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木沼駿一郎「化粧」(「樹宴」8号)

 木沼さんの作品は内容は面白いのだが、文章はかなりおおざっぱである。ただ文章の欠点を直してしまうと個性が失われ、面白みがなくなるという弊害があるので、そこは微妙なところなのだが、少なくとも一度誰かの指摘をあおいで、なるほどと思うところは修正し、いや変えたくないと思うところのみ自己を貫く、ということが必要なのではないか。他人の文章の欠点は見えやすいものだ。というのは本人は思いこんで書いているが、他人にはその思い込みがないからだ。
 一読して構成上の難がある。3章までと4章以後とはまったく別の話である。3章までは黒井のもといた会社の上司伊藤が不審死した話。4章からは黒井が女装趣味にのめりこんでいく話である。この二つの話に関連を見付けることができない。何故ひとつの小説になっているのかがわからない。
 もっとも3章までも、いろいろな話が並列しているのだが、それらの話には共通のトーンがあって、バラバラでありながら一つのものとしてとらえることができる。
 だが4章以後はそうはいかない。これは3章までの種々の話の中のひとつととらえるにはまずボリュームが全然違うし、トーンも違う。これは切り離して別の小説にしなければ、双方が死んでしまう。
 1章から3章までをざっと見てみる。
 技術職から営業職に転じた黒井が、営業まわりの電車の中で居眠りしながら、転職前の上司である不審死した伊藤の夢を見、彼のことを思い出す、という内容である。
 1章。
 夢。朝の通勤ラッシュ時の車道の真ん中のマンホール上に首が浮いている。首が手招いて穴に消えた。黒井はマンホールに入っていく。
 2章。
 1節。黒井は通勤電車に乗っている。一人の乗客がずっと独り言を言っている。黒井は自分にもそういう時期があったことを思い出した。
 2節。転職後の黒井である。得意先へ行く電車の中での居眠りから目が覚める。ということは1章で描かれた夢を見ていたのは、この節のこの居眠りの中なのであろうか(これははっきりしない)。
 黒井は営業所に勤めて中小メーカーをまわり、そこが必要とする部品を調達して納入している。商社なのか、あるいは彼の会社自体そういったものを作っているメーカーなのか、そこもはっきりしないのだが、この節は仕事の内容をいくぶん具体的に書いており、リアリティがあって興味を引かれる。
 7時過ぎ、また電車の中で居眠りし、夢を見る。
 3節。朝見た夢の続き。マンホールを降りていくと横穴があり、そこへ入っていくと転職前の上司伊藤がいた。伊藤は、自分は屋上から飛び降りて星になったので、もう会社に行かなくてよいのだという。黒井は会議に遅れると伊藤を叱責し、腕をとって、もと来た道を引き返す。
 4節。眼が覚めると、新宿のホームの雑踏の中に、伊藤らしき男が見えた。
 3章。
 1節。転職前の企業での話。総合機械メーカーH(日立だろうか)のグループ会社の技術部。長時間サービス残業が当たり前の職場。その上首都圏労働者が気の毒なのは、職場の近くに住居を見付けられない、長時間通勤をせねばならない、労働と通勤とで、ろくろく睡眠時間がとれないことだ。伊藤は行方不明になり工場敷地内で白骨となって発見された。
 2節。伊藤が行方不明になる数日前、午前3時。黒井は伊藤に誘われて工場の屋上に上がる。すでにこの月90時間の超過勤務、徹夜の連続だった。この屋上にカギが取り付けられたのは、飛び降り自殺者が出たからだ。だが、誰かが合鍵を作って、それが流通している。いつのまにか机の引き出しに入っている。「まるで、あの世に行った仲間が、早くお前も来いよと誘うように」
 この章は1,2節通して全体にリアリティがある。

 ということで、日本の労働者のおかれている過酷な現実を、現実と幻想と絡ませて描き出そうとしている。必ずしも成功しているとはいえないが、注目すべき試みではあろう。現実をとらえるためには現実への文学的空想力も必要なのだ。のっぺりした自然主義的方法だけがすべてではない。

 4章以下は純粋にエンタメである。これはまた別の小説だ。3章につないだ意味は分からない。

 夢について。
 プロの作家でも夢を書いたりするのかどうかよくわからないのだが、アマチュアの同人雑誌には夢の話が割合多い。漱石の「夢十夜」は、あれは夢の中だけを書いた。幻想の世界だけを独立させて十篇書いた。ところが、同人雑誌に見かけるのは、しばしば冒頭に夢を置いて、夢から覚めて物語が始まる。こういう小説にはがっかりする。小説とはそもそも嘘である。それを承知で読んでいる。ところがいままで読んだところが夢であるといわれると、嘘の中に嘘を持ち込むなよと言いたくなる。登場人物が夢を見てもよい。でも、こんな夢を見たと一、二行書けばよいので、本文と同じトーンで長々と描写する必要はない。嘘の中の嘘なんぞあほらしくて読む気になれない。
 という前提で、でも当作の場合、必ずしも夢はダメとは言い切れない。幻想的なムードが何らかの役割を果たしているようにも見える。
 のだが、不満もある。それを少し。
 夢なのだから矛盾していて当たり前なのだが、とりあえず矛盾点。
① 駅まで歩いて二十分、バスに乗り遅れて歩く。遅刻しそうなので地表を浮いて飛んでいた。――74ページ。
 黒井浩二は、八時五分の電車に乗る。今は七時五十分で、駅までは一分と掛からないから、まだ余裕があった。――75ページ。
② 車道の真中から、首が出ている。――75ページ冒頭。
 首の周りを駅に急ぐ勤め人の脚が通り過ぎていく。――数行先。
 ①は時間の矛盾。②は場所の矛盾だ。むろん解釈はできる。駅まで歩いて20分のところを飛んできたので十分余裕のあるうちに着いた、信号が変わって車道上の横断歩道を人が歩き始めた、というふうに。
 いやいやそもそも夢なのだから矛盾していて当然で、あげつらうには当たらないとも言い得るだろう。
 その限りではそうなのだ。ところがその限りにできないのは、この部分が夢のくせに嫌に具体的なのだ。マンホールにもぐりこむ直前、「腕時計を見ると、五十三分になるところだった」
 8時5分、7時50分、53分、夢の中にそんな細かい時刻が出てくるものだろうか。遅刻だと焦りまくるばかりで何時何分など出てこないのじゃないか。焦っていたのがいつのまにかのんびりしてたりもする。しかしそこにも何時何分など出てこない。夢の中では矛盾はもっと堂々としていて、それは矛盾ではない。そこに論理のかけらが出てくると逆に夢らしくない。
 さらに首が浮いているマンホールの上を人は落ちることなく通りすぎていく。もちろん夢だからそれでいい。だが、「穴の上には、ミクロンのような薄い強化ガラスが置いてあるのか」……夢の中でそんなことを考えるかい? むしろ何も考えずに当たり前に済ませてしまうだろう。
 夢を夢らしく描くということはかなり難しいことなのだろう。人によって夢の見かたも違うだろうし。であればなおさら、誰にとっても夢らしく見えるように描くことが必要だろう。
 もうひとつ。夢から覚めて夢を正確に覚えている人がいるだろうか。むしろ夢の半分くらいは覚めてからの創作ではなかろうか。だから、夢をたとえばセリフの中なら自由に語ることができる。それはつまりその人が見たと思っている夢、あるいは見たことにしてしまっている夢の話なのだから。けれども、地の文に夢を書くというのは、書かれた内容が客観的にその人が見た内容そのものであると作者が主張しているように思えてしまう――だが、そんなこと証明しようがないのだ。彼が見た夢を見ることのできる人はどこにもいないのだから。作者だって見ることはできないのだから。
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コメント
485:化粧の感想ありがとうございました by 木沼駿一郎 on 2015/08/11 at 21:38:05

石崎様
 こんばんは。
 拙作に対する懇切な指摘ありがとうございます。
私は、工業高校を卒業してから、小・零細企業に勤めました。まったく、非文学的職場でした。
 それで、基本的な文学的な勉強をしたことがありません。ほとんど乱読した小説が先生みたいなもです。清張や、戦後文学の椎名麟三の文章が本人が気がつかないうちに出てくることがあります。性格的に細かな描写が苦手です。
 最近では、藤枝静男や後藤明生の文章に惹かれるところがあります。
<少なくとも一度誰かの指摘をあおいで>という指摘ですが、
民文の創作講座に行こうかなと思ったことがあるのですが、私の書くものは、エンタテインメント小説で、純文学ではないので、参考にならないと、断念しております。
 岐阜で、鈴木輝一郎という作家が創作講座を開いており、これは廉価でSkypeを利用して遠方でも講義を受けることができるので、参加したいと思っております。
 残り少ない人生なので、少しは成果が出る仕事をとは、思っております。

 この小説で書きたかったことは、「壊れていく男」で、周囲には、おかしな人間と出来事が起きてその中で、「女装」することで、人間的な復活を目指していくというが書きたかった訳です。
NHKで金曜日に72時間、定点で、そこに集まる人を映しているドキュメンタリー番組があります。この間は、「コスプレ」に賭ける人、ダンスホールに集まる人をやっていました。この番組を見ていると、非常に刺激を受けます。
 これだけで、「民文」的ではありません。
 原稿が仕上がらずに、やっつけ的に書いてしまいました。時間の処理、、「ゴスプレ」など、きちんと辞書で調べることが重要であると痛感しました。
 どうも、ありがとうございました。

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