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ヨーロッパ(その4)

 トレビの泉ではジプシーの母子に財布を狙われた。赤子を抱き、小さな男の子と確か女の子も連れていた。すっぽり布を被っていかにもジプシーらしい格好だ。布の間から赤子を抱いた手を出して恵んでくれという様子。戸惑っているあいだに子供がぼくの胸ポケットに手をつっこんだ。ぼくは振り切って逃げた。ポケットを確かめるとメモ帳をやられていた。
 パリに帰って最後の日、広場で煙草を吸っていると、普通の身なりの男が来て煙草をねだる。1本くれてやると、次々と集まってきた。ぼくは娘からもらう金で何気なく買っていたが、消費税が高いので、煙草は贅沢品なのだ。
 思い出せばきりがない。道のあちこちに大道芸人がいる。芸が気に入れば金を入れてやる。地下鉄にも乗りこんできて何か演奏する。帽子がまわってくる。娘はケチなので演奏を聴くだけ聴いて、金を入れてやらなかった。
 地下鉄には自転車も持って入るし、犬も連れて乗る。犬は大きな犬だが、たいがい鎖をつけていない。飼い主の隣を大人しく歩いている。
 美術館も宮殿も教会も、写真は自由である。日本で禁止されているのが異様に思える。美術館では模写している画家たちも多い、ただ古い傷みの激しいものは、フラッシュを焚くなと言われた。
 パリはすべて7階建てで、それより高いものも低いものもない。フィレンチェは5階建てである。建物はすべて道路に面して建っている。しかも隣の建物と密着している。日本のように一軒一軒離れていない。前庭というものがない。公園はあるが、家には見えるところに庭がない。どこにあるのかというと中庭なのだ。その点京都の町とたいへん似通っている。これが合理的な都市のありようなのだろう。
 1階部分はカフェやその他の店で、2階以上が住居になっている。そこの住人たちがカフェにたむろしている。ちなみにフランスでは、2階を1階と呼ぶ。一番下は階ではない。
 フランスの店は、カフェ、カフェレストラン、レストランとなっている。カフェは純然たるカフェ、すなわち喫茶店である。カフェレストランは軽食喫茶と思えばよい。レストランはフォーマルな食堂である。
 カフェでもカフェレストランでも、給仕するのはだいたい男である。パリかどこかで一度だけマックに入った。そこは日本と同じように若い女性が給仕した。英語が苦手と見えて、アメリカ人に説明ができない。娘のところに、これこれは英語でどういうかと聞きに来た。娘も英語は苦手なのだが、簡単な単語だったらしく、なんとかなった。
 食事の飲物は、妻はグラスワインを、ぼくはハイネッケンを飲んでいた。ローマの最後の日に、きょうはボトルを開けてみんなで飲もうぜということになり注文すると、「ハウスワインでいいか」「いいよ」ということで出てきたのがでかい花瓶のような入れ物になみなみと入ったワインである。三人でしたたか酔った。
 乾燥した気候のせいなのか、何を飲んでもうまい。ノンガスの生ぬるい水もうまいし、ミルクを入れないコーヒーもうまいし、ハイネッケンもうまいし、ハウスワインもうまかった。
 フィレンチェの街角に、ダンテが通ったという小さな教会を見つけた。イタリア語が読めないのになぜそれが分かったのか、いま思うと不思議だが、ともかくそうなのだった。中へ入って日本の教会と同じように長椅子に座ると、やがてオルガンの演奏が始まった。気持のよい演奏だったので、ぼくは眠ってしまった。
 パリからアンジェへは汽車で行った。パリのなんとか駅から乗ったのだが、ちなみにパリにはいくつか駅があるが、いずれも始発駅である。線路はその駅で行き止まりになっている。駅には南駅とか北駅などというのもあるが、アウステルリッツ駅はアウステルリッツへ向かう駅だし、リヨン駅はリヨンへ向かう。リヨンにはいったい何駅があるのだろうと心配になる。
 娘はあらかじめ目当ての汽車の切符を買っている。まず改札がない。どこにもない。駅の外からホームまで開けっ放しの出入り自由である。なんのために切符を買うのだろう。汽車の入るホームが分からない。何時に入るかもわからない。娘だから分からないのではない。誰にもわからない。駅員にもわからないのだ。電光掲示板をにらみながら、構内放送に耳を傾ける。分かっているのは乗る汽車の番号だけだ。やがて目当ての汽車の入る時刻とホーム番号とが案内された。汽車が入って来る。清掃マンたちがふざけ合いながらゆったりと近付き、ゆったりと乗りこみ、ゆったりと掃除して、ゆったりと降りてくる。こういう調子だから、汽車の発車時刻も到着時刻もあらかじめわかるはずがないし、それ故どの汽車がどういう順序で入って来るかもわからないから、ホームもそのつどでなければ決めようがないのだ。
 大阪へ帰ってきて、まず目について仕方なかったことがふたつある。大阪の街の雑然としていること。ビルの高さも形もまちまちなら、そこらじゅう看板だらけで、その看板の大きさも形もさまざまで、ごたごたしている。まさしくアジアだ。なるほどアジアへ帰って来たのだという一種感慨があった。
 もうひとつはJRの清掃マンたちの身のこなしである。そのきびきびしたわずかの無駄もない動きに、いまさらながら、日本の労働者の置かれている悲しい地位を見るような気がした。
 最後にもうひとつだけ。ハイウエイである。バスに乗ったのは一度だけで、パリからツールに向かう観光バスだった。ワイン蔵を観に行ったのだ。
 パリは小さな町だ。というかヨーロッパの都市はどれもギュッと凝縮している。日本のようにだらだらと続いていない。密集したビル街を一歩離れるともう田園地帯である。小麦畑と牧草地のだだっ広い平原で、家はところどころにしかない。山もない。日本ではハイウエイは山のなかを走り、ほとんどトンネルのなかで、たまに平地にくると高架だ。ヨーロッパでは平地をずっと走るが、麦畑と牧草地以外ない場所を走るのだから、高架ではなく平地と変わらない場所だったように覚えている。
 ワイン村はさすがに山を少し上る。村の中心部はやはり広場で、何階建てかの建物がそこだけ密集しており、その1階はやはりカフェで、村人たちが何かを飲みながら談笑している。土地がだだっ広いのだから、低層住宅でよかろうし、少し離して建ててもよいと思うのに、こういう生活スタイルはどこへ行っても変わらない。
 思うにヨーロッパというのは千数百年にわたってずっと戦争してきたわけだから、人々はできるだけ固まって住もうとしたのだろう。
 ワイン蔵は洞窟の中で、温度湿度を一定に保っている。ここへ行ったときは娘の韓国人の友達が一緒で、少し年下だろうと思うが、ずいぶん仲が良く、二人で洞窟内を走り回ってはしゃいでいた。
 日本と韓国とすぐ隣の国なのに、遠いヨーロッパで友達になり、フランス語でしか会話ができない。ほほえましくもあるけれど、ちょっと複雑な思いもした。
 それはともかくハイウエイの話だった。田舎ではそういう感じで、パリに帰ってきてどこを走るのかというと、まずセーヌの土手下を並行して走る。それから地下にもぐりこむ。見た目にはパリのどこにもハイウエイはない。それは見えないところに隠してあるのだ。
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