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声  石崎明子

 秋の長雨が続く曇天の日だった。ぶあつい雲の層を朱色に染める雨上がりの夕暮れ時、通勤鞄と買い物袋をかかえて郵便受けをのぞくと、1通の手紙が来ていた。アルファベットで書かれている差出人の名前に、一瞬のうちに記憶がよみがえり、私は時を戻っていた。4年前のあの南仏の小さな街まで。

 声を探しているんだ、と彼は云った。
 私達はカフェにいた。マイケルは私の前にすわっていた。それはおだやかな秋の日で、ふりあおいだ頭上の空は青く澄みわたっていた。
 目を戻すと、彼はカフェオレのカップを手に、通り過ぎる人々をぼんやりと見ていた。ポルトガルと台湾を祖国にアメリカで生まれ、黒髪と浅黒い肌を持つ彼の名を語学学校の先生があやまってミカエルと発言するたびに、私は大天使ミカエルのことを考えてしまう。もっとも、フランスでは大天使の名はミッシェルとなるのだが。
 「声?」
 問いかけに物思いから引き戻されたようにこちらを見て、うなずく。
 「どんな声?」
 再び観光客の群れに眼を移して、ゆっくりと思いだすように、描写した。
 「女性の声。静かなやわらかい低音の、そうアルトの。春先の風のような声」
 「どこかで聞いた声なの?」
 彼は少しためらい、こたえた。
 「聞いたことはないんだ。だけど知っている。その声は昔から僕の中にあるんだ」
 思いもよらない返答にとまどい、とっくに飲んでしまったコーヒーの小さなカップをもてあそびながら言葉を探す。
 通りに面したテラスにすわっている私たちのテーブルのすぐ横を、小さな犬をつれたかっぷくのいい老夫婦がお喋りしながら通りすぎた。道行く人々は皆楽しそうだ。
 昨日一日中吹き荒れたミストラル(プロヴァンスの強い風)が、灰色の雲をひとつ残らず地中海まで吹き飛ばし、石畳にプラタナスの枯れ葉をまき散らして去っていった。早朝の道路掃除夫にとっては気の毒なことだが。
 午後のフランス語の授業を終えたマイケルと私は、ひさびさの南仏の陽光を心ゆくまで浴びようと、さっそくカフェへとくりだした。そして今、昼下がりの明るい日差しの中で、彼は不思議な話をはじめようとしていた。
 「僕は声を探しにフランスに来たんだ」

 盲目の人が音で世界を知るように、物心ついた頃から彼は五感のうちの耳から脳に入る情報で、外界をとらえることが多かった。一度会った人の顔は忘れても、声でその人と知れることはよくあることだった。
 サマーキャンプで聞いた黒歌鳥の鳴き声が忘れられず、翌年のキャンプでは野鳥の声を求めて山をうろつきまわり、捜索隊が出て大騒ぎになったこともあるらしい。
 その『声』を意識したのは十二歳の時だった。ガールフレンドの声を無意識にある声と比較している自分に、突然気付いたのである。
 ちがう。こんなに高い声じゃない。響きも。心の中でそうつぶやいた時、そこにずっとあった声の存在を知った。それは同時に、彼の放浪の始まりを意味していた。
 学校の休暇を利用して、マイケルはすでに広大なアメリカ合衆国の半分をまわっていた。カナダやメキシコにも足をのばした。
 リュックサックと寝袋を背負い、町から町へと旅をする。行く先々でふと路上にたちつくし、見知らぬ人々の波にのまれて目を閉じる。耳に意識を集中し、無数の声の中から彼の『声』を聞き分けるために。幾度か似ている声には出会った。が、結局のところ、それは彼女ではなかった。
 「似ている声があったなら、それで手を打った方がいいと思うけど。たったひとつの『声』を探すなんて、不可能に近い話よ」
 「大丈夫。ちっとも急いでなんかいないんだ」
 私の忠告に、そう云ってマイケルは静かに笑った。
 その微笑は、誰も見ることのないであろう美しい夢を見ている者の微笑だった。彼女がどこかに存在するのだと、もう少しで私も信じてしまうところだった。
 「OK。もしその声を見つけたら、私に云うこと。彼女がどんな人か知りたいから」

