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ボリス・シリュルニク

「自分と違うものを見いだす喜びを知ることが大事です」ボリス・シリュルニク〈朝日新聞12月1日〉
 この発言から始めたが、まずは関係ない。あとで書く文章と関係してくるはずなので、とりあえず冒頭に掲げた。

 このところブログを更新できていない。自ブログだけでなくネット世界全体とご無沙汰である。かといって、小説の執筆がはかどっているわけでもなく、読書が進んでいるわけでもない。雑用も立て込んではいるのだが、それ以上に時間の使い方が下手なようで、若いころと比べて地球の回転速度が格段に速くなったような気さえしている。
 きのうの同一時間帯に、過去記事に3つの拍手が付いたが、高原さん関連の記事なので高原さんだろうかと思ったりしている。拍手コメントが付いてないので、どういう意図の拍手なのか不明である。

 それとは別に、高原さんと、デボーリンさんからコメントが来た。まず、高原さんに。
 中川徹教授のTRIZホームページに掲載された高原さんの『差異解消の理論 (3) 弁証法論理と生き方』はぱらぱらと拾い読みしましたが、相変らず難解で長いので、いますぐにはとても読めません。いつか気持ちが落ち着いたら読むということでご勘弁願います。
 高原さんはぼくがブログで公表した読みにくくて少し長い小説を最も熱心に読んでくださり、丁寧で的を射た批評をくださいました。当然ぼくの方も高原さんの著述に対してそうすべきなのですが、すぐにはできないことをご容赦ください。

 さて、デボーリン氏です。
 朴裕河(パクユハ)が韓国で刑事告訴され、日本の知識人グループが抗議文を発表した件です。
 デボーリンさんはこの件で古本屋さんの書く記事に不満があるが、古本屋さんがコメントを嫌うので、ぼくのブログを意見発表の場として利用しているようです。
 それは別にかまいません。ぼくのブログの趣旨とまったく無関係だったり、極端に滅茶苦茶な内容だったり、読むに堪えない幼稚な言葉使いだったりしない限り、どなたの見解も尊重します。
 最近古本屋さんのブログも読めていませんが、従来の傾向からどういうことを書いているかは分かります。
 慰安婦問題に関して、ぼくは古本屋さんには異論があり、デボーリンさんとはおおむね一致していると思います。
 ただ、ぼくは朴裕河の「帝国の慰安婦」を読めていないので、この件で発言する権利がありません。
 前田朗の「朴裕河訴追問題を考える」は一応目を通しました。きのう(5)まで出ましたね。なかなか真面目な論考だとは思いましたが、自分が読んでいないものへの論考の当否は判断できません。
 前田朗は自分は韓国の刑法には無知であると告白しつつ、ヨーロッパ諸国やイスラエルの刑法を例にあげて韓国検察には起訴する権利があると結論しています。
 ぼくとしては、法律論が出てくるので、そこには微妙な問題があるような気もします。法律には政治が絡んでくるし、当該国家の要因が絡んでくるからです。ドイツやイスラエルにはユダヤ人問題に敏感にならざるを得ない歴史的必然性があり、それをただちに普遍化できるかは、個別の検討が必要でしょう。
 前田朗が上野千鶴子を口汚く罵っている文章は、そのいきさつは知りませんが、前田氏に対する信頼を損ねさせるものでした。
 一方、松竹伸幸が、朴裕河を肯定的に評価している文章は読んだ記憶があります。高橋源一郎も、朴裕河の「帝国の慰安婦」ではありませんが、彼女の「和解のために」という2006年大仏次郎論壇賞を受賞した著述を読んだ感想として、彼女に肯定的評価を与えています。(「ぼくらの民主主義なんだぜ」104ページ)
 要するにいろんな意見があります。あなたは「帝国の慰安婦」を読まれたようなので、あなたにはあなたの意見があり、それを発表する権利がある。ぼくは読んでいないので、権利がない。だからいろんな意見を、そういういろんな意見があるのだなとして受け取るだけです。すべてのことがらについて自分の意見を持つことなどできません。

