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「わたし」が主語になった

 <今回の運動に触れながら、五野井郁夫は1968年「パリ五月革命」との共通性を示唆している。その「体制転換なき革命」とも呼ばれる運動は「必ずしも政権を取らず、体制転換もせず、けれども決定的にその後の人々のものの考え方には影響を与え」た。それは政治運動というより文化運動であった。そして優れた劇を観終わったとき、観客が、観る前とでは世界がすっかり変わってしまったと感じるように、その参加者の「内面」も「価値観」も変えてしまうような運動だった>
 きのうの朝日紙上の高橋源一郎による論壇時評に、「現代思想10月臨時増刊号」の五野井郁夫を引用しながら書かれている言葉である。
 高橋源一郎はいまぼくが最も共感できる言論人だ。月一回の論壇時評は、高橋が、いろいろユニークなところを探し歩いて、それぞれ個性的な人々の言葉を拾い集めてくる。いわゆる論壇にこだわらない選択をする。今回高橋は、同じ「現代思想臨時増刊」のなかからだが、SEALDsに参加した一人の若い女性の言葉を紹介し、<「わたし」が主語になった>と書いている。
 日本にも70年前後に学生たちの運動があった。その運動家たちの主語は「われわれ」であり「わたしたち」だった。だがその運動は決定的に敗北し、影響力を失って、ただ団塊世代の郷愁のなかにのみ細々と生き延びる存在となった。もはや日本で若者たちが立ち上がることは決してないのではないかと思わせるような状況が続いてきた。
 それが変わるかもしれないという兆しを見せている。もちろんいま時代は変わった。振り返ってみれば40年前の日本の運動はまだどこか後進国的な運動だった。いま、新しい時代の若い人々が新しいスタイルで動き始めた。それが主語を「わたしたち」から「わたし」に変えた。スタイルが違えば当然内容も違う。それは「いま」という時代が要求する主語なのだ。
 ぼくが吉良よし子に注目したのも、彼女が「わたしたち」で語らず、「わたし」で語ったからである。世の中は徐々にだが、動き始めている。
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