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小説と社会問題(拍手コメントに)

 fc2の拍手コメントの構造をぼくはまったく知らないのだが、どうも字数制限があるようで、書きかけで終わっているようなコメントが今回もあった。そういう人の参考までにだが、本文のほうのコメント欄は従来見るところ、どんなに長くても受け付けるようだ。非公開を希望するなら、「非公開」にチェックを入れればよい。そうすれば最新コメントの一覧表にも掲示されない。読むのは管理者――つまりぼく――だけである。長文を書く人にはこちらのご利用をお勧めする。たぶんこの欄も小さくて書きにくいだろうが、ワードで書いてコピーすれば簡単に長文OKだ(と思う)。
 匿名で来ているので、もともと非公開のようなものだが、少し内容に触れることをお許しあれ。
 ぼくの書いた「スクラップ・アンド・ビルド」評に触れ、「純文学にとって社会問題は背景にすぎず、その舞台上でどこまで文学的なものに迫るかが勝負だ」と書いたことに賛同する形で、「民主文学」2月号の座談会や幹事会報告を批判している。
 お断りしておくが、ぼくはまだ2月号を読んでいないので、その点の当否は判断できない。
 賛同いただいたことに感謝しつつ、少し弁解したい。
 社会問題や政治問題が小さい問題だとはぼくは思っていない。それが文学にとってどうでもよいことだとも思っていない。むしろ、文学は社会問題や政治問題に敏感でなければならない。
 ただ、文学はジャーナリズムでもなければ評論でもない。おのずからその対し方は違ってくる。
「難しいことを易しく書く」と井上ひさしは言った。不特定の観客に訴えねばならない演劇はそうだろう。でも演劇のなかにも解釈の難しいものもある。
 小説が難しいことを易しく書けば、大衆小説になる。それが社会問題を扱っていれば社会小説だ。
 ぼくはそういう小説を否定しない。単に娯楽のための小説だって人間に必要な小説だと思っているから、まして社会問題・政治問題を易しく書いた大衆小説があればそれもよい。
 では「文学」はいったい何のためにあるのか。単にジレッタントのための高級娯楽なのか。
 そうではないだろう。それは生まれるべき必然性をもって生まれてきた。それはつまり、単純化には常に落とし穴があるからであり、現実の複雑さを複雑さのままで把握することが、どうしても必要な場合があるからだ。
 これはつまりこういうことなのだ。
 ある問題をすごく分かりやすく小説に書いた。そのときその小説はその問題をある一つの方向からのみ書いている。やさしく書くとは往々にしてそういうことになる。
 同じ方向から見ている読者にとっては、その小説は単にうなずきの対象でしかない。(ネットのイイネのようなものだ)。
 あまり考えていなかった読者には、一つの考え方を無批判に与えてしまうかもしれない。
 だが違う考えの人間には単に馬鹿々々しいお話にすぎないだろう。
 問題は常に複雑なのであって、単純に書けることなどほんとうは存在しない。でも時にはそれを単純に書かねばならないときもあるし、複雑さのまま書かねばならないときもある。それが文学だ。文学とは割り切れないものだ。それは言葉では決して書けないものである。言葉で書けるものなら小説にしなくてよい。評論でよい。あるいはジャーナリズムでよい。言葉では書けないから、物語で書く。そしてあとは読者の想像力にまかせる。読者はそれぞれその物語のなかに何かしら自分を見、あるいは自分ではないものを見る。それが文学としての小説だ。
 ぼくは「スクラップ・アンド・ビルド」をそう高く評価しているわけではないが、そこにはやはり、現実を単純化するのではなくてその複雑さを複雑さのまま捉えようとする姿勢を感じた。
 そういう姿勢が「民主文学」の作家たちにも欲しいと思ったのである。
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