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ノロ鍋始末記 第四章

 翌朝のミーティングで大江は別にこの件には触れずに、いつもどおり、災害速報や、安全に関する若干の注意事項を述べただけで終わった。こんなミーティングがなんの役に立つんだろうと直木は思うが、氷川班や、ほかの班もいて、それぞれ仕事の内容が違うので、抽象的なミーティングにならざるをえないのだろう。出がけに安部係長が、よろしく頼むぞ、と柴田さんと直木にむかっていった。大江が現場までついて来た。せまい詰所に十人が入るので、坐れない何人かは立ったままだ。暖房を予約していたので、閉めきれば暖かい。
 大江が口を切った。
「みんなももう聞いていると思うが、きょうから、柴田さんと直木君にはノロ鍋の仕事をしてもらうことになった。本来なら班長を抜くわけにはいかんのだが、いますぐ責任持ってあの仕事をやれるのが柴田さんしかいないので、仕方がない。この班はいままで柴田さんに甘えてきた。それぞれが自分の仕事を囲ってしまって、多能工化が進んどらん。きょうからみな、自分の殻を破って、どの仕事でも出来るようになってほしい。吉川」
「うん?」
 中ほどに坐っていた吉川が顔をあげて大江を見た。
「当分、おまえがこの班を指揮してくれ」
「いいけど、いままでどおりの分担でええんやろ」
「すぐには中の仕事はいじれんだろうが、出作業はおまえが中心にならないかん。柴田さんと直木がしていた仕事も誰かがやらねばならんし、部材の納入先を見てまわって納期を把握するのが大事だ」
「おれはいまの仕事で手一杯や。森もおるし、木村もおるやないか」
「みなまだ経験不足だ」
「おれがいちばん経験しとらんぜ」
「ここの現場はそうかも知れんが、三十年のキャリアを持って、もともと班長の肩書きを持っているんだろが。当分はわしが一緒に動くから、早くマスターするようにしてくれ」
「ノロ鍋には渋井がおるやないの。なんで柴田さんが行かなならんのや」
「やかましい」大江がとうとう怒鳴り声を上げた。「おまえとはあとで話そう。柴田さん、とりあえずいま指示しとくことないか」
「きょうは出作業はなかけん、いつもどおりでよか。わしと直木がやっとった仕事を誰かにやってもらわなならんが、すぐ急ぐわけじゃねえから、大江と吉川で相談してくれ。あしたは脱ガスがあるぞ。まあ、みんなケガせんようにやれや」
 柴田さんがにっこり笑うと、みんなの笑顔が返ってきた。
「防具類を運ばなならんから軽を使うぞ。キーはどれか」
 直木が替わって、ドアのそばにぶら下げたキーのひとつを取った。
「車を中まで入れろ。防具を積んで出よう」
 直木は工場を出て、軽トラに乗った。エンジンが冷えているので、かけるのにちょっと手間どった。バックで詰所の前まで入れた。
「むこうにロッカーがあるんですかねえ」
「おう、あるぞ。渋井のものをほり捨てて使やええ」
「テープラでネームを入れましょう」直木はふたたびドアを開けた。「大江さん、テープラ貸してください」
 なにかしゃべっていた大江は、ちょっと不快そうに顔をしかめた。
「あとで持っていく」ぶっきらぼうにいった。
 車に乗り込んでから、直木はぼやいた。
「大江さんは、柴田さんに対するときと、ぼくに対するときと態度が違うなあ」
 柴田さんは笑った。
「新米とベテランが同じあつかいされてたまるか」
「吉川さんは班長の仕事をしたことがあるんですか」
「あれも渋井と同じよ。タチバナが業者を使って工事の仕事をしていた時分に、ずっと監督をしとったんじゃ。業者には親方がついてくるけんな、メーカーから言われたことを親方に伝えるだけじゃ。実際に職人使うのは親方やで、自分でほんまに人を動かしたことがない。そのくせ、自分は監督やという頭が抜けんとや」
「そういうことか。あの人はいつも口だけだもんな。誰もあの人にはついていかんですよ」
「もう、ええ。あの班の仕事は大江が何とかする。いまから、わしらはノロ鍋や。納期があるさけ、土日も休めんぞ」
「いいですよ。残業稼がんと、女房がやかましい」
 ノロ鍋のヤードに着いた。造塊に隣りあったこのヤードは南北に長く、そこに四社が入っている。ノロ鍋はその真中だ。きょうも風が強い。
「なんだか、ここは特に風が吹きますねえ」
「転炉で火を炊くから、それめがけて風が吹き込むとやろ」
 詰所の明かりが窓ガラス越しに見える。渋井がいるらしい。その前にロッカーがいくつか並んでいた。開けるとどれも物が詰まっている。柴田さんは詰所のドアを開けた。
「渋井、ロッカーをふたつ空にせえ」
「まあ、入って一服せんね」と渋井がいっている。
「ええから空にせんか」
 渋井が出てきた。
「いまさら慌てたってしょうがないで。人をよこせと、おれがずっと言ってきたのに」
 ぶつぶつ言いながら、ロッカーから物を取り出し始めた。
「道具箱の鍵よこせ」と柴田さんがいった。
 渋井は詰所に戻って、鍵をいくつか持ってきた。
「なお、防具はとりあえずそこに置いとけ。段取りしよう」
 まず道具箱を全部開ける。何がどこに入っているかを確認した。次に電源とガスの元バルブの位置を確認する。半自動溶接機を確認し、きのうの移動式階段を上がった。そこから、はしごを伝って鍋の内部に降りる。移動灯がぶら下がり、さっきスイッチを入れたので、内部を照らしている。底は直径一メートルくらいしかない。変形してくぼみが出来たところを溶接しかけてやめている。いたるところ亀裂が入っている。
