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デカルト レーニン サルトル

 高原さんが今日のコメント(560)で、25日のコメント(558)を加筆修正されています。相変わらず難解ではあるのですが、興味深い点がいくつかあるので、読まれることをお勧めします。
 なお、読んでいる途中で指摘したいと思った点を先回りして言われてしまいました。「レーニンとサルトルは定義を嫌ったが、いまはそれが必要な時だ」という部分です。まさにそこで高原さんが否定されている「レーニンとサルトルの立場」を言うつもりだったのです。弁証法と実存主義とは物事を総体として把握しようとするので、ばらばらにして固定することを避ける。その点、デカルト流の合理主義者からは、あいまいで、非合理主義だとして批判されます。ぼくはデカルトも好きですが、デカルトにとどまったのではやはり世界を把握できない、物質は動いており、存在とは運動のことなので、運動のこととして把握せねばならない、だから高原さんが存在と運動とを区別しようとするのは間違いだと言おうとしたら、「いや、いまはそれが必要なときなのだ」と言われてしまいました。まだ結論は出ませんが、それを含めて面白いところがいくつかあります。
 もうひとつ。
「マルクスが1844年に所有とも帰属とも違う新しい関係を作ろうとしたが、そののちこれを法的所有の問題としてせまくしてしまった」と指摘されているその1844年とは、「ドイツイデオロギー」なのでしょうか。どの著書のどの部分がそれにあたり、その後のどの著書のどの部分がそれを狭くしたのか、具体的にマルクス自身の言葉を引いて比較対照して書いてもらえるとわかりやすいのですが。
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コメント
573: by 高原利生 on 2016/01/16 at 06:26:07 (コメント編集)

本コメントの親ブログで石崎さんが
「高原の今日のコメント」というのは、

2015年12月の石崎さんの
「大仏次郎賞および大仏次郎論壇賞」
についての高原のコメントです。念のため。

561:とりあえずお答えします 高原利生 by 高原利生 on 2015/12/30 at 13:31:46 (コメント編集)

石崎さんの「デカルト レーニン サルトル」
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-831.htmlへのとりあえずのお答えです。

1844年の著作とは経済学・哲学手稿です。
内容は、前コメントに引用している2013年11月、12月の石崎さんブログのコメント140前後に、マルクス「経済学・哲学手稿」の引用をまとめたのがあります。
経済学・哲学手稿→ ドイツイデオロギー→ 共産党宣言、の順に、彼の意図は狭くなり続け、同時に、悪しき「マルクス主義」定式化が完成する。
通説かもしれないが、僕は初期マルクス派です。
彼の初期の意図を完成させるのが、その後150年のマルクス主義者の役割だったはずだが、そうしなかったという恨み言を、たくさん書いています。

僕は、彼のやらなかったことの一つである弁証法論理を作りつつある。できつつある。
もう一つの所有については、僕の手に負えないので、誰かやってよ、資本主義を変えるためにはそれが必要なのに、それを求めようとせず共産主義や社会主義が理想という資格はない、理解できないとしてもそれは客観的には欺瞞ではないか?というのが言いたいことです。
資本主義を変えることと条件になりあうのが、安全な原子力エネルギーを作る課題です。どちらにも反対する左翼に、僕は反対しています。
僕の今の高原利生ホームページはそれ一色です。最近、来年の論文に忙しく止まっていますが。

追記14時
「経済学・哲学手稿」と「ドイツイデオロギー」の差について、AMAZONの同書の書評で述べています。共産党宣言も含めて、どれもすばらしい名著です。
ただ、具体化が進むにつれ精神は失われていく。彼のせいではない。完成は後の人の課題です。

「所有」という名前が残っている限り、所有は解決していない。ヘーゲルが「精神哲学」で「所有」の定義を一ページ半に渡って完璧に述べています。これは法的な定義です。

また、デカルトが僕の設計の方法の指針でした。

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