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デカルト レーニン サルトル

 高原さんが今日のコメント(560)で、25日のコメント(558)を加筆修正されています。相変わらず難解ではあるのですが、興味深い点がいくつかあるので、読まれることをお勧めします。
 なお、読んでいる途中で指摘したいと思った点を先回りして言われてしまいました。「レーニンとサルトルは定義を嫌ったが、いまはそれが必要な時だ」という部分です。まさにそこで高原さんが否定されている「レーニンとサルトルの立場」を言うつもりだったのです。弁証法と実存主義とは物事を総体として把握しようとするので、ばらばらにして固定することを避ける。その点、デカルト流の合理主義者からは、あいまいで、非合理主義だとして批判されます。ぼくはデカルトも好きですが、デカルトにとどまったのではやはり世界を把握できない、物質は動いており、存在とは運動のことなので、運動のこととして把握せねばならない、だから高原さんが存在と運動とを区別しようとするのは間違いだと言おうとしたら、「いや、いまはそれが必要なときなのだ」と言われてしまいました。まだ結論は出ませんが、それを含めて面白いところがいくつかあります。
 もうひとつ。
「マルクスが1844年に所有とも帰属とも違う新しい関係を作ろうとしたが、そののちこれを法的所有の問題としてせまくしてしまった」と指摘されているその1844年とは、「ドイツイデオロギー」なのでしょうか。どの著書のどの部分がそれにあたり、その後のどの著書のどの部分がそれを狭くしたのか、具体的にマルクス自身の言葉を引いて比較対照して書いてもらえるとわかりやすいのですが。
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