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転勤族の故郷

 笹本敦史が、あまり口にしたことのない自らの来し方をブログ上に語りはじめた。「転勤族の子にとって故郷とは何か」というテーマである。そして結局「わからない」で終わる。
 人さまざまなのだろう。
 うちの団地は、古い農村地帯を見下ろす小高い丘の上のよそ者ばかりの集落である。隣接する農村地帯の話をいろいろ聞くと、ここへ来てほんとうによかったと思う。自らがよそ者であるから、よそ者差別がない。来たその日から受け入れてもらえた。地元意識のない自由人の集まりという感じのすがすがしさがある。もっとも両親が40年住んでいた場所だから、そのせいもあったのだろうが。
 しかし、みなよそ者だが、それぞれに18才くらいまで暮らしていた故郷は全国各地に持っている。故郷とは人格形成期に過ごした土地のことだ。わが団地の住民たちもそういう故郷は持っているわけだ。
 問題なのは特に影響の大きい幼年期の転居だろう。だが、その影響は人さまざまなのだ。そう思うのは以下のようなことからだ。
 ぼくは自分の無口に、小学校入学前後の(わかっているだけで)合計4度の転居が影響しているのだろうかと疑っていた。たしかにぼくの場合には影響は皆無ではなかっただろう。だが、それは幼児期の転居が人を無口にするという一般的結論を導き出さない。人によってはそのことが逆におしゃべりな性格を作り出す。
 それを強く感じたのは、妻の姪を見てからだ。妻の長兄の末の娘である彼女は、どこやらから福山の祖父母の家に(いずれ来る両親に先だって)単身引越してきた。中学生か、小学生だったかもしれない。水島の我が家には彼女の従妹たちがいるので、よく遊びに来た。その父親である義兄は毎日新聞の記者だったので、転居を繰り返していた。
 おそらく彼女には故郷と呼べるような土地はなかったのではないか。にもかかわらず底抜けに明るくて、まことに賑やかな少女だった。ある日彼女が言った。
「わたし、どこへ行っても生きていける自信がある」
 そして彼女はいま、イギリス人と結婚してカナダに住んでいる。
 環境が人に与える影響は人さまざまなのだ。

 故郷を濃厚に漂わせている作家といえば、太宰治だろう。夏目漱石にとっては江戸が彼の故郷かも知れない。大江健三郎は愛媛の山中の故郷をしょっちゅう小説に書く。カミュにはアルジェリアだし、ヘミングウエイはインディアン部落に近いどこやらの山の中だ。
 安部公房には故郷がなかった。彼は中国の奥地から命からがら逃げだしてきた。彼は日本文学をまったく読むことなく、カフカを読んで書き始めた。彼の日本語はあまりこなれてはいなかった。だが翻訳しやすい日本語だったらしく、最初に国際的な作家となった。

 ぼくはいま18才まで暮らした土地に帰ってきたが、これはぼくがまともに働かなかったので家を買う金がなく、ここに親の残した家があったのでそれ幸いと帰ってきたのだ。小学校に入学した二学期から福山に住んだが、ぼくが離れていたあいだに福山は変わってしまったし、それにいま住んでいるところは、昔は福山ではなかったところなので、故郷という実感は持ちにくい。
 ぼくの心中にはやはり十日町や、京都や、金沢がある。
 核となる何かがぼくにはないという感じはずっと引きずっている。足をつける地面を持たない浮遊感がある。それはさびしさだ。だが、それはいっそ、すがすがしさでもある。

 人それぞれ性格は違っても、所属意識の希薄さというのはわれわれの特徴かもしれない。
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