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ヨーロッパ(その3)

 以上はかなり前に書きかけてそれっきりになっていた紀行文である。海外旅行の話を聞かされるくらい退屈なことはないという。いまどき普通の勤め人なら毎年のように海外旅行しており珍しくもなんともない。海外で長期間勤務した人も多く、すでに海外は日常だ。それを自慢たらしく聞かされるのはうんざりだということらしい。でもぼくは海外だろうと国内だろうとよその土地の話を聞くのはわりと好きだ。たぶんぼくがもうじき70になろうとするのにほとんどどこにも行ったことがないからだろう。
 それはともかく、永い間放置していた旅行記が転がり出てきた。他人には退屈なだけかもしれないが、もう少し書きたい記事が残っているので、書き加えてアップする。できるだけ短く書く。

 トイレの話である。ヨーロッパには公衆トイレなんてほとんどない。空気が乾いているので、どんなに飲んでもみな蒸発してしまう。肌がいつも乾いているので汗をかかないのだと錯覚するが、そうではない。日本ではかいた汗が蒸発しないので肌がべたべたするが、ヨーロッパで肌がいつもさらさらしているは、いくら汗をかいてもすぐに蒸発してしまうからだ。だからトイレに行ってもほとんど尿が出ない。出ないのだけれど日本人の習性で定期的にトイレに行きたくなる。ところがトイレがないのだ。
 だんだんわかってきたのは、金を払って入るところには無料のトイレがある。美術館やカフェだ。金を払わないところ、教会がそうだ、そこにはトイレはない。まったくない。トイレのあるところでは必ずトイレをしておかねばならない。そうしないと後悔する。
 なかなか無い公衆トイレだが、すべて有料である。無料の公衆トイレというものはない。おばさんが(いや、おばさんに限らない。妙齢の女性だったこともあった)番をしていて、しかるべき料金を払わねばならない。それがあんまり美しいトイレじゃない。水浸しだったりする。ヨーロッパの街は建物や街路の並びようは美しいのだが、あまり清潔ではない。道路が吸殻と犬の糞だらけなくらいだから、トイレもしかりである。便器は高い位置にある。フランス人はそんなに背が高いとも思わないのだが、便器の位置は高い。爪先立ちして小便せねばならない。
 ベルサイユをひととおり見終って、妻と娘が馬車に乗ってアントワネットの秘密の家に行くというが、ぼくはちょっとくたびれたので、行かずに待つことにした。そこらをうろついて結局太陽王の銅像近くでしばらく待った。観光客が次々来る。日本人の団体も多い。妻と娘はなかなか帰ってこない。小便がしたくなってきた。この宮殿は有料であるのに、なかにはトイレがなかった。トイレは外にあるのだが、また金が要る。その金がぼくのポケットにはない。金は娘が持っていて、必要なつど渡してくれるのだ。その娘が帰ってこない。そうなるとよけいに小便がしたい。したいけれど金はない。娘は帰ってこない。このときのいたたまらなさを想像してみてほしい。何とか漏らさないうちに帰ってきてはくれたんだけど、危ないところだった。
 話があちこちするが、トイレの話は終わって、ローマのスペイン広場である。「ローマの休日」でヘップバーンがソフトクリームを食べている、グレゴリー・ペックが偶然を装ってやってくる。ヘップバーンは食べ終わったソフトクリームの残りをポイと捨てる。その階段だ。そこに観光客が集まっている。ところが階段は飲食禁止になっている。観光客がヘップバーンをまねてソフトクリームを投げ捨てるのでそれで禁止になったのだろう(と推測する)。でも喫煙は自由で、吸殻のポイ捨ても自由だった。すばらしい。
 そのスペイン広場での話。中学生か高校生くらいの、そろって金髪の女の子たち数名、北欧かドイツあたりから来たような雰囲気の子たちだったが、階段の下で輪になってフラメンコを踊り始めた。下手くそだったがたぶんフラメンコのつもりだったのだろう、最後に声を合わせて「オーレ」と叫び右手を突き上げて終わると、顔を見合わせて笑いくずれた。スペイン広場だから(なぜスペイン広場なのかは知らないが)、その場所でフラメンコを踊りたいと彼女たちは考えたのだろう。階段に座っていた地元らしい不良っぽい雰囲気の青年たちが、首をひねって苦笑いしながらお義理の拍手を送った。
 イタリア語をまったくしゃべれないわれわれがイタリアでなんとかなったのは、イタリア人はフランス語も英語もしゃべれるのだ。誇りたかいフランス人はフランス語しかしゃべれない。たとえ英語がしゃべれてもしゃべれないふりをするのだと聞いた。ところがイタリア人は何語だってへっちゃらでしゃべる。日本語の単語をずらずらとでたらめに並べたりする。娘がフランス語はしゃべれるのでとりあえずまにあった。ぼくは片言の英語でごくまれに補った。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港からローマの宿まではタクシーを使った。並んでいると、お出でお出でと手招きするので正規の乗り場ではないところにいたタクシーに乗ってしまった。タクシーのドアが自動で開くのは日本だけだと知らない妻はドアの前で開くのを待っていた。ま、それはよいが、走りはじめてから娘が助手席から振り向いて、メーターを倒さずに走っている、とか不安そうに言う。かなり走って町中に来て、娘の渡した所番地のあたりに来たらしいのだが、めざすホテルがないと言って探している。無線で問い合わせ始めた。不安が募る。だがじきにわかった。娘がツアーガイドでもらった所番地が間違っていたのだ。一つ隣の通りで運転手は無事にホテルを発見した。金を払うと領収書をくれた。あとでガイドブックと照合すると料金は妥当なものだった。
