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谷本 論「『社会主義リアリズム』とは何だったのか」(「民主文学」16年5月号)

 二点異論がある(あとで述べる)が、全体として、丹念に資料をたどった良心的な論述だと思う。知らないことばかりで教えられることが多かった。
 ぼくが共産党とその文学理論に接触したのは1965年だから、もちろん当のソ連はすでにフルシチョフによるスターリン批判が終わっていたが、日本の共産党はフルシチョフを裏切り者と見なして、まだスターリンを擁護していた。
 したがって聴こえてくる文学理論は「社会主義リアリズム」であった。それは即ちバルザックの「批判的リアリズム」を発展させたものであると解説されていた。そのなかでモーパッサンから日本の自然主義私小説へとつながるナチュラリズムはどう位置づけられるのかがよく分からなかった。
 わからないなりにほとんど関心を失って、50年が過ぎた。ただ、リアリズムとロマンチシズムについては常に考えてはいた。文学史用語としての「社会主義リアリズム」への関心を失っていたのだ。
 今回たいへん腑に落ちた。谷本氏は次のように述べている。
 <ソ連の作家・芸術家を、専制体制の奉仕者とするために考案された似非リアリズム――これが社会主義リアリズムの正体だというのが、私が得た結論である>
 さらに、望月哲男氏の2003年の論文から引いて次のように記す。
 <社会主義リアリズムには、当初から、“目的に合致すれば、形式、様式、ジャンルは問わない”という「融通性」「無節操」が内包されていた>
 いずれも思い当るところが多く、的を射た結論だと思う。

 そのあと谷本氏は、では日本における社会主義リアリズムは、それと同じものなのか、そうではないのかと問いかける。結論としては以下のように違ってくる。
 <ここで二人(宮本夫妻)が語っているのは、科学的な未来展望を土台とした文学の創造であり、文芸弾圧を狙ったソ連の理論とは動機も内容もまったく違うものである>
 これも一応はうなずける指摘である。権力の側が、弾圧のために作り出した理論を、当時の日本左翼の貧弱な情報のために、そうとは知らずに輸入したのは迂闊ではあったが、それは無条件でソ連から日本へ移されたわけではなく、日本の側では日本の側での文学理論の模索の一過程としてあった。
 谷本氏は宮本百合子の言葉を引用する。
 <わたしにおいて社会主義リアリズムは、作品を作る方法として、作品のそとに存在するものではなかった>
 <わたしにとって、「それによって創作する」という方法(では)なかった>
 つまり百合子は自作の制作に当たっていかなる外なる規範を頭に置いたわけではない。ただ自分の書きたいように書いただけである。だが結果として、社会主義リアリズムというものに少し近づいたかなと感じているということなのだ。
 その上に日本で社会主義リアリズムを提唱する人たちが権力を持っていたわけではなく、権力に抵抗する側だったわけだから、ソ連のそれとは本質的に違うものだとも言えただろう。

 そこまではぼくも理解し、谷本氏に同意する。しかしそこに微妙な異議がある。これが二点の異論のうちのひとつである。
 どのような形でにせよ、文学にひとつの評価基準のようなものを求めようとする行為は、文学をせまくする恐れが常にある。文学が評論家の想定内に収まるとしたらそれは文学ではない。文学とは常に評論家の想定を打ち破るものでなければならないはずだ。評論家の作る基準に収まるような文学は文学ではないのだ。
 作家たちをさまざまな流派に分類することはできるだろう。またひとつの方向を目指した運動なり、団体なりを作ることもできるだろう。しかし、それは要するにただそれだけのことであって、文学に何か客観的な基準を求めようとすれば失敗を運命づけられるだろう。
 それはまた、仮にそのような文学イデオロギーが政治権力と結びついたとしたら、ソ連と同じ失敗を繰り返すことになる。そういうことも充分に意識されておかねばならない。

 二点目の異論のためには、ページを少しさかのぼる。これは文学とはまったく関係のないことでの異論である。
 119ページ上段の最後の段落。
 <狂気のテロルが吹き荒れるなか、ソ連社会はスターリン一人を絶対者とする専制体制に改造されていく。これは、共産主義運動のなかで起こった理論上の誤りなどではない。謀略と大量殺人による、国家と社会の乗っ取りである>
 ぼくが50年間問い続けてきた問題である。このブログ上で何度も書いてきたテーマだ。
 なぜ共産党の組織はスターリン一人で引っ繰り返されてしまうほど虚弱なのか。
 この虚弱さを生む共産党の組織の欠陥とは何なのか。それは現在の日本共産党ではすでに克服されたとはたして断言できるのか。
 何度も詳述してきたから繰返さない。関心のある人は「政治」のカテゴリーを引いてくだされば、ぼくの考えが詳しく出てきます。

 以上、谷本氏の論述に敬意を表しつつ、若干感じた疑問を記した。
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