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ヨーロッパ(その1)

 妻と交代して窓際の席に移動したとき、ぼくの目に飛び込んできたのは月世界の光景だった。土色の油絵具をぶっとい絵筆でたっぷりすくって、キャンパスに見立てた地上を端から端までめちゃくちゃに塗りたくってしまった、かのような、それは不毛で、おどろおどろしい世界。それがどこまでも続いていく。いったいどんな異世界に迷い込んでしまったのだろう。
 よく考えると、飛行機はシベリア上空を飛んでいるのだった。生まれて初めて飛行機に乗ったぼくは、関空から飛び立ったヨーロッパ行きが北に向かうのだとは思ってもみなかった。
 それにしてもこれはなんという世界だろう。行けども行けども荒涼たる大地、地球上にはこんな土地があるのだ。緑に恵まれた日本は例外的な存在なのかもしれない。
 やがて雪を頂いた山脈を飛び越え始めた。6月である。それでもウラルには雪があったと記憶している。
 それを過ぎるとやっと緑が目につき始めた。深い森の上を飛んでいく。森のところどころに畑がある。ヨーロッパ・ロシアだ。
 そのあと広大な海が現れた。カスピ海だと思った。ユーゴ内戦の真っ最中のことだ。やばいのではないか。下手をすると撃墜されるぞ。
 ところがそれはバルト海だった。飛行機は北からオランダあたりに上陸して西ヨーロッパに入った。
 そこは一面の畑だった。ところどころに森があった。ヨーロッパ・ロシアとは正反対だ。あそこでは森の中に畑があったが、ここでは畑の中に森がある。
 そのときぼくは頭の中で、ヨーロッパの温暖化反対運動のことを考えていた。アマゾンやボルネオの森林が破壊されていると彼らは抗議している。その果実は結局は我々先進国が消費することになるのだが、現地の人々にとっては破壊することが生きのびる手段だったりもする。なのにヨーロッパ人たちは現地の人々に批判を向ける。そういう自分たちの足もとはどうだろう。かつて森におおわれていた西ヨーロッパは、いま見る影もなく切り倒され、畑になってしまっているではないか。本来ここで吸収されるべき炭酸ガスはもっとずっと多かったはずだ。
 そんなことを考えながら、ぼくらはパリに到着した。
 ところが到着は簡単なことではなかった。高度が下がりはじめるや、耳の奥で時限爆弾が唸りはじめた。テロではない。耳の奥がいまにも爆発しそうに痛いのだ。
 飛行機に乗ったことのなかったぼくは、自分が飛行機に向かない体質だということを知らなかった。そういえば高い山から車で一挙に坂を転がり降りるとき、いつも耳が聞こえなくなった。でも痛んだことはなかった。いまは爆発しそうに痛いのだ。
 それでもどうしようもない。耐えるしかない。ぼくは耐え続けた。何とか着陸し、次第に痛みは収まり、どうにかパリの地を踏んだ。
 パリで驚いたのはまず落書きだ。シャルル・ド・ゴール空港からパリへの沿線、そこらじゅうの壁や塀が落書きだらけだ。欧米の漫画でよく見る、アルファベットの漫画文字、あのでかい装飾文字、あれをいたるところ色とりどりにペイントしてある。
 そのあと街に入って驚いたのは、黒人の多さだ。ここはアメリカか。ヨーロッパにこれだけ黒人がいるとは知らなかった。バスの運転手や公衆トイレの門番、美術館の切符もぎ、初日のホテルのフロントも黒人で、着いたのは週末だったのだが、やがて平日になると、タイトスカートにアタッシェケース片手の見るからにキャリアウーマン風の黒人女性がさっそうと肩で風を切っている。
 考えてみれば、ポルトガルとオランダの後、ベルギーを含むフランスと、イギリスとがアフリカ大陸をほぼ半分ずつ所有していたのだから、かれらの流入はあたりまえのことだった。その上、ぼくの眼には見分けがつかないが、北アフリカのイスラム地帯もフランス領だったわけだから、イスラム系も多いのだと娘が言った。いまになって、それが身に染みて思い当たる。
