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TRIZ再録(15年4月16日)

 高原さんの、いまの時点で最新と思われる論考を、大阪学院大名誉教授の中川徹氏が、ご自身のTRIZホームページにアップされた。
 その中川氏による紹介文を、高原さんがぼくのブログにコメントとして載せられている。
 紹介文だけ読ませてもらい、本文は印刷した。小さめの活字で21枚ある。いつか読ませてもらう。すぐには頭に入りそうにない。
 高原さんの論考は常に独特の用語用法がわかりづらいので、まずTRIZについて知らねば駄目だと思い、一番初めの文献と思われるものを見つけだし、これも印刷した。
 1956年にソ連の学術誌「心理学の諸問題」にアルトシュラーとシャピロが発表した「発明的創造の心理学について」と題する文章である。読みやすい大きさの活字でA4、19ページ、特殊な用語も言いまわしもなく簡明なので、すぐ読んだ。
 TRIZを、ぼくはトリッツと発音していたが、解説記事によると、トゥリーズと読む。ロシア語の頭文字で、「発明問題解決理論」を意味するのだそうだ。ソ連人アルトシュラーによって創始されたが、いまはアメリカに移り、おもにIT関連の技術者によって問題解決の理論として使われている、ということのようだ。
 アルトシュラーの文章のなかみに入る前に、それが心理学の雑誌に発表されたということについて感じたことを述べる。
 ソ連の大学には社会学科がないという話をゴルバチョフの伝記で読んだ。社会学はマルクスによって完成されてしまったので、それ以上研究する必要がないという建前だったようだ。で、ゴルバチョフの妻ライサは、モスクワ大学哲学科で社会学をやった。地方に足を運び、フィールド・ワークで、ロシア初の本格的な社会学調査をやって、かなりすぐれたレポートをまとめたのだという。タテマエがどうあろうとやる気のある人には、やることのできる体制だったのだ。
 ところがソ連にも心理学はあった。このことがまず興味深かった。心理学といえばフロイトを思うし、それはソ連型の「社会主義国」と対立する学問のように見えるのにその学科はあり、もっとも「社会主義的」に思える社会学がないということに皮肉を感じた。この話はそれだけだ。
 さて、なかみである。
 アルトシュラーは、技術問題の解決は、客観的であると同時に主観的なのだという。それは思想や芸術とちがって、現実に形あるものとして実現されねばならないので、その点は客観的法則の内のものである。だが、同時に、解決しようとする主体は人間であるから、その主体たる技術者の心理にかかわってくる。
 それは心理学のテーマでなければならないのに、一番遅れている分野なのだという。
 アルトシュラーがやったのは、技術史資料、発明の回想文献、諸外国の特許文献などの収集、ソ連産業界の経験分析、特に最後の項目では各地の企業を訪ね実地に観察し、検証も行った。その膨大な積み重ねの上に、技術の革新に至る道筋を論理化した。
 短い文章であるから、詳細は書いてない。要点を記すにとどめ、その特徴的な実例を紹介している。どれも興味深いが、特に1813年の「駆け足機」以後、自転車が現在のような形になるにいたった経緯の記述はとても面白い。
 あるいは、蒸気機関にとってかわった電気モーターは、はじめのうちピストンをまねて往復運動で、クランクを使って円運動に変えていた、全然その必要はないのに。といったことなど。
 アルトシュラーが不満だったのは、従来、「発明は豊富な知識にもとづいて、ある日突然インスピレーションが降ってくる」というような類いの言説が蔓延していたからだ。
 そうではない、そこには方法論があり、技術者たちが無意識で行っていることだが、論理化することができ、そうすれば技術者の役に立つだろうということを彼は言いたかった。
 そして自分が書いたものも、じつは完全なものではない。それはもっと改善し、もっと良いものにできると述べている。
 その過程で「資本論」から一部引用し、弁証法も援用しているが、彼の仕事自体はマルクス主義とは関係なく、もっと実証主義的なものである。
 さて、高原論考を読むヒントが得られたかというと、そうでもない。独特の高原用語用法はアルトシュラーにはない。それはアメリカのTRIZで生まれた用語なのかも知れず、次は中川氏の書かれたものを多少読んでみる必要があるだろう。
 その上で、高原さんがアルトシュラーやTRIZから獲得したものが何なのか、高原さん独自のものは何なのか、そういうところを見極めるところから始めねばならないだろうと思う。
 いまの予感としては、たぶんほとんどが高原さんの独創である。高原さんがやろうとしているのはマルクスを次の段階に進めることである。であるにしても、高原さんは、そこにアルトシュラーやTRIZの方法論から何かを学んだと主張されているように思える。そのへんをまず見定めてみたいと思うのだ。思想とは思想史である。思想は常に思想の歴史の中にしかない。ぼくはそう感じているので、高原さんの思想もやはり思想史の中に位置づけてみたいのだ。
 もうひとつ予感を言えば、ぼくはまだTRIZのなんたるかについてアルトシュラーの最初の文章以外には知らないわけだが、正直に告白すれば、ぼくらが会社でさんざんやらされた改善手法のようなものではないかという予感がある。
 日本の企業に改善活動は付きものである。それは年を経るにつれて、改善そのものよりも、改善過程を発表し、その優劣を競うスポーツの側面が強くなった。
 学者が改善に関する教科書を書く。それを企業人が学習して社内に広める。一定のパターンがあり、それに則ってストーリーが作られる。ナントカ法、カントカ法というカタカナ表記の方法が無数にあり、それをできるだけ数多く使って飾りたてパワーポイントにまとめ上げて発表する。
 そのストーリー制作の優劣を競うのだ。実際には改善は――アルトシュラーは嘆いたが――インスピレーションで為される。無意識にいろんな手法を使っているのかもしれないが、我々のような単純な現場では、問題や解決を見つけるのにいろんな手法は必要ない。それは即座に見つかる。でもそれではスポーツにならないので、ストーリーをでっちあげるのだ。
 ぼくは常々馬鹿らしく思い、これは御用学者たちを儲けさせるためにしているのかと思っていた。
 今回、アルトシュラーを読んで多少考えが変わった。ぼくらの単純な労働現場ではそうだったかもしれないが、もっと複雑な技術分野では、方法論がおおいに役立つのかもしれない。現在のアメリカのTRIZは、世界中の膨大な特許を収集してデータベース化しているそうで、そういうことが高度な技術の革新に必要なのだろう。
 そういう再認識を含めて、今後、TRIZを少しかじってみるつもりだ。高原文に本格的に掛かるのはそのあとになるだろう。
 何ごとにもスローな人間なので、ご容赦を。
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コメント
548: by 高原利生 on 2015/12/07 at 17:47:00 (コメント編集)

高原です。読まれる人のためにコメントしておきます。石崎さんのここで触れられているのは、FIT2013という二年ほど前の高原の論文紹介記事です。
この論文も今回紹介した中川徹先生のTRIZホームページからリンクでたどれます。

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