「あとでこれを溶接してもらう。先に向こうを手伝え」
 鍋から出て、横倒しにした鍋のところへ行った。さっそく準備を始める。酸素ガン用のホースをほどいて引っぱった。先夜のホースほどは太くないが、それでも直径四センチくらいあるだろう。種火用のガスホースを引っ張る。やはり長いスカーフ吹管がついている。パイプ棚に、五、五メートルの15Aパイプと8Aパイプとが別々に積んである。8Aパイプを取り出し、15Aパイプに挿入し、8Aパイプの先端をやや曲げてハンマーで叩き込む。酸素の圧力で抜けてしまうのを防止するためだ。十本ほど作って、最初の一本をガンに取り付けた。直径三メートルの鍋が覆いかぶさるようにこちらを向いている。その手前に取り付けたバーに、パイプをもたせる。
「防具を着よう」
 ロッカーのところへ戻った。すでにふたつ空にして、渋井は取り出したものを片付けていた。持参した溶接面や溶接用の皮手袋をしまい、作業着の上から着てきた防寒着を脱いで吊るした。アルミの前掛け、アルミの耐火服、アルミの長手袋を装着する。防塵マスクと保護メガネをつけ、ヘルメットにはガスメガネと、防災面だ。元バルブのある柱まで行き、バルブを開ける。現場に戻った。柴田さんが15Aパイプの付いたガンを取り上げ、バルブを開ける。パイプの先端から酸素が噴き出し、鍋の地金の表面に積もったほこりを吹き飛ばした。バルブを閉じる。強い風がほこりを運び去った。
「よし、火をつけろ」
 直木は吹管に点火し、バーにもたせた15Aパイプの先端を焼いた。パイプが火を噴き出す。直木は吹管の火を消してうしろにさがった。
「なお」と柴田さんが呼んでいる。
 見るとパイプの火は消えていた。もう一度火をつけてパイプを焼く。今度はすぐに火を噴いた。直木は吹管の火を残したまま、うしろにさがった。柴田さんがパイプを地金にもっていく。だが、しばらく火花を発したあと、火はやはり消えてしまった。何度か繰り返した。柴田さんはバルブを閉じてパイプを地面に置いた。
「ノロや。火がつかん」
 柴田さんはパイプ棚のほうに向かい、ジェットランスを一本取り出した。これは二メートル半ほどの長さで、やはり15Aだが、内部に直径一ミリほどの細い鉄線がぎっしりと詰まっている。柴田さんはガンから15Aパイプを外し、このランスパイプを取り付けた。火をつける。火は勢いよく噴き出す。それを鍋にもっていく。今度は火は消えない。ノロが溶け始めた。ジェットランスの火は一度つけたら、バルブを閉めない限り消えることはない。そのかわりパイプがどんどん溶けていってしまうのと、もともと短いのとで、頻繁に交換せねばならない。金額ももちろん格段に高い。でも、普通なら溶けないノロだろうとレンガだろうと、みんな溶かしてしまう。もちろん時間はかかるが。
 直木はパイプ棚からランスパイプを運び、一メートルほど残して取り替えた残材を新しいランスにつないでいく。こうして節約するのだ。ランスの両端はそのためにねじを切ってある。だが柴田さんは三本ほどでジェットランスをやめ、もとの15Aパイプに戻した。すでに湯溜まりを作ってあるので、火は続く。だが、切っている面は垂直の壁であるから、下手をすれば湯は簡単に流れ落ちてしまう。柴田さんは湯を落としてしまわないように、酸素を絞って慎重に沸かしていく。沸かしながら、地金のあるところを探っている。火が地金に到達すれば、轟々と溶けはじめる。いったん高熱に達すれば、地金と一緒にノロもいくぶん溶ける。鍋が轟音をたてはじめた。火花がそこらじゅうに飛び散り、赤茶けた煙がもうもうとあがる。柴田さんが酸素を全開にしたのだ。
 昼までに、途中一度休憩した。柴田さんが金を取り出して、コーヒーを買ってこいという。自動販売機まで行って、缶コーヒーを買ってきた。鍋の前に灰皿を置いてタバコを吸う。風は強いが、鍋がぬくもっているので、多少、ましだ。渋井がいるかぎり詰所には入りたくないのだ。
「まず縦横十文字に切るのが基本や。切ったら物流に出す。一個所でも落ちれば、あとがやりやすい。鍋とのキワを見失わんように切っていくのがコツや。キワがわからんことなったら、鍋に穴があく。いまの季節は、始めたらぶっとおしでやるんがよか。冷めてしまうと、また切りにくくなる」
「煙がすごくて、キワなんて全然見えません。柴田さんは見えるんですか」
「見えるようになる。心の目でな」
「心の目ですか。まるで剣豪小説じゃないですか」
 午後、切っていると、安部係長が来た。書類を持参している。柴田さんが切り続けていたので、直木が受取った。数日後の月曜日の日付で、その日までにノロ鍋詰所を明け渡し、製鋼ハウスに移って、大江作業長から指示された仕事をすることという趣旨で、池山課長の記名押印があり、体裁は整っている。
「それでいいか」
「結構です」
「いま渋井に渡してきた。わかりましたと言ったぜ。えらいおとなしくてびっくりした」
「おおげさに考えてたんじゃないですか」
「そう思うだろ。ところが、言っただろ、ついこないだだぜ、課長の胸倉つかんで、すんでのところで殴ろうとしたんだぜ」
「殴らせりゃよかったのに。そうすれば文句なしに解雇できますよ」
「おまえが犠牲になって殴られろ」安部がにやりと笑った。直木は苦笑いした。
 だが、期限がすぎても詰所は占拠されたままだった。

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