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「シンデレラの罠」セバスチアン・ジャプリゾ

 何もできないまま一週間が消えていき、「まがね」の締切りまで残り一週間となった。締切りは一ヶ月ほど伸びそうだが、一週間でケリをつけたい。というのは推理小説の締切りがいつのまにかまぢかに迫ってきた。5月10日だ。3月4月の二カ月をこれの手直しに宛てたい。だから「まがね」の原稿はあと一週間で仕上げるべきだ。あとがなくなった。
 むかし、編集者が作家をホテルに缶詰めにしたというのがよく分かる。どうしても逃げたくなるのだ。強制されないとなかなか書けない。
 いまこうしてくだらないことを書いているのも、自分を逃げ出させないためである。今日はいい天気なのでなおさらだ。
 S氏がぼくの推理小説に懇切な指摘をくれた。それに沿って手直しするつもり。で、彼はこの作業のために推理小説を何冊か読んでくれたようで、感謝この上ない。東野圭吾を大量に読んでいるようだったので、推理小説ファンなのだろうと勘違いしていたかもしれない。
 東野圭吾の作風もいろいろ変わってきて、謎解きのゲーム性よりも、人間存在の謎を描き出したいという傾向が強く見える。そこに大衆文学でありながら読者を強く揺さぶるものがある。
 それはそれとして、S氏は「最後の推理小説、読者が犯人」というものを読んだそうで、そのとき推理小説ファン(ふくやまミステリー文学新人賞をめざしているぼくのライバル)に、「そんなものは読まなくても分かる。その本を買った時点で事件に巻き込まれるというトリックだ」と言われたそうだ。なるほどこれは強敵だ。
 S氏がブログに、叙述者が犯人という推理小説があるらしいと書いていた。なるほど、これはあまり推理小説を読んでいなかったかと、少し悪いことをした気がしたが、らしいもらしくないも、そういう推理小説はありふれている。ポアロの初登場作品がそうで(タイトルはあえて秘す。バレバレだろうけど)、そのほかにもたくさんある。横溝正史にもある。たいがいの作家がひとつくらいは書いているだろう。
 こういう作品にはルールがあって、犯人=叙述者は決して嘘を書いてはならない。そのかわり、すべてを書くのではない。自分が犯人であることがばれる部分を飛ばして書いている。だからたとえば、時刻の矛盾が生じる。「ここに30分の空隙があるが、この間この人はどこで何をしていたのだろう」と読者が考えたなら、それが犯行時刻であることがわかるのだ。
 推理小説ファンはだいたい犯人は叙述者自身ではないかと疑いながら読む。東野圭吾の「放課後」を読んだときも疑った(違ったが)。
 セバスチャン・ジャプリゾの「シンデレラの罠」は手のこんでいることでは極めつきである。この短篇の「私」は叙述者にして犯人にして被害者にして探偵役、一人四役をこなす。そんなことがなぜ可能なのか、決して非合理小説ではない。ちゃんと納得できる筋書きで、特段のトリックがあるわけではない。謎解きよりも、金持ちと貧しいの二人の少女とそれをとりまく社会を描き出す丹念な筆さばき、それこそ、東野圭吾が言うような人生そのものの神秘性、フランソワーズ・サガンを思い起させるその描写が読者をひきつける。
 推理小説も単なるトリックだけでは成立しない。
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