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トマ・ピケティ公開授業

 トマ・ピケティの5500円の本を買うのも読むのもちと骨なので、教育テレビで授業の第1回を見た。
 結論を言うと(第1回でもあるので)新聞で読んだこと以外にはなかった。逆に言うと新聞がピケティを正確に伝えていることが確認できた。
 何か目新しいことを言っているわけではない。格差が拡大してきており、何らかの規制が必要だと言っているだけである。それは左派がずっと言っていることだ。だが、格差の是正を主張する言論に対して、竹中平蔵が「やっかみ経済学だ」と切り捨てたごとく、それは何か現実離れした貧乏人の愚痴にすぎないような扱われ方をしてきたのが現実だろう。
 だが、トマ・ピケティが言いはじめてから、その主張が改めて人々の耳に届き始めたのだ。
 マルクスとの違いを問われたピケティはこう答えた。「マルクスの時代には統計がなかった。マルクスは理論に頼らざるを得ず、その経済学は観念的になった。だが、現在、主だった国はかなり正確な統計を取って公開している。それを計算するのもコンピューターで簡単にやれるようになった。だから、いまわれわれは現実のデータに基づいて話ができる。なぜいままでそれがなされなかったのか。それは経済学というにはあまりにも歴史学的であり、歴史学というにはあまりにも経済学的なので、誰も手を付けようとしなかったのだ」
 そして授業は国際経済の歴史統計によって進められていく。第1回の授業で示されたのはわずかにすぎないが、5500円の本には人々に耳そばだてさせるに値するだけの統計が盛られているのだろう。これが顧みられることのなかった平凡な主張を改めて斬新な主張としたのだ。
 統計資料を見ると、格差が縮小してきた時代は、1910年代から70年代までである。80年代以後、すごい勢いで格差が拡大に転じ、いまや19世紀の世界に戻りつつある。
 ピケティは二つの世界大戦をあげるに留める。戦争が資産家の資産を奪い、あるいはインフレによって資産価値を失わせたので、平準化が進んだと。だが、グラフがはっきり示しているのは、第二次大戦後の数十年である。これはつまりソ連がいた世界なのだ。ソ連が存在した世界と存在しなくなった世界とで、くっきりした違いが生じている。
 ぼくが過去の文章の中で何度か書いてきたこと、「ソ連は(多様な角度から評する必要があるが)第二次大戦後の資本主義経済の発展に一定の役割を果たした。このことを評した文章にまだ出会っていない」という見方の成立の可能性が、彼のグラフから出てくる。
 一昨年の5月30日にアップした「日本共産党への質問状」にたまたま今日どなたかから拍手をいただいたが、そのなかでもこのことに触れ、その翌日5月31日にアップした「新・日本共産党綱領を読む・批判」の中にもたぶん書いた。
 要するにソ連がいた間、資本主義は自己規制していた。ソ連崩壊とともに、好き勝手やり始め、これが格差を拡大させ、その結果、資本主義をうまくまわらなくさせているのだ。
 資本主義は放っておけば必ず行き詰まる。それは自らを規制してくれる外部の力を常に必要としている。自分では規制する力がないからだ。規制によって資本主義は息を吹き返す。その規制とは社会主義か、あるいは社会主義もどきであっても、人々に社会主義であるかのように思わせ、期待させることによって、資本主義を自己規制させる何かなのだ。
 資本主義がうまくいくためにはバランスが必要なのだ。このバランスを資本主義は自ら生み出すことができない。
 ではどうすればいいのか。
 ピケティはじつは解答を示したとは言い難い。マルクスのように、労働者がたたかって権力と生産手段とを奪い取るべきであるとは、彼は言わない。実際そういうやり方の無効はすでに証明されたばかりである。労働者の権力というものはなかった。ただ労働者を利用した個人や、マフィアの権力があっただけだった。我々はそういうものは望まない。誰も望まないだろう。
 簡単な解答はどこにもない。だが、竹中平蔵のような考え方とたたかっていかねばならないのだということだけはあきらかだ。
 いまやピケティ以外に経済学者が存在しなくなったような状況を呈しているので、これから経済学者たちの逆襲が始まる。彼らはあらゆる角度からピケティを攻めはじめるだろう。少なくとも無視されるよりはその方がずっといい。左派は無視され続けてきたのだから。
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