 そこで、冒頭に戻ってください。ボリス・シリュルニクです。
「自分と違うものを見いだす喜びを知ることが大事です」
 彼は両親と親族のほとんどを殺され、強制収容所へ移送される途中で脱走して生き延びました。6才のときです。その彼らを捕まえたのは、ビシー政権下のフランス警察です。
 ところが戦後フランス人たちは、自分たちはみんなレジスタンスだったのだという物語のなかに都合よく紛れ込み、自分たちも加害者だったのだということを忘れ去りました。
 シリュルニクは「自分と違うもの」だらけのなかを孤独に、だが賢く生き延び、精神科医、作家となりました。その彼の発言だからこそ、その彼の署名のある発言だからこそ、「自分と違うものを見いだす喜び」という言葉が大変な重みを持っているのだと知れます。
 デボーリンさんが松竹伸幸を批判してもかまいません。意見が違えば批判するのは当然です。だが、「右転落」とはなにですか。右へ行くのは転落なのですか。松竹氏は右へ行くことが正しいと判断して右へ行くのです。それは松竹氏の自由であって、転落と呼ばれねばならないことではないでしょう?
 えてして日本共産党よりも左に属している層のネット住人たちには、自分を絶対視する傾向があります。日本共産党もかつてはそうでしたが、いまはかなり丸くなったようです(それがたぶん右転落なのでしょうが)。
 ぼくは司馬遼太郎の土方歳三評を思い浮かべます。どの作品中だったか、これは彼自身の言葉ではなく、誰かの言葉を引用して、次のように言っています。
「むかし気狂いの植木職人がいて、この枝も気に入らない、あの枝も気に入らないと言って次々切っていって、しまいに何も残らなくなった。土方歳三はそんな男だ」
 実際にそうだったかどうかは不明ですが、ぼくはあなた方にその植木職人を思ってしまうのです。理想を求めて気に入らないものを切り捨てていけば何も残らなくなる。
「自分と違うものを見いだす喜び」を知って下さい。
 なお、慰安婦問題とのかかわりでいえば、シリュルニクはこういうことも言っています。
「社会の意図的な記憶喪失こそが全体主義の再来を招く」
 これはデボーリンさんの主張と重なるでしょう。
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コメント
592:デボーリンさんへ by 石崎徹 on 2016/03/09 at 09:55:28 (コメント編集)

 いずれも大事な問題だというのはわかるのですが、いま文学に集中したいので、あちこち手を広げられないのです。ぼくももういつ死んでもおかしくない年齢ですので、ご容赦ください。

591: by デボーリンの墓守 on 2016/03/09 at 03:41:56 (コメント編集)

次の本をぜひ読んでほしいと思います。
http://31shobo.com/?p=3905
慰安婦」問題の現在--「朴裕河現象」と知識人(三一書房)

朴裕河があたかも「言論弾圧」されているかのようなデタラメな報道がなされている(古本屋通信もそれに荷担している)中で、良心的知識人が歴史の真実を対置したものです。

それとどうしても読んでもらいたい本はもう一冊あります。

高杉晋吾『部落差別と八鹿高校 糾弾の論理』(三一新書)

絶版ですが古書で簡単に手に入ります。

あなたは部落問題について日本共産党のほうが正しいと思っておられるようですが、この本で日本共産党のデマが暴かれています。

564: by デボーリンの墓守 on 2016/01/02 at 14:17:05 (コメント編集)

また、つくづく思ったのですが、古本屋通信はまるで「浦島太郎」のような存在ですね。
いまだに日本共産党が革命党だとか、民主主義的中央集権制が存在するとか、坂井希委員長だとか言っていることが信じられません。彼のような元党員が甘やかすから党の堕落も加速したともいえるのでしょうが。
ちょうど今年は国会開会式に日本共産党議員が参加するとのことで、また右転落が進行したのですが、古本屋通信はいつまでたっても末期ガンを治療する奇跡を追い求めるのでしょうか。
日本共産党は民主主義的中央集権制どころか、トップ4名(不破・志位・浜野・山下)がすべてを決定する「官僚集中制」の党にすぎませんし、古本屋通信の「民主主義的中央集権制」の理解もデタラメです。
また、坂井希は年齢からいって日本共産党の最期を看取る存在になりうるかもしれませんが、彼女が左翼運動に貢献する可能性は全くのゼロです。
また、宮顕の傷害致死事件での「特異体質によるショック死」などという宮本王朝神話を信じていることに衝撃を受けました。小畑が死んだのは特異体質によるものではなく、外傷性ショック死、普通の言葉でいえばリンチで殺されたのです。そして小畑がスパイでなかったことは立花隆『日本共産党の研究』で決着済みだと思います。私はスパイというのならむしろ宮顕のほうがはるかに怪しいというのが公平な見方だと思います。

