FC2ブログ

プロフィール

まがねとおる

Author:まがねとおる
無名人
新潟の同姓同名はまったくの他人
以上

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

カテゴリ

リンク

RSS

短編三作(「民主文学」16年5月号)

 谷本論考への追加説明もせねばならないのだが、先に小説の感想を書く。
 久しぶりに「民主文学」のこの月掲載分をすべて読んだ。もっとも連載を除く。連載が二つ入っているので、読みきりは三つだけである。
 いずれも老人文学である。若い読者は閉口だろうが、日本自身が老齢化してきており、「民主文学」の作家にその傾向が著しいので、必然の結果である。団塊世代が定年を迎えて一斉に小説を書き始めたのだ。それはまた老人問題がそれなりに社会的重要性を増してきているということでもあろう。
 読んでみると、老人問題も多様である。決して一様ではない。それなりに読ませる。井上通泰は文章に難があるが、入江秀子と山形暁子とは大変書き慣れた文章で、読ませる。
 井上作品は介護保険入門書という感じで参考にはなった。
 入江、山形作品はどちらも内容に独自性があって興味を引かれる。
 事実そのものではないとしても、事実を下敷きにした作品であろう。というのはこれらを空想だけで書いたとしたらたいへんな才能で、下敷きがなければちょっと書けないと思われるからだ。
 こういうものを読むと、やはり事実の持つ力というものを感じて、作りごとでは勝てないなあという感じがする。日本的私小説だとか、自然主義だとか、身辺雑記だとか、ぼくはふだんさんざん悪口を言っているが、でもこれもありだし、そればかりか、フィクションとは何なのかという難題を突き付けられるような気もする。
 もっともどこまでが事実で、どこからがフィクションなのかということは全然わからないのだが。
 山形作品は、20年も前に離婚した元夫の家族をめぐる物語である。話はゆったりと進んでいくのだが、いつのまにか元夫の姉の一人敦子という人物が妙に目立ち始める。と思ったら、彼女はいきなりとんでもない野蛮なふるまいを演じて、これによって、たちまち主役の座に躍り出る。ここはたいへん小説的で印象的だ。そこから徐々に彼女がどういう過去を背負っていたかが解き明かされ、彼女のふるまいの意味が読者の胸に落ちる。読み終わってみれば、これは敦子の物語だったのである。そういう仕掛けのある小説だ。
 入江作品は、64と50でともに再婚した夫婦が19年後に夫の死を迎える物語である。どちらにも娘が三人ずついる。おもに夫のほうの娘を描いているが、幸福に暮らしているように見えていた娘たちが、じつはそれぞれに深い悩みを抱えていたという叙述になっていて、それは物語の背景にすぎないのだが、作品に深みを与えるものとなっている。
 この作品で一番印象深いのは、次の叙述である。
 <別れた夫との荒々しく激しいセックスとは違い、拓郎は長い時間をかけ丁寧に優しく静かに私の全身を愛撫し陶酔の極致にまで導いてくれた>
 男女のつながりには当然セックスもある。この作品はそれをきちんと書いたことで一層深みのあるものとなっている。
関連記事
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
▼このエントリーにコメントを残す