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シンデレラの罠

 小説はいちおう一段落。ただしパーツに解体して錆を落として組み立て直した、という感じで、まだ油を塗らねば完全じゃない。
 良くなったか、悪くなったか、自信がない。それと、やはり書き出しの部分だけで中断しているという感じを否めない。はたして読者が何かを感じてくれる内容になっているだろうか。

「シンデレラの罠」を再読した。87年の36版になっているから、およそ30年ぶりだ。
 読み直してみると、まるきり無理な設定である。不可能な犯罪だし、あえて試みようとする人間はいないだろう。それに、翻訳が悪いのか、それとも原作がそうなっているのか、意味の通じない個所がやたらと多い。
 にもかかわらず、いったん読みだせばやはり止まらない。すべての欠点が無視できる。薄い文庫本の中で展開される豊かな世界に引き込まれてしまう。そのムードが魅力的なのだ。
 ひとつには金持ちのわがまま娘という設定自体に人をひきつけるものがある。金持ちの世界を上手に書いていて自然だ。ぼくら貧乏人が書くとこれがまずうまくいかない。
 わがままな女というのも、男心をくすぐる。「三四郎」の美禰子だってそうだろう。美禰子の魅力はひとえにそこにあり、この小説のヒロインもそうなのだ。
 とりわけ感心するのは書き出しの十数ページである。記憶を失ってしまった「私」の五感のとらえるひとつひとつを描写することから、物語は始まる。作者は何ひとつ説明を加えない。「私」はまだるっこしいような過程を経て徐々に事態を認識していく。
 この部分の筆使いは職人的だ。すごい忍耐力がなければこのようには書けない。
 そして事態はどんどん逆転していく。最後まで気が抜けない。
 途中何度か、三人称叙述に切り替わる。説明なしに切り替わるが、そこは記憶を失った「私」に第三者が語って聞かせた過去の推移なのだ。それを語り口調ではなく、三人称小説のようにして叙述する。この部分がなければこの小説は成り立たないのだが、まずうまく処理している。
 推理小説の謎が現実離れするのはある意味やむを得ない。あまりに現実的な謎では面白くない。大切なのは謎をとりまく人間たち、そのキャラクターと相互関係、そこで展開されるストーリー、そしてその舞台、そういう道具建て自体の魅力と、その道具建ての中に謎がどれだけ魅力的に収まっているかだろう。つまりそこではどの程度読者の論理秩序要求をクリアできるかが勝負になる。
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