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石井斉「妻と星空」(「民主文学」15年3月号)

 芸術というものは心で感じとるものだから、ときに作品の上手下手を超越する。技巧上のぎこちなさが、かえって作品を際立たせているように思えるときさえある。
 石井斉の作品はそういう作品だ。作者自身、統合失調症を患い、作中の主人公も常にそうである。今回はすでに結婚し、結婚相手も同じ病気だ。障害手当をもらいながら、男は百円ショップで働き始めた。妻の方は勤めは無理なので、家事に専念している。二人とも症状がしばしば出る。出ると不安でたまらなくなる。自分の症状で仕事を休み、妻の症状でも一人で置いておけないので休む。それが度重なる。
 読者としては、店長の立場に立てば、とてもやってられない気持ちはよく分かる。自分が店長だとしても、これはどうしたものだろうと悩んでしまうだろう。だが、病気の本人にとってみれば、すべてやむを得ないことである。
 作品はいっさい理屈を書かない。ただ、日々の生活を、病を持った者の心に映るままに書きとっていく。
「外で鴉がやかましく啼いた。ヘリコプターの音が騒がしかった。大型車が速度を上げて通り、窓を揺らした。のら猫が赤子のように鳴き、智を不安にした」
 病人を不安がらせるさまざまな音や情景が羅列されていく。それらはそこにただ投げ出されたように、無愛想に書きならべられていく。
 かと思えば、無駄に几帳面でしつこい言葉の繰返し。冒頭の15行ほどの間に、「百円ショップキラキラ店」という言葉が四回出てくる。普通なら、その名前は一度出したら、二度目からは単に「店」とだけ書くだろう。
「智は鞄をぞんざいに置き、コートと背広を脱ぎ、久美が服を箪笥に仕舞った」どうでもよいことを几帳面に書かずにいられない。
 かと思うと必要な書き込みが抜ける。
「智は畳の上に横たわり、手枕をした」とあって、ちょっとした会話のあと、智はカレーライスを食べている。手枕をしたまま食べているのかと思ってしまった。
 全体にこういうチグハグでぎこちない文章がずっと並んでいく。
 だが、こういう過度の几帳面さとかその他の特徴が、まさに症例研究の素材そのもののようにも思える。
 この作者が成功しているのは、自分の症状を理屈で説明するのではなく、症状そのものを描いてみせたところにある。そこにひとつの不思議な芸術的空間が出現する。
 まるで、すべてのぎこちなさが計算されたものであるかのようだ。
 巧まざる巧みさというか、いや本当は密かに巧んでいるのかもしれない。
 いずれにせよ、この作の成功は、言葉で何かを説明しようとはせずに、ひとつの仮想的空間を創り出してみせたところにある。
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