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羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」

 正直言って「火花」ほどの面白さはなかった。あそこでは青春が辛さを孕みながらも躍動していた。こちらは老人問題で、もともとそんなに華やかにはなれない。
 あちらでは自分の世界を思いきり走りまわった。こちらはまるで中堅のプロ作家のように、いくつもの題材のなかから今回はこれを選びましたという感じ。
 それでいてまだ30才なのだからたいしたもんだ。
 88才の祖父と、その娘と、28才の孫がいる。娘(孫から言えば母親)は、自分の父親を甘やかさない。やれることは自分でやれというスタンスである。
 そのじいちゃんは「死にたい、死にたい」と言い続けている。孫は失業して求職活動中なのだが、世間の若者同様に老人が長生きして若者を苦しめているという考えを持っている。
 その一方で、死にたいと思っているじいちゃんをただ生かしておくのはかえってかわいそうなのではないか、母親のようにじいちゃんを自立させてはなかなか死ねない、あっさり死なせてあげるためには、過保護にした方がよいと考えて一生懸命世話をする。
 この食い違いの中に何とも言えないユーモアがあるのだが、惜しむらくは羽田君の筆力ではユーモアがいまいち出きれなかった。もっとドタバタ的に書いてもよかったのではなかろうか。
 羽田君が何を書こうとしたのかはよく分かる。勘違いしている孫と、対照的にちゃんと現実に足を着けているじいちゃんと母親とを書きたかったのだ。それはそれでよいのだ。ただもう少し冒険してもよかったのではないかと思う。
 いずれにせよ、社会的な題材を書くのが「民主文学」に限らないこと、またそれを商業文学の世界が好意的に評価していることを今回目撃した。
 ただいわゆる「純文学」の世界は、社会問題が裸の形で提出されることを嫌う。社会問題がなんの衣も着ずに前面に出てくるとそれは大衆小説になってしまう。「純文学」にとって社会問題は小説の背景にすぎない。その舞台の上でどれだけ文学的なものに迫っていけるかが勝負なのだ。
 羽田氏による今回作も、いろいろ不満はあるが、いま言ったような点では「民主文学」との志向性の違いがある。「純文学」という言葉をぼくは好きではないが、そこにはやはり小説を単にジャーナリズムには終わらせまい、なんらかの文学的なものを追及していきたいという、そういう思いは感じる。
 それは必要なことであり、そして往々「民主文学」の書き手に欠けていることのように思う。
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