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「物語と小説」および文法について

 元ふくやま文学館館長、児童文学者にして「ふくやま文学」創始者である皿海達哉氏の今回合評会での発言を聴いていて興味深かったのは、「物語と小説」という氏から以前耳にした主張が繰り返されたからだ。
 これについては、去年3月11日に「通俗性について」で書いた。皿海氏の主張をかなり詳しく書いたので、興味ある方はご覧ください。「雑文」のカテゴリーです。
 氏は今回校正を引受けられ、おかげで誤植の多かった雑誌が見違えるほどきれいになった。
 だから一通り目を通されたわけだが、校正に一生懸命で内容の吟味までできなかった、もう一度読み直す必要がある、とぼくと似たようなことを言われ、ほかの人ほど細かいところに立ち入らなかった。
 そのかわり文学論を展開されたように思える。それも氏独自の「物語と小説」論である。
 去年、「ズッコケ三人組」50号記念のとき氏が文学館でされた講演でそれを聴いたぼくには今回の氏の主張がわりとわかった。ただ、耳の悪いぼくには氏の声は聞きとりづらかったのだが。
 しかし初めて聞く人に氏の主張はどの程度理解されただろうか。
 氏が「物語」というときそれはかなり否定的な意味なのだ。「小説」は常にそれと対極にあるものとして構想される。
 その辺の事情は、「通俗性について」の方で読んでいただきたい。
 もっとも今回の主張を聴く限りでは、物語性にかなり肯定的とも聞こえたのだが。

 ここではほかの問題をひとつ。
 皿海氏は、「公開し、読者に提供する以上文法を守りなさい」と言った。それは糟屋さんの主張でもあった。
 ぼくは文学者の口からそういう言葉は聞きたくなかった。作家がものを書くのに文法もへちまもない。作家は新聞記者ではない。作家は書きたいように書く。もちろんそれを受け入れるも受け入れないも読者の自由だが、それは読者の感覚の問題であって、文法にあってないから受け入れられないなどというのは、少なくとも文学者の言うことではない。
 もちろん、当の作品に苛立たしい思いをされたことはよく分かる。一読者としてぼくにも違和感はあった。若い人の新しい表現方法にぼくらは馴染めない。馴染めないのだ、違和感があるのだと主張することは正しい。だが、そこに文法を持出して来てはならないだろう。文法を決めるのは社会であって、教科書でも辞書でも文部省でも大学教授でもない。文法は変化していく。それがわれわれにとって受け入れられるものなのかそうでないのかだけが問題なのであって、何らかの権威を持出すのは間違いである。
 とぼくは常々考えているのだが、どう思われるであろう。
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