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朝日新聞連載小説

 朝日新聞はいま4編の小説を連載している。毎日必ず載るのが、沢木耕太郎「春に散る」、週に1.2度不定期に飛ぶのが、あさのあつこ「ぼくがきみを殺すまで」、土日を休むのが、夏目漱石「門」、そして土日のみの掲載が、池井戸潤「ガウディ計画」。
 この「ガウディ計画」は全面広告になっている。ということは新聞が原稿料を払わずに、スポンサーが払い、新聞はスポンサーから広告料をとっているということだろうか。つまりテレビでスポット広告とは別に30分なり1時間なりの番組を丸ごと提供するのと同じシステムなのだろう。スポンサーは高い金を払っても小説に惹かれて広告効果が出ることを期待するのだろうか。スポンサーはそのつど違うようだ。
 最初2回ほど読んだが、あとはぱらぱらと目を通しても読む気になれない。何故だろうと考える。まず購読者がいかに老齢化して老眼が進んでいるといっても、活字が極端にでかすぎる。その上これまた馬鹿でかいタイトルが総天然色印刷だ。まずこれで違和感ありすぎで読む気になれない。しかも我慢して読んでみても、文章に味がない。連載と同時にテレビ放映されたそうで、なるほどこれは小説ではないのだ。シナリオなのだ。
 優れた戯曲は、シェイクスピアにせよ誰にせよ、芝居を観なくても読むだけで感動するが、シナリオでは無理なようだ。シナリオというものは絵があってこそのもので、それだけでは味もそっけもない。それはまた別の世界なのだ。
 そしていま小説家たちの一部に、初めから映像効果を当て込んで書くむきがあるようだ。文章は素っ気なくても、絵にしたら冴えるように書く。そういうものはそういう関係者むけのものなのだろう。
 あさのあつこは初めて読む。彼女の少年野球物はブームになった。岡山在住でもあるし、娘は「面白いよ」と言って読んでいた。期待して読みはじめたが、これが一向に面白くない。ふたたび何故だろうと考える。
 ジャンルが違うのだろう。これは児童文学なので、児童文学として味わうことのできる人には味わえるのだろう。おそらく子供の感性が必要なのだ。ぼくにはそれが十分あるつもりでいたが、そうでもなかったようだ。
 第1回目からテーマは明瞭に読みとれた。仲良く暮らしていた隣人どうしがある日いきなり殺し合いを始める。そのことを書こうとしている。いまとても大事なテーマだ。だから期待して読みはじめた。いまも一応読んではいるが、面白くない。
 架空世界の話である。宮崎駿が好んで描く、いつの時代のどの国の話か全く分からないような、そういう世界の話だ。だが、宮崎アニメが見るに値するのは、それがアニメだからである。つまりそこには絵がある。おかしな世界であっても、眼に見ることのできる世界だ。
 小説で架空世界を描く場合、つまりSFなどの場合、その世界が読者の目に浮かぶように、描写を工夫する。マンガが絵で描くところを文章で書く。そこに努力の99%が注がれる。話を思いつくことは誰でもできる。誰にでもはできないのはそこから後なのだ。
 あさのあつこにないのはそれだ。彼女はいまどきの携帯小説のように、ただ書きたいことだけを書いているように見える。舞台装置を書こうとしない。でもたぶん、若い人にはそれで十分なのかもしれない。彼らの空想力は、作品に不足しているものを補うことができるのだろう。
「門」は、何度も読んだような気がしていたが、終わりまで読んだのは一度だけかもしれない。この作品でつまずいて漱石を読めなくなってしまった。数年前になって初めて読み通した。読み通したが、何のことだかわからなかった。
 今回毎日少しずつ読むと、それなりに味わいがある。世の中速読術が流行って一日三冊読むとかいうが、小説というものは日にちをかけてゆっくり読むべきものかもしれない。
 平凡な夫婦の平凡な日常を書いている。いまのところそれだけである。じつはこの夫婦には過去がある。夫は妻を友人から略奪したのだ。そのことには触れないままで小説は日常だけを書いていく。その部分でたいていつまずく。で? 最後どうなったのだったか、じつは記憶にない。だからちょっと読む愉しみがある。
 沢木耕太郎の「春に散る」もどちらかと言えばそういう趣きの作品だ。「春に散る」のだから、春が来れば死んでしまうのだろうが、いまのところ死にそうにないし、春まではまだ間がある。劇的なことはまったく起こらない。すでに老いた元ボクサーがアメリカから帰ってきて旧友を訪ね歩いているだけだ。文章はたんたんと綴られていく。それがなんだか心地よい。
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