563: by デボーリンの墓守 on 2016/01/02 at 13:57:18 (コメント編集)

>意見が違えば批判するのは当然です。だが、「右転落」とはなにですか。右へ行くのは転落なのですか。松竹氏は右へ行くことが正しいと判断して右へ行くのです。それは松竹氏の自由であって、転落と呼ばれねばならないことではないでしょう?

私は、松竹は単に思想が違うというだけでなく人間的に軽蔑に値すると思っています。
筆坂秀世と比べてみればよい。私は筆坂秀世の思想に全く共感するところがありませんが、彼は少なくとも正直です。彼は正直に転向したといっています。しかし松竹は正直に転向したといわずに「超左翼おじさん」などと名乗り、あたかも左翼であり進歩派であるかのように装いながら、朴裕河を支持して性奴隷被害者を踏みにじっているのです。松竹のような人間は最大限の軽蔑に値するゴミです。

552: by デボーリンの墓守 on 2015/12/15 at 17:24:45 (コメント編集)

性犯罪においても、被害者の証言が常に信用できるわけではありません。
例として、このような事件がありました。
ある既婚女性Aが、別の男性Bと不倫関係にありました。Aは、Bの知人男性Cから強かん被害を受けました。AがCから強かんされたことは間違いなく事実だったのですが、AはBとの不倫関係を隠すために事実をゆがめた供述をしたので、つじつまの合わない点が出てきてしまいました。戦時でない性犯罪においてすらこういうことはあるのです。
戦争犯罪としての軍事性奴隷制を解明するうえでも、歴史家はこのような困難に直面しながら、事実を解明してきたのです。ところが、素人の朴裕河が思い込み(もしくは政治的目的)のために歴史学の成果を無視したトンデモ本を出版し、それを日本の責任をうやむやにしたい勢力が持ち上げるという事態のなかで、性奴隷被害者たちが朴裕河を告発し、検察がその告発に理があるとして起訴したのです。ここには何ら非難すべき「言論弾圧」はありません。松竹伸幸のような人物に称賛されること自体が、朴裕河が日本の歴史修正主義者と同類だということを物語っているでしょう。
古本屋通信論法によると、正統性が認められない国家の検察に味方することは非難されるべきことであるかのようですが、この論法では「韓国」ではでっちあげでない一般刑事事件でも起訴はすべて不当ということになるでしょう。まさに途方もない立場です。「韓国」では何の落ち度もない者を殺しても罪に問われるべきではないのでしょうか?

古本屋通信記事に次のようにあります。

>最後の2行でボロが出たな。左翼が一般刑事事件でヤラレタラまず左翼弾圧の口実と見るのが常識。権力はハレンチ罪でしょっ引いて拷問を加えてゲロを吐かせて罪をでっち上げるのが常道だろう。しかし宮本顕治が殺人犯だったとするデボーリンには通用しないだろう。

だから私は最初から「でっちあげでない一般刑事犯罪」と限定しているのが読めないのでしょうか?実際、そのような例はあります。あえて名前を挙げる必要はないから書きませんが、ある無党派の著名活動家は、酔うと万引きする癖があり、何度も逮捕され罰金刑も受けています。私はこれが不当だとは思いません。
日本共産党が再審請求運動を起こした白鳥事件も、えん罪ではなく、事実でした。このことは白鳥事件での最高裁決定の歴史的意義を低めるものではありません。
中核派の星野文昭さんは無実の罪で無期懲役にされ収監されています。私は彼の再審請求を支援していますが、彼が窃盗の軽犯罪を犯したことは事実と考えています。
宮本顕治の不法監禁・傷害致死・死体遺棄がでっち上げではなく事実であったことも、合理的な疑いの余地はありませんし、宮本顕治が釈放後も再審請求しなかったこと自体が真実を物語っています。なお、私は宮顕は獄中で転向したために違法に釈放され、転向を隠したまま再建後の日本共産党指導部にもぐりこんだと考えています。
セクト的利害のために真実をゆがめるのはその党派をも堕落させることは言うまでもありません。

