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SEALDs批判に

 もう書かないつもりだったが、言葉が頭の中で飛びかって、うるさくて小説に集中できないので少しだけ書く。
 方々で目にするSEALDs批判が、どれも同じことを書いているのを見ると、そこが誰しも疑問に思うことなのか、それとも独創性の欠如なのかとも思うが、3点あげる。
1、日本こそが北東アジアの平和のイニシアティブをとるべきだというSEALDsの主張に対する批判について。
 これ、じつはぼくの従来からの主張そのものなのだ。ただ現状では日本にその資格が無い。
 それは第一に、日本は権力も世論も、侵略戦争をほんとうには反省していない。第二に、日本はアメリカの軍事戦略のもとに従属している。この二つを解決しない限り、いまわれわれがいるこの北東アジアでの平和のイニシアティブをとることは不可能である。
 だから、ぼくが「日本こそが……」という主張をするとき、その意味は、その資格を持てるようにこの二つの問題を解決しなさいという意味なのだ。
 少なくともそれを解決するという方向へ向かうことへの期待なのだ。
 もちろんSEALDsのメンバーはさまざまだから、ぼくのように考える人もいれば、そうでない人もいるだろう。その最大公約数があのような表現になったのだろう。それを危険な方向に解釈するのも分からないではないし、言葉足らずかも知れない。批判を受けて考慮すべきところもあるだろう。
 しかし我々が最も読みとるべきところは彼らの平和への意志であり、それは敷衍していけばぼくがいま言ったような問題につながってくるものだろう。
2、「国民なめんな」
 これについては、大月版「民主主義ってこれだ」の137ページ~139ページに彼らの考えを書いているので、直接読んでください。ぼくの方から付け加えることはありません。
3、中核派を追い出した。
 これも方々で目にするけれど、書いている人たちは現場に居合わせた少なくとも複数の人から取材してものを言っているのだろうか。芥川龍之介の「藪の中」を読んだ人なら常識だけど、一つのことがらには複数の解釈がある。新聞を読んだり、たまにテレビを観たりするたびに思うのは、「この人たちどこまで取材してものを言ってるの?」ということだ。政治家への言葉尻をとらえた批判なんかもときどき疑問に思うけど、一つのことがらが、直接見聞きもしなかった人々の手で広がっていくとき、その軽々しさに唖然としてしまう。批判するためには事実をよく調査すべきだろう。その上でしかるべき問題点が出てくれば、批判すればよい。当人たちが間違いを認めれば謝罪するかもしれない。
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