 壁をくっ付け合って並んでいるビルの一角にネームをいくつも並べたプレートがあって、そのなかに目当てのホテルの名前がある。なんだかずいぶん古めかしいドアがある。木製だったような気がする。押しても引いても開かない。ネームプレートにそれぞれ押しボタンがある。ホテルの名前のあるところを押した。応答がない。弱っていると、ドアが開いて若い男が出てきて、我々を見るとそのまま開け放して立ち去った。それいまだ、とばかりに入り込む。なんだか荒れ果てた土間のような場所である。進んでいくと正面がエレベーターだ。古い洋画に出てくる格子のエレベーター。乗ってホテルの番号を押すとがたがたと登り始めた。こいつはとんでもないところに来たぞと思っていたら、着いたところはモダンなホテルのフロントである。どうやら古い建物はそのままに、なかだけを近代化している。
 ところが出て行くときにドアの開け方を聞くのを忘れていた。帰ってきてさてどうやってドアを開けたものかと思案した。ふとひらめき、釦を押したあとボタンの横の送話口に向かって「ハロー」と言った。ハローのあと何か英単語を並べるつもりでいたが、ハローの一言で、古めかしいドアがガチャンと大きな音を立てて開いた。そういうことか、開けごまでよいのだ。
 あとはかいつまんで。
 オペラ座にはオペラを観に来た客とオペラ座を観に来た客とがいる。オペラを観に来た客は蝶ネクタイにロングドレスで正装している。一方オペラ座を観に来た方はジーパンにバックパックである。この服装の両極端ぶりが面白かった。
 どこへ行っても自動販売機はない。ヨーロッパの6月は暑く乾いている。道々でおばさんが水を売っている。それを買って飲みながら歩く。生ぬるいのだがおいしい。買うときに「ガス? ノンガス?」と聞かれる。一度ガスを買った。水に炭酸が入っている。ラムネのようなものだ。でも糖分は入っていない。まずくて飲めないので、以後はノンガスにした。
 着いた翌日が日曜日でルーブルが長蛇の列だったので、明日にしようということにして、チュイルリーからコンコルド広場のあたりで横道に入った。エリゼ宮の、あれは裏口だったのだろうか、ナポレオン時代風の制服を着た門衛がいて、妻は彼とツーショットの写真をとらせた。その通りに聞き覚えのあるブランド店が軒を並べていたが、日曜日なのでどれも閉まっている。一般の商店は日曜は休みだ。でもシャンゼリゼに出るとカフェはやっていた。
 フランスの車は小さめだ。それが道路わきにずらっと駐車している。自転車とローラースケートが多い。車に混じって車道を走っている。
 イタリアのほうが車は大きい。フィレンチェは道が狭いので、ラッタッタが走りまくっていた。
 一度赤信号で車道へ出たら、車はちゃんと止まった。(真似をしないように)。
 モンマルトルの頂上のカフェで休息していると、ピアノの前に女性が座って演奏が始まった。客たちの中に日本人のおばさんグループがいた。彼女たちに馴染み深いシャンソンだったらしく、立ち上がり、ピアノに合わせて、いかにも楽しげに、身振りよろしく唄い始めた。ぼくらの隣にフランス人の青年グループがいて、何ごとが言っている。娘が聞きとったところによると、「彼女たちは酔払っているのか」と言っていたそうだ。
 どこへ行っても日本人は多かった。
 イタリアには黒人はいない。中国人らしき我々と同じ顔の人種が多かった。フィレンチェの広場に大勢が露店を出していた。
 アンジェのカフェで、娘の学校友達の青年二人と一緒になった。フランス人なのだが、日本語が上手だ。文学では谷崎潤一郎、映画では北野武が好きだという。寅さんは知らないと言った。吉川英治の宮本武蔵は読みました、武蔵の「五輪の書」も読みましたと言う。娘は彼らから日本語版の宮本武蔵を借りて読んだが、彼らが外国語として読んだにしてはほとんど書き込みがない、確認すると、翻訳で読んでところどころ日本語原本を参照したのだそうだ。武蔵の二天一流、文武両道を混同して、「あなたも文学もやれば、結婚して娘もつくる、文武両道だ」と変な誉め方をした。外国の青年が読んで日本人のぼくが読んでいないでは情けないので、帰国後どちらも読んだ。
 夏目漱石はあれはイギリス文学だからよく知らないと言った。フランス文学ではやはりジッドやカミュだ。サルトルはあまり好きではない、「嘔吐」だとか「汚れた手」だとか「蠅」だとかタイトルからして汚い、と言って、そのあとフランス語で何か言った。あとで娘が教えてくれた。彼らは「サルトルは共産主義者だから」と言って、「これは冗談だけど」と付け加えたのだそうだ。
 イタリアへ行ってきたと言うと、「イタリア人はやかましいでしょ」と言った。イタリア人とアメリカ人とはおしゃべりなのでフランス人は彼らをあまり好きではないのだ。ぼくはやかましいイタリア人に好感をもっていたので、返答に困った。
 青年の一人は日本の「タイドー」をやっていると言った。そんな格闘技名を聞いたことがなかったので、何かの間違いだろうと永年思っていたが、福山に来て「タイドー」の道場を見つけた。実際にあったのだ。
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