 一年が過ぎた。マイケルは休暇の度にヨーロッパをまわっていたが、『声』は見つかっていないようだった。
 学校は楽しかった。学ぶことは山ほどあった。教授たちは様々な分野の専門家で、なかには作家もいれば、弁護士もいた。それはフランスの歴史や文化、文学を識った上で、いろんな側面からこの国を見つめなおし、フランスそのものを理解する作業だった。
 帰国することを決めたのは、自分の国よりフランスのことをよく知っているような気がしはじめたからだ。知っているようで、ちっとも知らない日本という国について、勉強したくなったのである。
 出発前に、語学学校の友人達がお別れパーティーを開いてくれた。マイケルも来ていた。いつものようにきちんと黒髪を広い額になでつけた、整った横顔を人ごみに見つけ、人の波をかきわけて近よろうと試みる。彼も私に気付き、合図を送ってくる。鳴り響く音楽と酔った学生達の笑い声で何も聞こえない部屋から、なんとか二人でグラスを片手に戸外へ抜け出した。
 もう真夜中を過ぎるというのに、石畳の街角は次のカフェへと向かう若者達であふれていた。セピア色の街灯が、通りの両側に立ちならぶ家々の南仏独特の明るい色の壁画を、やわらかい光のなかに浮かびあがらせる。
 マイケルが笑いながらグラスをあわせてきた。
 「君の健康のために」
 お決まりの乾杯の言葉をとなえてグラスを鳴らす。こんな夜には、安物のワインも極上の赤に見える。グラスをゆらしてひとくち飲み、たずねる。
 「で、みつかったの?」
 「いや、まだ」
 マイケルはおちつきはらって続けた。
 「この前の休暇は、スペインとポルトガルを旅行したんだ。次はスイスに行ってみようと考えている」
 当然のことのように『声』のことを話す彼が唐突に憎らしくなり、私はからかうように云った。
 「ねえ、いつかあなたは私の国にも『声』を探しに来るでしょうね」
 「ありうるね」
 まじめな表情でこたえたマイケルに、一瞬息をのみ、それからこみあげてくる笑いに身をまかせた。そんな私を驚いたように見てから、彼も笑いはじめた。頭上からはパーティーの喧騒がとだえることなく聞こえ、見上げると赤い瓦屋根の向こうには、猫の眼のような細い三日月が見えていた。
 私達はほろ酔い気分でそれを眺めていた。いつかこの時が思い出となってしまうことを意識しながら。

 『親愛なるエミへ。
 元気かい。仕事はどう? 僕は今出張で台湾に来ている。ニュースがあるんだ。とうとう『声』を見つけた。
 彼女の名はフランキー・チェン。公園でその声を聞いた時、すぐにそれが『彼女』だとわかった。僕らは共に生きるだろう。もう会社に転勤願いも出した。ボスはOKすると思うよ。台湾支社に自分から来る奴なんてなかなかいないからね。
 約束どおり君に伝えたよ。じゃあ元気で。友情をこめて。マイケル』

 いつのまにか部屋のなかに夕闇が忍びこんでいた。電気をつけると、蛍光灯の眩しい明かりにいやおうなく現在へと引き戻され、手紙を手に腰を下ろす。
 それではとうとうみつけたのだ。その人はずっと台湾にいたのだ。
 おそらくマイケルは幼いころ両親と共に台湾の親戚に会いにいき、偶然街角で彼女の声を耳にしたのだろう。
 あるいは覚えておらずとも一緒に遊んだこともあったのかもしれない。その声は彼の中で、年月を経るごとに、彼女と共に成長していったのだ。少女の声から、娘の声へ。
 目を閉じて想像してみる。台湾。高層ビル群に埋もれている都心の公園。紅葉がはじまった、木陰のベンチ。
 彼はスーツに身をつつんで、寒さを気にもとめず、目を閉じ、夢見るような表情をしている。昼休みに会社をぬけてきた台湾の娘達が、はじけるように笑いながら彼の前を通り過ぎる。笑い声の中に、彼は聞くのだ。長い間世界中を探して歩いた、あの『声』を。
 ゆっくりとまぶたをあけ、彼は立ちあがる。夢をつかまえた者の微笑を浮かべて。
 私は手紙を置き、ペンをとってカードに祝福の言葉を記した。
 他にできることは、なにもなかったので。
                     (2000年)
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