551: by デボーリンの墓守 on 2015/12/15 at 16:49:29 (コメント編集)

すでに述べたことですが、朴裕河はそもそも歴史学の訓練を受けたことがない人物なので、『帝国の慰安婦』もとうていまともな歴史書とはいえないものです。このことは、現在の大韓民国政権の正統性とは全く別の話ですが、古本屋通信氏はそのことを理解できないようです。
確かに、歴史学と政治は切り離すことはできません。古代史ですらそうなのですから、まだ決着のついていない性奴隷問題についてさらにそうでしょう。しかし、歴史学者は、政治と切り離せない中でも史料批判をして研究成果を蓄積してきたのです。歴史家ではない朴裕河はそもそもこの問題についての歴史学的研究についての基礎的知識すらないのです。
古本屋通信論法を拡張するなら、どんな歴史改ざんも可能となってしまうでしょう。たとえば「イスラエル」のネタニヤフ首相は「ホロコーストはパレスチナ人指導者のせいだ」という趣旨の発言を行いました。もちろんこれはデタラメです。「イスラエル」はこのようなデタラメ国家です。古本屋通信論法によると、「だからホロコーストもねつ造だ」ということだって言えることになってしまうでしょう。
あるいは、中国政府の見解は日本の侵略犠牲者数を誇張している点があります。中国政府の見解では日本の侵略により3500万の中国人が犠牲となったとしていますが、この数字は誇大と思われます。また、日本の台湾植民地支配下で60万人が犠牲となったとされていますが、この数字も誇大と思われます。古本屋通信論法では、「だから南京大虐殺はなかった」と言えてしまうのではないでしょうか?

550: by デボーリンの墓守 on 2015/12/15 at 16:33:58 (コメント編集)

少し遅くなりましたが、朴裕河起訴についての古本屋通信記事について書きます。
彼はそもそも歴史学とは何かが全く理解できていない(この点では朴裕河も同じ)ので、議論するのも疲れるので、とりあえず朴裕河起訴が言論弾圧ではないということを説明した文章を貼っておきます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151203-00022669-hankyoreh-kr

[インタビュー]『帝国の慰安婦』著者を告訴したのはハルモニたち、弾圧ではない

ハンギョレ新聞 12月3日(木)7時17分配信

[インタビュー]『帝国の慰安婦』著者を告訴したのはハルモニたち、弾圧ではない

鄭栄桓明治学院大学教授=キル・ユンヒョン特派員
鄭栄桓明治学院大学教授

 韓国警察が先月18日、パク・ユハ世宗大学教授の著書『帝国の慰安婦』に対する起訴を決定してから、韓日両国で激しい賛否両論が続いている。先月26日、日本の知識人たちが、今回の起訴の「抗議声明」を発表したのに続き、2日、韓国でも似たような趣旨の声明が公開された。在日朝鮮人3世として、今年「歴史批評」夏号の紙面を通じて『帝国の慰安婦』を鋭く批判した鄭栄桓(チョン・ヨンファン)明治学院大学教授は「パク教授に対する検察の起訴を単に権力による言論弾圧として捉えるのは、適切ではない」として「パク教授の本は数多くの誤りと飛躍を犯しており、(日本帝国に)愛国する存在という慰安婦のイメージを“本質”と主張するなど、(慰安婦被害者)ハルモニ(お婆さん)たちが名誉を毀損されたと感じるような、少なからぬ問題を内包している」と指摘した。

