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高原さんへ 資本の論理

「民主文学」の作品への感想も含め丁寧に読んでいただいているようで、恐縮です。
 政治方面の読書は全くできていないので、従来どおりの感想しかないのですが、資本の論理(もしくは原理)を超える新しい原理と聞くと、ぼくの考える方向とはやはりだいぶ違うなと感じざるを得ないのです。そういうものの探究も必要なのかもしれません。ただぼくにはそれは理想主義に見えてしまいます。ぼくが考えるのは、隣のご主人は何を望んでいるか、隣の奥さんは何を望んでいるかということです。そういうレベルでぼくはものごとを考えます。
 ぼくには理想というものはとても危なっかしいものに見えます。いまの生活の中で何が不満なのか、どうしたいのか、そういう具体的な生活レベルから考えていきたい。
 いまの政治や社会がなぜ人々の願いを実現できないのか。左翼と人々の願いとは深いところでつながっていると思えるのに、一向に左翼が人々を引き付けないのはなぜなのか。
 ぼくはそれを理念の不足だとは考えません。イデオロギーを掲げて人々を引っ張っていく政治は危なっかしい。何をどうするかは人々が話し合って決めるべきです。誰かが誰かに押し付けるべきではありません。
 ぼくが考えるのは、そういう方向へと政治や社会を進めていくための具体的方途です。いまの左翼に何が足らないのか、と堂々巡りをしているようですが、それを理念よりも、具体的な運動形態、組織形態の問題として考えたいのです。
 運動に決定的な理念が不足していて、それさえ発見すればすべてはうまくいくのだとは考えません。もちろんその時々の政治的スローガンは必要です。政治は現象としてはパフォーマンスにほかならないと考えるので、アッピールは大切です。
 でも現実から遊離した理想で人々を引っ張っていくことは危険です。根底にはっきりした現実主義が必要なのです。

 別のテーマですが、帝国の論理と資本の論理と書かれています。受け取り方が間違っているかもしれませんが、ぼくが理解しているのは次のようなことです。政治家はしばしばイデオロギーで物事を考えたがる。八紘一宇、大東亜共栄圏、社会主義、あるいは自由、民主主義、人権。でも実際には政治の背後にあるのはいつも経済であり、経済を裏切るイデオロギーは常に失敗に終わる。
 要するに世界は常に利権をめぐって争っているのです。ただ政治的指導者はそれを認めたくない。あれこれの理屈をつけたがる。そして自分でその理屈を信じてしまう。それがしばしば経済的利益と矛盾してしまうのです。こうして破綻した指導者は追放される。
 この経済的利益の衝突は、第二次大戦の終結まで欧米諸国を常に殺し合わせてきました。第二次大戦後、彼らは陰で戦ってきた。アメリカとイギリスの戦いももちろんあったし、アメリカとフランスの戦いも、ベトナムで、コンゴで、中近東でありました。それにまた一国の中でも、ひとつの支配体制の中で複雑な戦いを展開している。アメリカでいえば共和党と民主党の戦い、その同じ党内もいくつもの利益やイデオロギーに分裂している。海兵隊とCIAだってぶつかる。
 こういう裏話は面白いし、小説のネタになる。でも、それは結局戦国大名どうしが戦っているようなもので、百姓はやはり支配されていることに変わりはありません。でも彼らの戦いを利用することはできる。その中には人々にとって有益なものも含まれている。そういう意味ではすべての勢力に対してレッテルを張るのでなしに、丁寧に見ていく必要はある。でもそういう戦いが何か歴史にとっての基本的な戦いであるかのごとく主張する田中宇氏には違和感があるのです。そういうものをぼくは謀略史観だと、つまり、本当に必要な歴史理解から離れて、枝葉のところで歴史を論じていると感じるのです。
 ちゃんと読まずに発言しているかもしれません。いまのところのぼくの感じ方です。
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コメント
422:「高原さんへ 資本の論理」への反論  高原利生 by 高原利生 on 2014/12/22 at 03:56:52 (コメント編集)

http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-556.html
高原さんへ 資本の論理 雑文 - 2014年12月22日 (月)
へのコメント

 何日かかかって書いたコメントに、長文の返事があっという間に届き、ただすごい!と思っています。

 理想主義と言われたのは、大きな誤解です。高原の現実主義は、ホームページの憲法の項を見てもらえば分かる。特に、自衛隊の扱いなど。
 天皇の扱いについては、自分でも変な案だと思いますが。

 理想との対比で、現実を見ることをTRIZから学びました。TRIZは、体系的でないので大嫌いなのです。
 しかし、すべてを矛盾と見ること、理想との対比で現実を見ること、この二つがTRIZの特徴です。嫌いと言いながら、身に着いたのかもしれません。
 理想を意識した現実主義のつもりです。理屈を言うようですが、理想主義と現実主義は相反したものではありません。それに、現実の生き方をどうするかだけが、前から(と言っても2010年頃からでしょうか)一貫した高原のテーマなのです。分かっていただけないのは残念です。
 
 頭の働くうちに、考えていることをまとめたいので、しばらくブログ訪問はお休みします。矛盾については分かったつもりでしたが、そうでないと分かり、前に触れた「入れ子」を今、考えています。

(以下、2014年12月22日23時50分追記)

 石崎氏:「政治方面の読書は全くできていないので、従来どおりの感想しかないのですが、資本の論理(もしくは原理)を超える新しい原理と聞くと、ぼくの考える方向とはやはりだいