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TRIZ

 高原さんの、いまの時点で最新と思われる論考を、大阪学院大名誉教授の中川徹氏が、ご自身のTRIZホームページにアップされた。
 その中川氏による紹介文を、高原さんがぼくのブログにコメントとして載せられている。
 紹介文だけ読ませてもらい、本文は印刷した。小さめの活字で21枚ある。いつか読ませてもらう。すぐには頭に入りそうにない。
 高原さんの論考は常に独特の用語用法がわかりづらいので、まずTRIZについて知らねば駄目だと思い、一番初めの文献と思われるものを見つけだし、これも印刷した。
 1956年にソ連の学術誌「心理学の諸問題」にアルトシュラーとシャピロが発表した「発明的創造の心理学について」と題する文章である。読みやすい大きさの活字でA4、19ページ、特殊な用語も言いまわしもなく簡明なので、すぐ読んだ。
 TRIZを、ぼくはトリッツと発音していたが、解説記事によると、トゥリーズと読む。ロシア語の頭文字で、「発明問題解決理論」を意味するのだそうだ。ソ連人アルトシュラーによって創始されたが、いまはアメリカに移り、おもにIT関連の技術者によって問題解決の理論として使われている、ということのようだ。
 アルトシュラーの文章のなかみに入る前に、それが心理学の雑誌に発表されたということについて感じたことを述べる。
 ソ連の大学には社会学科がないという話をゴルバチョフの伝記で読んだ。社会学はマルクスによって完成されてしまったので、それ以上研究する必要がないという建前だったようだ。で、ゴルバチョフの妻ライサは、モスクワ大学哲学科で社会学をやった。地方に足を運び、フィールド・ワークで、ロシア初の本格的な社会学調査をやって、かなりすぐれたレポートをまとめたのだという。タテマエがどうあろうとやる気のある人には、やることのできる体制だったのだ。
 ところがソ連にも心理学はあった。このことがまず興味深かった。心理学といえばフロイトを思うし、それはソ連型の「社会主義国」と対立する学問のように見えるのにその学科はあり、もっとも「社会主義的」に思える社会学がないということに皮肉を感じた。この話はそれだけだ。
 さて、なかみである。
 アルトシュラーは、技術問題の解決は、客観的であると同時に主観的なのだという。それは思想や芸術とちがって、現実に形あるものとして実現されねばならないので、その点は客観的法則の内のものである。だが、同時に、解決しようとする主体は人間であるから、その主体たる技術者の心理にかかわってくる。
 それは心理学のテーマでなければならないのに、一番遅れている分野なのだという。
 アルトシュラーがやったのは、技術史資料、発明の回想文献、諸外国の特許文献などの収集、ソ連産業界の経験分析、特に最後の項目では各地の企業を訪ね実地に観察し、検証も行った。その膨大な積み重ねの上に、技術の革新に至る道筋を論理化した。
 短い文章であるから、詳細は書いてない。要点を記すにとどめ、その特徴的な実例を紹介している。どれも興味深いが、特に1813年の「駆け足機」以後、自転車が現在のような形になるにいたった経緯の記述はとても面白い。
 あるいは、蒸気機関にとってかわった電気モーターは、はじめのうちピストンをまねて往復運動で、クランクを使って円運動に変えていた、全然その必要はないのに。といったことなど。
 アルトシュラーが不満だったのは、従来、「発明は豊富な知識にもとづいて、ある日突然インスピレーションが降ってくる」というような類いの言説が蔓延していたからだ。
 そうではない、そこには方法論があり、技術者たちが無意識で行っていることだが、論理化することができ、そうすれば技術者の役に立つだろうということを彼は言いたかった。
 そして自分が書いたものも、じつは完全なものではない。それはもっと改善し、もっと良いものにできると述べている。
 その過程で「資本論」から一部引用し、弁証法も援用しているが、彼の仕事自体はマルクス主義とは関係なく、もっと実証主義的なものである。
 さて、高原論考を読むヒントが得られたかというと、そうでもない。独特の高原用語用法はアルトシュラーにはない。それはアメリカのTRIZで生まれた用語なのかも知れず、次は中川氏の書かれたものを多少読んでみる必要があるだろう。
 その上で、高原さんがアルトシュラーやTRIZから獲得したものが何なのか、高原さん独自のものは何なのか、そういうところを見極めるところから始めねばならないだろうと思う。
 いまの予感としては、たぶんほとんどが高原さんの独創である。高原さんがやろうとしているのはマルクスを次の段階に進めることである。であるにしても、高原さんは、そこにアルトシュラーやTRIZの方法論から何かを学んだと主張されているように思える。そのへんをまず見定めてみたいと思うのだ。思想とは思想史である。思想は常に思想の歴史の中にしかない。ぼくはそう感じているので、高原さんの思想もやはり思想史の中に位置づけてみたいのだ。
 もうひとつ予感を言えば、ぼくはまだTRIZのなんたるかについてアルトシュラーの最初の文章以外には知らないわけだが、正直に告白すれば、ぼくらが会社でさんざんやらされた改善手法のようなものではないかという予感がある。
 日本の企業に改善活動は付きものである。それは年を経るにつれて、改善そのものよりも、改善過程を発表し、その優劣を競うスポーツの側面が強くなった。
 学者が改善に関する教科書を書く。それを企業人が学習して社内に広める。一定のパターンがあり、それに則ってストーリーが作られる。ナントカ法、カントカ法というカタカナ表記の方法が無数にあり、それをできるだけ数多く使って飾りたてパワーポイントにまとめ上げて発表する。
 そのストーリー制作の優劣を競うのだ。実際には改善は――アルトシュラーは嘆いたが――インスピレーションで為される。無意識にいろんな手法を使っているのかもしれないが、我々のような単純な現場では、問題や解決を見つけるのにいろんな手法は必要ない。それは即座に見つかる。でもそれではスポーツにならないので、ストーリーをでっちあげるのだ。
 ぼくは常々馬鹿らしく思い、これは御用学者たちを儲けさせるためにしているのかと思っていた。
 今回、アルトシュラーを読んで多少考えが変わった。ぼくらの単純な労働現場ではそうだったかもしれないが、もっと複雑な技術分野では、方法論がおおいに役立つのかもしれない。現在のアメリカのTRIZは、世界中の膨大な特許を収集してデータベース化しているそうで、そういうことが高度な技術の革新に必要なのだろう。
 そういう再認識を含めて、今後、TRIZを少しかじってみるつもりだ。高原文に本格的に掛かるのはそのあとになるだろう。
 何ごとにもスローな人間なので、ご容赦を。
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539:高原利生論文集3 by 高原利生 on 2015/11/18 at 13:34:31 (コメント編集)

関連するブログがいくつかあるので、どれへのコメントにしようかと思ったのですが、これにします。次は、高原利生ホームページからの抜粋です。

中川徹先生(大阪学院大学名誉教授)のホームページhttp://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/ に、高原利生論文集(第3集):『差異解消の理論 (3) 弁証法論理と生き方』を掲載していただいた。
和文:http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2015Papers/Takahara-Biblio3-2015/Takahara-Biblio3-151102.htm

三年間の高原利生の9編の発表を集め、各論文へのリンクが張ってある。

中川徹先生には、同ホームページに今までの、高原利生論文集1、高原利生論文集2を載せていただいており、これが三集目にあたる。これで、退職後、2003年以降の全36編が集まったことになる。

先生の「編集ノート」が付けられており、その中の最後に、

「全体的な考え方の流れと構成は、高原利生さん自身による「論文解題」、論文一覧表からリンクされた各論文(特に最新の三部作)の紹介部や目次をご覧ください。三部作は実に丁寧に体系的に高原さんの現在の理解を記述してありますが、読者の皆さんがそのような(論理)体系の用語を受容し、内容を理解するには、いままでのいくつかの高原論文を読み解いてみることが必要でしょう。それをするに値する重要な思想が構築されつつあると、私は確信しています。」

とある。

なお、最後の[TRIZ2015]の三篇にある[ISZKXXX-YYY]は、石崎徹さんブログからの引用をしめす。何件かを引用利用させていただいた。(2015年11月23日追記)
実は、[TRIZ2015]の三篇の最後のものから、10ページほど削除してほしいと言われ、そうした部分が二つある。このうちの一つは、高原利生ホームページにほぼ原形のまま載せている。もう一つは、[33]FIT2015の注1を詳しく述べたものである。(2015年11月27日追記)

452:TRIZと生き方と小説    高原利生 by 高原利生 on 2015/04/17 at 17:54:54 (コメント編集)

TRIZと生き方と小説

 高原のFIT2013の論文(2015年4月12日「448:FIT2013の論文紹介」http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-636.html#comment448で紹介)を読んでいただくのはありがたいことである。ただ、高原の「最新の」成果と言われると少しおもはゆい。今はもっと先に行っていると自分では思っているからである。

 TRIZは、まだ技術偏重の問題解決法で、TRIZ ホームページの記事も、高原のもの以外は技術ばかりであるので注意されたい。
 それに、NM法、KJ法、水平思考、等価変換理論など世にあまたある問題解決法と中身は本質的に余り変わらない。しかし、40の発明原理は、TRIZに独特で面白いかもしれないと思う。
 石崎さんは、アメリカで発展していると書かれていたが、今はそうでもなく、むしろ、フランス、イタリア、韓国、イランのほうが使われている。

 石崎さんは、アルトシュラーのTRIZが実証主義的と書かれていた。そのとおりである。
 実証主義と実用主義=プラグマティズムはやや違うが、上山春平の「弁証法の系譜」は、サブタイトルが、「マルクス主義とプラグマティズム」である。日本の矛盾論争にも一時期、プラグマティズムの人も加わっていた。
 TRIZの弁証法も、旧ソ連で教えられていたマルクス、エンゲルスの弁証法を起源とし、初期のTRIZ Journalにはそのことに言及している論文がいくつかある。しかし内容的には、むしろプラグマティズム的流れの中にある。

 「マルクス主義」の弁証法は使い物にならない。マルクスの作った「マルクス主義」の体系も失敗作である。「マルクス主義者」は検証を怠り失敗作を解と見間違続けて150年経ってしまった。マルクスの大きな仕事は彼の作った理念、理想の価値で、それを実現する生き方(態度、網羅された中から選ばれた粒度、方法)を作ろうとしている。それを高原利生のホームページに延々と書いている。

 高原利生ホームページの「ポスト資本主義のための哲学 (旧題)マルクス主義とは何か?(要約)  高原利生」から一部引用
 マルクスの第一の、最大の、価値についての偉大さは、理想像を描いたことにある。
 しかし、彼が、実際に分析したように見えるのは、当時の労働と所有の極端化され単純化された資本主義であり、出した結論は、生産手段の社会化などの、つまらない、何の答えにもなっていないものだった20150319。それを馬鹿な「マルクス主義者」は答えだと思い込む20150319。当時の課題は資本主義が解決しつつある。この点で、「マルクス主義者」の間違いは、マルクスの理想を見ず、彼の仮説の検証と見直しを行わなかったという二点である20141224。残っている課題は、彼が解を出さなかった20150319ポスト資本主義を作ることと、マルクス以降の人類の努力で分かってきた地球規模の人類の課題を解決することである。
 「マルクス主義者」はこの二つに関心がない、それだけならまだよい、邪魔さえしているのだ。そんな「マルクス主義」は、いらない。20141018,1224
 2, 粒度を自由に操り、事実と人の観念を相対化できるのが、マルクスの第二の、方法上の最大の長所だった。
 「マルクス主義者」は、第一に、粒度をそもそも意識しない。粒度が違うと、順に論理が違い結論も違ってしまい、第二に、マルクスの未完の体系を完全と思い込み固定観念とし、彼の価値と方法の二つの長所をことごとく失った。20141214,17,24,25(引用終わり)

 今回の「FIT2013」はその枠組みの今までの総括でこれからの出発点である。
 弁証法、矛盾の全体構造の中身は、その後、かなり分かってきたと思っているが、発表できていない。

 左翼と左翼政党は、このマルクスの作った理念、理想の価値を実現する生き方と全くこの逆だということも延々と書いている。本ブログ、2015年3月27日の「444:ポスト資本主義と左翼 高原利生」
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-619.html#comment444
でも延々と書いている。
 左翼と左翼政党の最悪なのは、粒度は網羅された中から選ばれないと、全体を見逃してしまうのにその意識がない(これは左翼と左翼政党に限らない)、言っていることの粒度が違う、特に一部を全部のように言う、言っている中では粒度を変えないことが基本であるが、そうでない、これらのために論理がめちゃめちゃであることである。これは、おそらく言っている人や集団に粒度の意識がないためである。

 マルクスの作った理念、理想の価値を実現する生き方(態度、網羅された中から選ばれた粒度、方法)は、人間の生きる全領域に当てはまる。技術、科学、制度(政治、経済、宗教など)、芸術の四つが、人間の生きる全領域の文化の全てで、芸術は、人間の世界との一体化をめざす方向の認識だというのが3、40年前からの仮説である。芸術作品は、何であれ、人と一体化でき共感できる像である。
 2015年4月2日の「446:際限なく語り続けねばならないこと 高原利生」
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-619.html#comment446
に追記した「小説は断片的に語りながら全体像を提示する」というのは、これにつながるつもりだが、つながっていないかもしれない。

 以上、TRIZから飛んでいるように見えるかもしれないが飛んでいない。
 石崎さんの感覚は信頼している。感覚、感性は、理性、経験の集大成である。古本屋通信さんの誠実さ、謙虚さを、言われている内容に異論があるものがあるが、信頼しているのと同様である。このお二人を並べることに気を悪くされるかもしれないがご容赦願う。

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