日本で慰安婦問題を研究してきた 
在日朝鮮人3世の歴史学者 

「日本の一部知識人たちによる反対声明の原因とは? 
「慰安婦に対する法的責任を求めることを 
日本のリベラルは反日として捉えている」

 -先月26日、日本の知識人たちが韓国検察の起訴決定を批判する内容の声明を出した。

 「声明には二つの問題がある。まず、今回の起訴事態がハルモニたちの告訴で始まったという点について言及していない。第二に、同書が「ハルモニたちの名誉を毀損したとは考えにくい」と主張している。声明は、今回の事件を公権力が特定の歴史観を抑圧するものとして捉えているが、問題の原点は、ハルモニたちが自分たちの名誉が毀損されたと思って告訴したことにある。単に権力による言論弾圧として捉えるのは適切ではない。もちろん(同書に込められた表現が)処罰を加える程度の名誉毀損かどうかについては、裁判所が判断しなければならない。しかし、声明が名誉毀損自体を否定したのは過ちではないかと思う。『帝国の慰安婦』には歴史修正主義的な内容も含まれているが、声明を出した方々が、この本の内容をよく理解していないような気もする」

 - あなたが思う同書の問題は何か。

 「根拠のない主張、論理的な飛躍、互に矛盾する記述、恣意的な史料の解析など、内容について議論する前に、深刻な方法論的な欠陥がある。内容における問題は、大きく分けて二つだ。第一に、日本軍慰安婦制度が戦争犯罪であり、日本はこれに対して“法的責任”があるという認識が欠けている。同書はその代わりに朝鮮人業者の法的責任を強調し、(慰安婦の募集と設置・運営など)軍が関与した歴史的な事実について、これまでの研究が明らかにした事実を軽視している。それとともに、日本には『需要を作りだし、人身売買を黙認した』程度の責任があるだけだと主張する(同書はこれを、法的責任に問われない、道徳的な意味としての罪としている)。第二に、慰安婦の生活を強いられ方の意識と内面を恣意的に記述して勝手に代弁している。同書は、慰安婦の本質が日本の戦争遂行を助ける『愛国』的存在であり、当事者たちもその役割を受け入れたと主張している。これを記述する過程で(名誉毀損訴訟の主な内容となった日本軍兵士と朝鮮人慰安婦が)『同志的な関係』にあり、女性たちに『同志意識』があったという表現も出てくる。しかし、女性がそのような主観的な意識を持っていたという主張には、何ら根拠がない」

 - 根拠がないとはどういう意味か。

 「女性たちが愛国的存在だったと、パク教授が推測する根拠の一つが、千田夏光の『従軍慰安婦』(1973)という本だ。パク教授は千田が慰安婦を愛国的な存在として捉えており、それが慰安婦の本質だと主張している。しかし、(実際の本を読んでみると)千田はそのような主張をしていない。日本人慰安婦がそのようなことを思っていたという証言も紹介されているが、朝鮮人慰安婦が愛国意識を持っていたとは書いていな。日本人の事例を朝鮮人に適用する飛躍を犯しているのである。パク教授は、朝鮮人慰安婦が日本人と同じ大日本帝国の臣民であるため、戦場で敵国の国民だった中国や東南アジアの女性と質的に異なる存在だと主張している。これは、同書の主要な主張であり、証明されるべき仮説だ。しかし、(パク教授は)証明しなければならない自分の仮説を結論とし、史料を勝手に解釈している。これは、学術論争以前に、文献解釈における初歩的な誤りだ。問題になった『同志意識』を取り上げる際にも、日本人作家が書いた小説に登場した朝鮮人慰安婦のセリフをそのまま写している。つまり、小説の中の朝鮮人慰安婦が『慰安婦になったのも運だ。兵士たちが弾に撃たれるのも運だし」と言ったことを挙げて、朝鮮人慰安婦に『同志意識』があったからこそ兵士を犠牲者として捉えていたと主張する。これはあくまでも小説に出てくる朝鮮人の姿だ。これで当事者の意識を証明することはできない。他にも多くの誤りがある。パク教授は、このような誤りと飛躍を犯して作り上げたイメージを、慰安婦の“本質”と主張して一般化している。ハルモニたちが名誉を毀損されたと思うのは当然のことだ」