 パリでうれしかったのは、どこでも喫煙自由であることだ。いまは規制が出来てきたらしいが、ユーゴ内戦のころだから10年以上前の話である。喫煙も自由ならポイ捨ても自由。町じゅうの道路が煙草の吸殻と犬の糞であふれている。ぼくにとってはまるで天国のような国だ。
 地下鉄は郊外線に乗り換えない限り、そして駅から出ない限り、どこまで行っても同一料金である。自動改札は日本と同じだったと思うが、ぼやぼやしているとぼくの切符で他人が通ってしまう。そのあとから通ろうとしてももう閉まってしまって通れない。「早く。跳び越えて」と娘の言うままに改札を跳び越えた。日本ならたぶん駅員が飛んでくるところだろうが、パリは呑気なものだ。
 駅に入るには切符がいるが、出るとき切符は回収されない。出てしまえば無効になるので、持っていても意味がない。そこで駅の出口は切符だらけだ。みんなそのへんに捨てていく。清潔好きの人はたまらないだろうが、ぼくのような人間にはこの上なく居心地がよい。
 煙草を買うのにはちょっと工夫がいった。自動販売機などどこにもない。店に入ると胸の高さにカウンターがあり、一段高いところに若い娘がいる。娘の背後の壁に、煙草が並んでいる。「あれくれ」と言って指差しても遠いのでどれだかわからない。煙草でありさえすればどれでもよいのだが、どれでもよいと言ってもくれるわけではなく、第一フランス語が話せないので、何も言えない。とりあえず、煙草の名前をひとつだけ覚えた。そしていつもその名前を言った。簡単に解決した。
 食事がスムーズにいかなかった。朝はいいのだ。朝はコーヒーにフランスパンだ。コーヒーとミルクを別々の容器に入れて沸かして持ってくる。適当に混ぜて飲むのだが、どういうわけかそのコーヒーがとてもおいしくて、ミルクを入れるのがもったいなくていつもブラックで飲んだ。フランスの朝食はどの宿でもそれだけだった。娘が一番安い宿を契約したのだ。イタリアに行くと、コーヒーは泡立ったコーヒーでこれがまたおいしい。パンはたぶんクロワッサンだった。それにちょっとしたハムか何かが付いた。フランスより少しだけ贅沢だった。
 だが宿で出るのは朝食だけだ。昼と晩とをどこかで食べねばならない。この注文の仕方が分からない。ぼくは娘が心得ているものと勘違いしていた。何もわからないから、おまえがいいと思うものを注文してくれと言うのに、娘はメニューのフランス語を翻訳してみせる。これはこうこうこういう食べ物で。そんなこと言われても分からないから任せるというのに、娘は相変わらず翻訳する。
 結局娘は外で食事をしたことがなかったのだ。朝と晩とはカトリック系の安い寮でおばさんの作るものを食べる。昼は金のない娘は倹約して、パンを買い、公園の水を飲んですませていた。だから、レストランでの注文の仕方など分からないのだ。
 最初にうまいものを食ったと満足したのは、ルーブルを出てチュイルリー公園だっけ、屋台のホットドッグを買った。これが日本風のやわらかいコッペパンではない。かたいフランスパンにソーセージを挟んである。しみじみ満足した。フランスパンの歯ごたえが好きだ。
 一度娘が名誉挽回といって、レストランを予約した。行ってみると、客たちはネクタイにドレスだ。おい、おい、いいのかいと言うと、インフォーマルでもいいと電話で確かめてあるという。ぼくらのほかにはやはり日本人らしい若い女の子が一人、ジーパンだった。フランス人たちは正装している。このときは、まあ、うまいものを食った。でもあまり覚えていない。
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