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TRIZ再録について

 今年4月に書いたTRIZに関する記事を再録する。こんな記事をつい最近書いたことも、すっかり失念していた。50年前のことはまだ多少思い出せるぼくだが、昨日今日のことは完全に記憶から消えてしまう。
 これを再録するのは、高原さんと向かい合うぼくのスタート地点を再確認するためである。というか、いま直ちに高原論文に入っていけない口実の提示なのかもしれない。
 高原さんから今日来たコメントを読ませていただき、中川徹ホームページに高原論文へのコメントが来ているということなので、それを読もうと思い探したが、これが見つからない。ぼくがホームページなるものに不馴れなせいもあるのだろうが、中川ホームページの大量の記事から目当てのものを探し出す方法が分からない。
 高原ホームページの「右翼と左翼?」は読ませてもらった。以前に読んだ記憶がある。
 印象としては、古本屋さんやデボーリンさんとぼくとの間にある基本的な食い違いと同種のものを、高原さんとのあいだにも感じざるを得ない。
 それはなにか。ノンからスタートして、ウイからスタートしようとしない点である。
 みなさんは理念が先立っている。ぼくはまず現実に立つ。
 みなさんはあれもこれも自分の理念と食い違うといって否定することから始める。
 ぼくはこの現実を現実として認め、そこにどう立つのかというところから考える。
 <生産手段の社会的所有・管理が解なのではない。利益第一主義に代わる推進力を見つける努力をしよう。高原利生ホームページで検討し仮説を作っているが、完全な答えを出せているわけではない。分かれば資本主義を変える運動ができる。>(「右翼と左翼?」から引用)
 この文章の中の「推進力」は、それが利益第一主義に代わるものとして想定されているところから見れば、なんらかの理念であるとしか見ることができない。
 しかし理念を探しても運動が生まれるとはぼくには思えない。運動に必要なのは、運動の主体なのだ。理念は文学の仕事であって政治の仕事ではない。政治がなすべきことは運動の主体を見いだすことである。
 マルクスはそれを労働者に見出した。しかし歴史の現実を見れば、労働者が主体であったことは一度もなかった。労働者はただ革命に利用され、革命が成就すると弾圧された。人間はマルクスが考えていたよりももっとずっと愚かで野蛮だった。
 少なくとも日本では、80年ころまでのあいだに労働者の時代は終わった。無能なぼくが労働者の組織を作ろうとしてジタバタしながら失敗を重ねたのは(無能さゆえの)あたりまえとしても、でもこの間に労働者を組織できなかったのはぼく一人ではない。多少の例外はあるとしても、ほとんどみんなが失敗したのだ。
 失敗し、運動の主体をどこに見いだすことができるかと、苦しみ考え、なお行動的な人々は試行錯誤もしてきた。
 この錯誤のひとつひとつに正当な評価を与えるところから考察をはじめるべきなのだ。
 すべての思想は現実から始まらねばならない。現実へのフィールドワークからだ。
 その一方で思想には思想の歴史がある。哲学とは哲学史であるとぼくは思う。
 <思想とは思想史である。思想は常に思想の歴史の中にしかない。ぼくはそう感じているので、高原さんの思想もやはり思想史の中に位置づけてみたいのだ>(「TRIZ」から引用)
 誤解されやすい表現とも思うが、思想に現実は必要ないと言っているわけではない。現実から出発しつつも、過去の思想史の系譜のなかに位置付けられる必要があるという意味だ。デカルトは「方法序説」と「省察」で、過去の哲学をすべて投げ捨てて基礎から考え直すと言ったが、それは彼の方法にとっては必要なことだったし、投げ捨てるべき理由はちゃんと述べた。
 サルトルは「存在と無」の緒論において、思想史を概括し、自分がどの系譜上で何を明らかにしようとしているかを述べている。
 マルクスを発展させようと試みる者は、マルクスの論理展開にそってそれが明らかにしたものを明示し、そのどこに問題があるかを、マルクスの論理と現実とを対比させる形で、分かりやすく説明する必要がある。
 高原さんの書くものからは、つねに結論だけを読まされる感じがする。マルクスのどこがどう正しく、どこがどう間違っているかの論証がない。間違った結果現実との間にどう齟齬をもたらしたのか。自分はどこをどう構築し直そうとしているのか。そこにはどういう現実があり、どういうヒントがあり、どういう方法を選ぼうとしているのか。
 そういう論理の筋道が見えてこない。ただ、「これは正しい」「これは間違っている」という高原さんの断定があるだけである。納得させる説明がない。
 だから高原さんが何を求めているのかが分からない。
 マルクスは哲学を述べるにせよ、経済学を述べるにせよ、一方では、哲学なり経済学なりの歴史を説明し、それが明らかにしたものと、しなかったものとを明示し、そこから自分の取り組むべき課題をはっきりさせ、もう一方では、あくまでも現実に足場を置き、膨大な資料を集積し、分析し、総合し、そこから出発することで、当時としては最も現実的な論理を築き上げた。
 その壮大な仕事を真似せよといっても誰にでもできることではないが、何を考えるにせよ、書くにせよ、そういう認識を持っている必要はあるだろう。
 以上、高原さんの著作を読みこめないままに書いたので、的外れのところも多いかもしれない。失礼なところがあったすればお詫びします。決して悪意を持っての記述ではないことをご理解ください。
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