 - 日本の知識人たちが、このような声明を出した根本的な原因は何だろうか。

 「声明を読んでみると、日本の知識人たちは、韓国という国は反日的な言説しか受け入れられないという先入観を持っているようだ。だから検察が出て起訴をするという論理だ。実際に韓国の検察には多くの問題があり、権力者たちが名誉毀損罪を悪用してきたのも事実だ。しかし、今回の訴訟を言論弾圧とするのはあまりにも問題を単純化することだ。この声明から見られるのは、同書を高く評価している日本の知識人たちの欲望だ。日本の知識人たちが同書を評価するのは、内容が素晴らしいからというよりも、同書の主張がリベラル知識人たちの欲望にぴったり合ったためと思われる。 1990年代に慰安婦問題の解決のために、日本が選択したのは、(韓日間の請求権の問題は、1965年の韓日協定ですべて解決されたという)『65年体制』を維持する形での解決だった。日本社会は、慰安婦問題が日本の戦争犯罪であるため、“法的責任”を負わなければならないということを認めない方法で、1995年に『アジア女性基金』などの解決策を出した。しかし、被害者たちはこれを受け入れず、加害者の処罰、真相究明、法的責任を認めた賠償、歴史教育などを主張した。このような韓国の主張を日本のリベラルたちは行き過ぎた“反日”として捉えたのだ。彼らは2011年8月に示された韓国の憲法裁判所による慰安婦関連の違憲決定なども、そのように捉えている。『韓国の民族主義が行き過ぎてしまったのではないか、慰安婦問題に対する韓国の主張は民族主義的過ぎて、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の主張は、あまりにもひどいものではないか』という認識だ。このような日本のリベラルの心情に合う主張を、パク教授という韓国人がしてくれたことが嬉しかっただろう。彼らは、戦後の日本は、他のどの国よりも植民地清算に積極的だったし、韓日協定とアジア女性基金で“実質的補償”もしたと評価している。被害者の名誉よりも、自分たちのプライドを優先しているように見える」

 - それでも韓日で慰安婦問題を解決しなければならないが。

 「解決とは何なのかをもう一度考えなければならない。慰安婦問題を外交問題として考えている人と、日本の戦争犯罪問題という観点から見る人がいる。この二人は慰安婦問題という同じテーマについて語りながらも、基本的な視点が異なっている。いかに『外交的に和解するか』という枠組みで話をすると、韓国は現在、日本政府が選択できる範囲内で提案せざるを得ない。少女像の撤去や移動などの話が出てくることも、このような外交的和解を望んでいるからだ。このような観点に立つと、慰安婦被害者と支援団体が韓日間の和解の障害となる。パク教授の主張は、事実上、日本軍と『同志的な関係』にあり、日本の戦争遂行に協力して愛国したハルモニたちを、日本が受け止めてあげなければならないということだ。慰安婦問題を解決するためには、軍が侵略戦争の過程で慰安所を作ったこと自体が、戦争犯罪だったという事実を認めなければならない。『帝国の慰安婦』にはこのような視点がないため、批判されているのだ。少女像に込められた慰安婦のイメージが一面的であるなら、別の女性像を作れば良い。外交的和解ではなく、日本が加害責任を果たすことを目的にしなければならない。それが出発点だ」

東京/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

546:石崎徹ブログentry-817 2015年11月に返信  2015年12月07日 高原利生 by 高原利生 on 2015/12/07 at 10:20:52 (コメント編集)

546:石崎徹ブログentry-817 2015年11月
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-817.htmlに返信  2015年12月07日 高原利生

中川徹教授のTRIZホームページ高原利生論文集3『差異解消の理論 (3) 弁証法論理と生き方』を読もうとしていただきありがとうございます。これへの別の人からのコメントもTRIZホームページに載っていますので見ていただければ、と思います。
この最後の三部のノートが、今、高原利生ホームページhttp://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/(石崎徹ブログの右にリンクがある)で検討している内容の準備になっています。高原利生ホームページを先に読んでいただくほうがいいかもしれません。三部のノートは確かに少し長くA4で50ページ以上ありますので。これでも中川先生と相談の上、「議論になりそうな」10ページほどカットしたものです。

