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読者は歴史小説に何を期待するか

 以下の文章は、明智光秀をとりあげたT氏の小説への感想として、T氏に送ったものである。もっとも、ぼくの側に問題があって感想を述べることが困難なので、感想になっていない。なぜ困難であるかを弁明したものになっている。そこにはぼく自身の日本史観の問題と、歴史小説とは何かという問題とふたつあるのだが、結果的には、そのどちらもほとんど展開できずに、問題点のありかを示唆したにとどまった。その上肝心のT氏の小説の内容に触れていないので、とりわけ第三者には曖昧な印象しか与えないだろう。とりあえずの心覚えとして一応ここに提示する。内容は一部、先日書いた「道鏡」と重なっている。あそこでうまく書けなかったことがここではもう少し明瞭になった気はしている。本題と無関係な私信の部分はカットし、一部分かりにくい文章を手直しした。
 なお公表に当たって、本人から特に拒否の意思は示されなかった。

(本文)
 読者は何を期待して歴史小説を読むのだろうかということを考えているのですが、これは考えてわかるようなことではなく、読んでみなければわからないのでしょう。
 歴史書と歴史小説の違いについても考えます。学術論文のような歴史書はなかなか読めませんが、岩波新書のような一般大衆向けの歴史解説書は一時期いくらか読んだのです。そしてそのほうが歴史小説よりも興味深い。ぼくは古代日本史が中心で、中世以後はほとんど読んでいませんが、たとえば、北条時宗に関心を持ったことがありました。このとき新書的な解説書と、小説と二冊買ってきました。解説書はすぐ読み終わったけれど、小説のほうは途中で投げ出してしまった。作家の創った嘘なんかをなぜ読まねばならないのかという気がしてしまったのです。
 それでも十代の頃には、井上靖や海音寺潮五郎など読んでいました。それとは別に、ジンギスカンの伝記的なかなり長いものも読みました。この本は失くしてしまって今となっては作者が分からないのですが、通俗的な文章ではあったが、少年テムジンをとりまく時代環境、そこからの生き残りを賭けた合従連衡を通じて徐々に形成されていく軍事的経済的政治的システム、そういったものを説得的に描き出していて、いまでもぼくのジンギスカン像の基本になっていたようで、先般ヨーロッパ人の作ったジンギスカン映画を観たときには大きな不満を覚えることになりました。
 読み物として楽しみながら、歴史知識を身につけ、歴史的人物なり事象なりに対するイメージを作り上げていく、それは作者が提供したものでどこまで正しいのかわからないのだけれど、とりあえずこの作者はこう言っているぞというものを自分のものにしていく、そういったことが歴史小説への読者の期待なのでしょうか。
 ぼくの母方の菅沼氏が、安東氏と、一つの血筋で二つの家を伝承したという面白い家系で、竹中半兵衛の孫から始まったということになっているので、ひとつにはどこまで信憑性があるのか知りたい、もうひとつは半兵衛の人間を知りたいということで昔から本屋をあさっていたのだけれど半兵衛に焦点を絞ったような本が見つからなかった。ところが最近の本屋は検索機を置くようになって、欲しい本がすぐ見つかるのと、NHKが黒田官兵衛をやったおかげで、本屋に半兵衛本がずらっと並びました。文庫で手に入る限りすべて買ってきて読みました。で、その結果、歴史小説というものにがっかりしてしまった。
 いろんな作家が書いているのだけれど、結局すべて読み物です。ぼくが知りたいのはどの歴史書にどういうことが書いてあってそれはどの程度信じられるのかということです。でもそんなことを書いている小説はひとつもない。もちろん半兵衛についてはどうやら確かなことは何もわかっていないようですね。半兵衛の息子が江戸時代に秀吉の伝記「豊鑑」を書きました。このなかで父親のことを書いているのだけれど、当然功績を誇張して書いているので信用できるものではありません。
 半兵衛についても分からなかったけれど、半兵衛の子孫についてはなおのことわからない。竹中家のことは分かりますが、孫に菅沼がいたかどうかはまるで分からない。菅沼と安東の関係についてははっきりしていて、この安東は半兵衛が稲葉山城を攻め落としたとき力になった安藤に違いないのですが、そして安東(安藤)の娘はたしかに半兵衛の妻なのだけれど、それ以上のことは不明のままです。
