないが、そのときには他の党が確かな野党にならねばならない。
 議会制度の有効性とは確かな野党の存在によって保障されるものである。いわゆる社会主義国の失敗とはひとつには野党を失ったことによるのだ。党がひとつしかなければ、それはもはや議会制度における党とは呼べず、マフィアと化す。いわゆる社会主義国の歴史がそれを証明している。
 ひるがえって国内を見れば、55年体制下で万年野党と揶揄された社会党にはそれでも十分な存在意義があった。もちろん今では、赤坂料亭における裏国対の取引による猿芝居であったことが明らかになっているが、でも社会党の存在が政府与党の暴走に対する歯止めとなって、国民の利益を一定程度守ってきたのは事実である。
 日本の不幸は社会党がつぶれたときから始まった。「確かな」とは呼べない党が野党第一党となり、まるで与党が二つあるような二大政党制の始まりが、政府与党に対するチェック機能を失わせてしまった。
 社会党がつぶれたから日本がおかしくなったのか、それとも日本がおかしくなったから社会党がつぶれたのか、まあ、相乗作用だろうが、日本のこの圧倒的な右傾化現象の中で左翼政党が生き残れないのは当然のようにも見えるのだが、しかし、ほんとうに日本国民はそんなに右傾化したのだろうかという疑問もある。そもそも社会党の支持者がみんな明確な左翼であったわけでもなく、いまの民主党や、そのほか出ては消えていくいくつもの政党の支持者の中に左翼がいないわけでもあるまいと思える。
 ぼんやりと左翼的だった人々によって支持されていた社会党が消えて、その人々の票が民主党や他の党に分散したということではないのか。
 どちらにせよ小選挙区制を許してしまったことと相まって、日本の議会は右翼に牛耳られてしまった。その背景で万年野党批判、政権を目指さない政党はなんとやらというまるで商品のキャッチコピーのような軽口が、ムードを作りだす一端を担ったとも言えなくもない。政党は政権をとらなければならない、政権をとるためには与党とあまり政策が違わない方がよい、というわけで似たような党がいくつも並ぶことになった。
 これでは少数意見の持っていきどころがないのである。議会主義とは少数意見が発言の場をもつということだ。それによって世論に対しても政府に対しても、一定の影響力を持つということだ。
 だから確かな野党はいつでも必要なのである。
 いま、左派的な層がじれったく思っているのは、なぜ共産党と社民党は一緒にやれないのかということだ。右派が団結しているときに左派がバラバラでは戦えまい。
 そしてこの問題を考えるさいには、過去社共共闘が破裂していった歴史が甦る。その詳しい経過は勉強不足のぼくにはよく分からない。共産党側の説明はそのつど聞かされてきた。その説明では社会党が一方的に悪者である。しかし、またさまざまの大衆運動が分裂し、影響力を失っていったことなど併せ考えると、共産党にはどうも共同行動をなしがたい体質があるように思える。共産党はいつも正しい、では物事は前へ進むまい。国民生活を守るためには何が必要なのか、どう工夫すればそれが実現できるのか、そういうことをまじめに考えているように見えないのだ。
 ここでついでに述べておくと、ぼくは共産党右派だから、社会主義の体制だとか、労働者の政権だとか、革命だとかいったことには興味がない。そんなことはいまや現在の党幹部はまじめに考えてはいまい。そしてそれでいいのだとぼくは思っている。詳しい考えはいずれ書くが、いまの資本主義をもう少しましな方に方向転換してほしいだけなのだ。
 共産党が消えてもかまわない。だが、いずれにせよ確かな野党は存在せねばならない。
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