今回の石崎さんの
「ブログの趣旨とまったく無関係だったり、極端に滅茶苦茶な内容だったり、読むに堪えない幼稚な言葉使いだったりしない限り、どなたの見解も尊重します」
に賛成します。
昨年だったか一昨年だったか、土佐の高知の雑記帳ブログの、なんとか@ネオ・トロツキストさんのコメントに反論したら、この人が「読むに堪えない幼稚な言葉使い」の小学生のやくざになったので、「小学生のやくざの幼稚な言葉使いに付き合えない」とは書けず、丁寧に相手を立ててもう続けないと断ったことがありました。
ネオトロさんの小学生のやくざの実例を挙げておきます。冒頭と最後の部分です。
「はははは、教条崇拝癖には付き合えんねぇw
マルクスの「自由貿易の革命性」を具体的歴史段階の違いの分析も無く振り回す図式主義の教条カルトらしい言い草だねw
(略)
資本主義時代に生まれた科学技術を、利潤獲得手段という科学技術の形態規定を剥ぎ取れば、全て社会主義社会でも丸ごと援用出来るなどという幻想は、スターリンのものだぜぃ!!!wwwwwwww
生産関係主義者のあんたこそ、「原発技術に立脚した社会主義」とやらで地獄へ行けよ!w
それから、文末部分は、何を言いたいのかサッパリ解らんぜ。
作文技術も磨いて出直して来いやwwwww」(引用終わり)

反論は済んだのと、この人が「読むに堪えない幼稚な言葉使い」の小学生のやくざになったので、「小学生のやくざの幼稚な言葉使いに付き合えない」とは書けず、丁寧に相手を立ててもう続けないと断ったことがありました。
これに対するある人の僕への批判も読んで恥ずかしくなる体のものでした。
左翼の評価を下げる議論に関与してしまったことになります。
ネオトロさんはこれ以外はまともな文、まともな事実認識、論理でした。元東大民青さん、デボーリンの墓守さんもまともな事実認識、論理でした。
ただ原発になると左翼は支離滅裂になります。
例に挙げた議論の品のなさは、左翼の内ゲバと同根です。

実名と匿名の議論は、実名側が責任を背負う発言をしないといけないのに対し、ネット左翼も一般にネット右翼ほど陰湿でないとはいえ、匿名側に、匿名ゆえの無責任な品性のなさがたまにあり、どう付き合うか課題です。自分でブログを立ち上げない理由の一つです。主な理由は、気力体力、時間がないことですが。(古本屋通信さんが、何度も名前について弁明されていることには一応納得します。彼は、古本屋の名前も自分の特定も誰でもできることを、見た限りですが三(20151219修正)度書いていました。匿名であることを気にされてはいるのだと理解します)

2015年11月11日の「左翼のみなさん」と、匿名について触れられていた別の記事に関して、高原利生ホームページに「右翼と左翼?」を書いています。
高原利生ホームページは、改版が多いです。「右翼と左翼?」も、せっかく石崎さんが翻訳してくれた「抽象的平和 二版」も「抽象的愛の否定と抽象的平和の否定 二版」に大幅に改版しています。「抽象的平和 二版」の内容を十分取り入れてないところもあります。すみません。

「抽象的愛の否定と抽象的平和の否定 二版」では、エホバの証人批判が何度も書き加えられています。僕の家は公道に面していないのですが、それでも宗教の宣伝が時々来ます。どんな宗教の宣伝でも勧誘でも、必ず時間をとって話を聞き、必要な批判をするようにしています。
エホバの証人は頻繁にきます。普通のペアは、適当に応対して終わりになるのです。繰り返し来る人が今まで二人いて、一人は一年以上続きました。もう一人は数回で、どちらも向こうから、もう行かないというメールが来て終わりになりました。この二人はまじめで「優秀」でした。
怒り心頭ですが、やっとエホバの証人を批判できるようになったと思っています。それを「抽象的愛の否定と抽象的平和の否定 二版」に書き、抜粋を二編作って少し前に置いています。
エホバの証人と左翼の違う点はもちろん大きいのですが、欠点に驚くほど共通点が多いことも書いています。

545: by デボーリンの墓守 on 2015/12/05 at 03:41:13 (コメント編集)