 それはぼくの個人的詮索だからそれでいいとして、結局歴史小説というのは娯楽にすぎないのかなあという感じをいだいたのです。
 読んでいて面白かったところは、半兵衛についての嘘八百ではなく、たとえば戦場の描写、姉川の陣で、羽柴の何千がどこに位置し、丹羽の何千はどこにいたか、山々と、山上に築いた城の地形、伊勢長島にいた何万の織田軍が何日でどこを通ってどこの戦場に現れたか、そういったことを具体的な地理と人数と日にちで書いた箇所というのは、読んでいて面白い。たぶん、実際に古文書に当たり、実際に歩いてみて書いたのだろうと想像させます。ほんとうを言えば、どの文書にどう書いてあり、それはどの程度信用できるか、作者は実際にどこをどう歩いたかということを書いてくれればもっと良いのですが、小説はどこまでホントか嘘か分からないなりに臨場感を盛り上げていく、というところに学術書との違いがあるのかな、と思ったりしています。
 つい最近、三田誠広の「道鏡」を読みました。読みはじめてすぐ頭をひねりました。「義にもとる」という表現が出てきて、「義にもとる」と考えているのが登場人物の道鏡なのか、それともこれを書いている作者なのか、主語が分からなかったからです。そのとき頭にひらめいたのが、「司馬遼太郎はさまざまな人物を自分なりに作り上げたが、人物に対して価値判断を下さなかった」「人物たちがそれぞれ持つ彼ら固有の価値観を描き出してみせはしたが、それに対して作者として賛成反対を述べたことはない」ということです。
 司馬遼太郎はいくらか読みましたが、四十年前のことです。だからどこまで合っているか断定しかねますが、記憶をまさぐった限りでは、そう思えるのです。そして「これなのではないか」と思ったのです。作者が自分の価値判断を述べると、その小説は薄っぺらくなる。作者はあくまで中立でいなければならない。登場人物の価値観は当然書かなければならないが、それがあくまでも登場人物の価値観であって作者のものではないことが、読者にはっきり伝わるような書き方をせねばならない。ぼくは司馬遼太郎をそのようなものとして読みました。価値判断は読者としてのぼくにゆだねられているものとして……。だから、ぼくは司馬作品を気持ちよく読んでいくことができたのです。
 三田誠広にあちこちで引っかかったのは、どうも価値判断の陰に作者の姿がときどきちらつくような気がしたからです。数多くの半兵衛小説に共通した違和感を抱かせたのもそれです。彼らは書く内容はそれぞれかなり違いましたが、足並みそろえていたのが、半兵衛を平和主義者として描き出したことです。戦国武将に現代の価値観を被らせるなよ、とぼくは突っ込みを入れたくなりました。人物を歴史から切り離してしまうと、薄っぺらく魅力のないものになります。

 さてTさんの「光秀」です。この作品に感じたのもやはり今まで述べてきたそれなのです。どこまでが「光秀」の考えであり、どこからが作者の考えなのかがわからない。一応は光秀の考えとして書いてはいるのだけれど、どうも作者の影がちらつくのです。司馬遼太郎は人物を完全に突き放して書きます。しかしTさんの光秀には作者の思い入れを感じてしまうのです。
 この点がぼくの最も強い疑問です。しかしそれはほとんどの歴史小説に感じる疑問なので、特にTさんのものについてだけ感じるわけではありません。それはたぶんぼくの、読者としての好みの問題です。小説に対して人は客観的であることはできません。読者は即ち主観ですから、主観の好き嫌いで判断するより仕方がないのです。
 もう少し具体的に見ていきます。ぼくが感じたのは、戦国時代の武士を敗戦前の軍部と対比させて書いているのではないかということです。武家政権というのは朝廷からの委託を受けて政治をするべきものである。そこで武家の棟梁は朝廷から征夷大将軍の任命を受けねばならない。これに任命されて初めて政治を行なう大義名分ができる。そうでない限り割拠する群雄たちは従わず、いつまでも平和な世の中は来ない。
 これは小説の上では光秀の主張であって、作者の主張ではないのですが、光秀の主張がこうも力説される小説上の必要性が納得できないので、これは作者の主張なのではないかと感じてしまうのです。そして連想されるのは敗戦前の天皇制軍部であり、シビリアンコントロールの問題を作者は言っているのではないかということなのです。
