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ヨーロッパ(その2)

 そのあとイタリアへ行っても、スパゲッティもピザも食べなかった。スパゲッティとピザがイタリアの名物だということが頭から飛んでいた。何を食べていたかと言うと、スペイン広場から少し下がったところにある夕方になると開店する小さな店で、毎日あさりの粥を食べていた。砂だらけでじゃりじゃりする粥だった。でも、まあ、おいしかった。
 ピザはイタリアではなく、ベルサイユで食べた。一駅乗りこしてしまい、そこから宮殿まで歩いたのだが、歩き出す前に店に入った。なんだか日本の店のような雰囲気で、二階の席でピザを食べた。このときは久しぶりでまともにものを食ったという満足感があった。
 アンジェで、ドイツ料理を食べた。アンジェは娘が暮らしている町だから、多少勝手がわかり、あらかじめ注文していたのだ。最初に氷の上に載った生ガキが出て、これは競いあって食べた。でも内陸の街だし、6月だし、よく当たらなかったものだと、あとになって怖くなった。そのあと、まんなかが盛り上がった格子入りの鉄板の上で、ソーセージと玉ねぎを焼く。これが山のようにある。とても食べきれなかった。
 カルチェ・ラタンではギリシャ料理の店に入った。学生街だから、安い料理店が密集している。店先にぶらさげているヒツジの肉をナイフで削りとって焼いてくれた。
 ところで、システィナ礼拝堂から出たところの屋台のホットドッグだ。これがとんだ笑い話になってしまった。
 その頃になるとぼくはある程度計画を立てるようになっていて、ガイドブック片手に、さて、ここにお勧めの食べ物屋があるが、そこへ行くか、それともここでホットドッグで昼食にするかねと妻と娘に訊いた。ホットドッグにしようということになり、注文して出来上がり、受け取って金を払う段になってとんでもないことが判明した。金がまったく足りないのだ。まだユーロのないころの話である。1フランは何10円かでこれは比較的計算しやすかった。ところがリラは円より安いのだ。それも桁違いに安いのだ。ホットドッグひとつが何千リラもする。娘はあらかじめ両替してきているが、そんな大金が必要だとは考えもしなかったらしい。すでに受け取ったホットドッグをいまさら返すわけにもいかない。両替屋がどこそこにあるということで、ぼくは人質として残ることになり、妻と娘が出かけて行った。ホットドッグ屋はにこにこして食え食えと身振りで示す。ぼくは食べた。そこへ娘たちが帰ってきて、ああ、食べた、食べちゃダメ。駄目といっても食べてしまった。娘の言うところでは両替屋は現金がなければ両替できない。銀行カードは使えない。カードを使うには銀行のあるところまでいかねばならない。それはぐるっと回ってバチカンの正門の方へ行かねばならないのだと。食べてしまった以上、それしか手がない。娘たちは再び出かけて行った。ぼくは心細い思いで人質になっていた。
 あとで考えると妻はカードのほかにトラベラーズ・チェックを用意しており、これならたぶん両替屋で交換できたのだろうが、妻はこれを後生大事に旅行鞄にしまいこんでホテルに置きっぱなしにしており、一度も持ち歩くことがなかった。なんのために用意したのだかまったくわからない。レストランの支払いはカードでできたが、屋台でカードは使えない。電車賃その他として娘があらかじめ両替した現金だけだ。その桁の大きな違いで笑い話になった。
 金のことはぼくはよく分からないので、妻と娘に任せきりで、かれらもどこまでわかっているのか二週間ほどの旅行中に何百万使ったのか分からずじまいなのだが、観光コースはある段階からぼくがリードした。もっとも、町から町への移動は娘がすでに予約している。パリに二週間いるのだと思っていたら、あっという間にパリはこれで終わり、次どこそこだというので面喰ってしまった。パリの地下鉄は単純なので、すぐ頭に入った。初日はずっと歩いたのだが、妻が足が痛いと言いだし、またパリに何日もいられないことがわかると、ぼくは計画を立てて地下鉄をフルに利用することにした。
 国内でさえほとんど旅行したことのない人間だが、知らない町で何に興味を持つかと言うと、町のたたずまいである。建物と、そして結局街路ということになる。名所旧跡はほとんどどうでもよい。道が好きなのだ。だから基本歩きたいのだが、それは少し制限されてしまった。
 ヨーロッパの道路はよく知られているように放射状である。広場があり、そこから四方八方に道路が延びる。大きな交差点はたいがいロータリーで、車はぐるぐるまわっている、ように見える。じつはまわりながら自分の行きたい方向へ曲がるのだ。交差点のまんなかが広場で、噴水がある。大きな交差点には大きな噴水が、小さな交差点にはそれなりの噴水が、もっと小さければそれなりの広場らしきものが。どんなに小さくても小さいなりに交差点は広場であり、道はそこから放射状に延びる。ただその数が少ないだけだ。よつかどという概念は成立しない。
 それでひどい目にあったのがフィレンチェである。この小さな町の道路は狭く、交差点も小さい。だが小さいなりにそれぞれの広場らしきところから道路は放射状に延びている。しかもこの道路がいずれも湾曲している。直線ではない。
 ローマから汽車でこの町に着いたとき、ぼくはひとつ方法を思いついた。娘があらかじめ予約してあるホテルへ行くのに、タクシーを使えば簡単だが、もしそのホテルまでの距離が短かったら、タクシー運転手が怒るのではないか。そう思って、どうせ必要な街の地図をまず駅のキオスクで買った。それから娘にホテルの住所を書いたペイパーを出させ、キオスクの女の子に両方を提示して、this whereとかなんとか今ではちゃんと思い出せないが、片言の英単語をでたらめに並べてがなり立てた。女の子はすぐ了解してくれて、地図の1ポイントを指差した。ぼくはthank youと言った。案の定ホテルは駅の眼の前だった。
 この地図は役に立った。ヨーロッパの街路には必ずひとつひとつ名前がある。京都と同じだ。そして1軒ごとに番号がふってある。これが必ず表示されているので、地図と照合しつつ歩いていけば絶対に迷わない。行きたいところへ行ける。だからいつもぼくが地図を持って道案内した。
 シニョーリア広場だったか、ウフィッツィ美術館やドゥオモ(ドーム)のある広場を中心にそこらを幾日かまわり歩いた。
 ある日、その広場でぼくは疲労を覚え、先に宿へ帰って寝ると言って、地図を妻と娘に渡して広場からホテルへと一人歩き始めた。何度も歩いているあたりなので間違うはずがないと思って、たぶんぼくは最短距離を行こうとして、まだ歩いていない道へ入った。道は湾曲しながら次々と小さい広場に出る。そのつど、ホテルの方向への道を選んで進む。何度か小さい広場を通過し、かなり歩いた。ふと見るとぼくの前に大きな広場があった。よく見ると、それはさっきぼくが出発した広場なのだった。目の前にドゥオモがあった。
 ぼくは呆然とした。道を間違えるということがあり得るとしても、出発点に戻ってくるなどとは考えられないことだ。考えられないが事実そうなのだった。気をとりなおしてぼくは再び出発した。そして気付いたらまた同じ広場に戻っていた。
 これではもう笑ってしまうよりない。カフカの「城」では城がすぐ目の前に見えているのに、主人公はどう歩いても城に到達できない。いつまでも到達できないので、とうとうぼくは読むのをやめてしまい、いつか続きを読まねばと思いつつ何十年も経ってしまったが、ここでは事態は全く逆だ。ぼくは広場から遠ざかりたいのに、どう歩いても広場に舞い戻ってしまう。広場から離れることができない。これは「城」と正反対の不条理小説だという気がした。
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