松竹の転向は明白に「転落」なのです。それが集中的に表れているのが、彼が朴裕河を称賛していることなのです。

松竹のヨタ話をいちいち相手にしているヒマはありませんから、彼にはこの程度の言及で十分でしょう。
http://roodevil.blog.shinobi.jp/%E5%A4%89%E8%B3%AA%E8%80%85%E5%88%97%E4%BC%9D/%E6%9D%BE%E7%AB%B9%E4%BC%B8%E5%B9%B8%E3%81%AF%E3%80%8C%E5%A4%89%E7%AF%80%E8%80%85%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%80%8C%E5%A4%89%E8%B3%AA%E8%80%85%E3%80%8D

544: by デボーリンの墓守 on 2015/12/05 at 03:31:47 (コメント編集)

それに、朴裕河起訴にたいする抗議声明に加わっている人々を注意深く見てみればわかるように、日本帝国主義の犯罪をきちんと清算させる運動に加わってきた人々は誰も入っていないことです。かつて「国民基金」の中心になった和田春樹すら署名していません。そして日本のマスコミはすべて抗議声明を支持しています。

そして朴裕河に対する民事訴訟や起訴を支援してきたのは日本軍性奴隷制を追及し被害者を支援してきた人々です。これを見れば何が正しいかは明白ではないでしょうか?

543: by デボーリンの墓守 on 2015/12/05 at 03:21:17 (コメント編集)

古本屋通信記事は、この人が戦争犯罪と性奴隷制の問題について全然無知であるだけでなく、勝手な思い込みで発言していることを明白にしています。問題となっているのが何かすら理解していないのです。

たとえばこのような記述。

>私はおそろしいと思った。従軍慰安婦が純粋無垢の少女であろうはずがなかった。20万人の「素人」の女をどうやって当地の(外国人の)日本軍が徴用できるんだ。頭を冷やして冷静に考えればわかることだ。絶対に不可能なことだ。

そもそもそんな主張をしている歴史家はいないのですから、そんなことに反論しても意味がありません。

また、

>右翼の橋下が 「(当時としては)従軍慰安婦制度は必要だった」 と、余りにも当然な常識を語った。

なんというのは全く目をむくような主張です。

そのほか、古本屋通信記事はすべて論外なので、まず基本書の一冊でも読むことをお勧めします。吉見義明さんの本でも読むべきです。

それと、『帝国の慰安婦』についてはこちらのほうが適切だったかもしれません。
http://kscykscy.exblog.jp/tags/%E6%9C%B4%E8%A3%95%E6%B2%B3%E3%80%8E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%80%8F%E6%89%B9%E5%88%A4/

『帝国の慰安婦』が広く受け入れられてしまうような結果になったのは、歴史学者の怠慢があります。著者の朴裕河の専門は日本文学であり、歴史学ではありません。歴史学者からみれば、『帝国の慰安婦』は議論にも値しない素人のトンデモ本ですから、放置しておいたのが悪い方向に働いたのでしょう。ちょうど、南京大虐殺否定論がいまどき広まっているのと似ているかもしれません。歴史学者たちは、とっくに決着のついた問題を蒸し返す漫画家やトンデモ学者を相手にしようとしなかったのが悪かったといえるでしょう。

繰り返しますが朴裕河の起訴は「言論弾圧」ではなく、名誉棄損に対する当然の起訴です。

それに、このようなとんでもないことも書いています。

>たったこれだけの初歩的な真実を書いただけで、元従軍慰安婦を使って国家権力が研究者を弾圧するのだ。

「元従軍慰安婦を使って」と、あたかも「ナヌムの家」で共同生活する性奴隷制被害者たちが国家権力に使われているかのような記述。こんなとてつもない認識が「左翼」を名乗る者のいったいどこらあたりから出てくるのか、まっとうに理解することは不可能です。彼の書き込みから判断するに、「『韓国』はファッショ国家だから検察のやることは弾圧である」という思考回路になっているのでしょう。しかしこれはめちゃくちゃです。私は「中華民国」という「国家」を認めませんが、「中華民国」の検察による起訴がすべて不当だなどとは思いません。あるいは、国家権力による左翼弾圧などは世界中にあるでしょうが、左翼活動家がでっちあげでない一般刑事犯罪で起訴され有罪になることが不当だとは思いません。

いったん切ります。

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