 もっとも、敗戦前は天皇が主権者だからシビリアンコントロールといっても結局天皇の命令になるのですが、軍部が事実上自分勝手な判断で動いていた、主権者たる天皇は事態を十分に把握できていなかった、むしろ軍部にひきずられてしまった、という見方になるのだろうと思うのですが、これがどの程度正しいか、天皇はどの程度実質的権力を持っていたのかいないのかということは今ここで論じませんが、Tさんが光秀に言わせていることは結局そういう意味なのではないのかなという気がするのです。
 ここにまたひとつ疑問があります。ぼくは「歴史は歴史において見なければならない」と思っています。安易に時代を飛び越えて類推させることには歴史のとらえ方を間違ってしまうと感じます。もちろん、Tさんの作品をこういうふうに解釈したのはぼくの勝手で、作者にその意図がなかったと言われればこの批判は撤回するしかありません。
 ただ武士を軍部と対比させることへの疑問をいだいたのは、武士とは何か、天皇とは何か、朝廷とは何かという点で、Tさんとぼくとのあいだにある食い違いが、かなり決定的なものに感じられるからでもあるのです。
 一年ほど前に朝日新聞で読んだのですが(筆者の名前を覚えていない)、「江戸政権が自らを幕府と呼んだことは一度もない」というのです。幕府という呼び方は、勤皇の志士たちが江戸政権を小馬鹿にして言い始めたのであって、江戸政権自体は自分たちを呼ぶのに、「公方」または「朝廷」と呼んでいたというのです。そのときの筆者の口調からして相当資料にあたった上で言っている、信用性の高い見解だと思ったのですが、もちろん絶対に正しいとは言いません。ただ、注意してほしいのは、明治維新後、江戸政権から権力を略奪した薩長政権が、自分たちの正当性を民衆の間に広めるために、相当嘘八百をばらまいた、これが敗戦まで続いた、そしてそののちもその影響は根強く日本社会に残っている、ということです。彼らは全日本史を天皇中心に大幅に書き換えた。この天皇中心史観がいまなお日本社会で大手を振っているのです。
 ここから石崎史観を展開しはじめるとあまりに長くなってしまうので、はしょります。
 簡単に言うと、武士という階級は存在しない。将軍も武士なら、失業者も武士であるというのは客観的に社会的階級を指す言葉としてはあまりにも広すぎます。それは社会階層分析上は役に立たない。イデオロギーのひとつにすぎない。
 この問題を論じると少々の長さでは足りなくなるので、やめておきます。とにかくこの点でぼくは一般の日本史理解に根本的に疑問があるのです。これを敷衍していくと天皇問題その他日本史のすべての問題につながっていきます。
 最後にもうひとつの問題点をあげます。戦国時代、および戦国武将をどうとらえるのかということです。この点でのぼくのとらえ方は、戦国時代の持っている客観的な意味と、戦国武将たちの主観的なるものとはまったく無関係だということです。通俗歴史小説家たちはこの点で決定的に間違っているのです。彼らは戦国武将たちの主観を戦国時代の客観的な意味に結び付けたがります。それは完全な間違いです。ぼくの考えでは、日本史があの時点で戦国時代を必要としたのは、新しい支配構造を構築せねば時代が前に進めない段階に日本社会が到達していたからです。しかし戦国武将たちはそれをめざして戦ったわけではなく、戦わねば、戦って勝ち残らなければ殺されてしまうから戦ったのです。基本的にそうなのですが、もちろん人それぞれのバリエーションはあります。しかしそれを強調しすぎると基本を見失う。何よりも彼らの主観を現代イデオロギーで説明しようとすれば歴史を大きく間違えてしまいます。
 以上いくつもの点をほとんど説明抜きに並べたので分かりにくかっただろうと思います。ひとつひとつが長大な論文になってしまうようなテーマなので、いますぐ展開するだけの力はありません。
 ぼくが言いたかったのは、ぼくはそもそも歴史および歴史小説に根本的な疑問を抱いているので、Tさんの歴史小説を論じることは困難であるということです。

(付記)
 この手紙に対してご本人からお電話をいただいた。その趣旨は以下である。
 自分は天皇制の批判者であり、武士や軍部の批判者である。権力への批判者である。光秀の考えとして書いたことは決して自分の考えではない。しかしよく誤解される。自分の書きたいことを本当に書き表すためには、あの長さでは無理で、もっと長いものを書かねば駄目なのだろう。いまはまだその力がない。
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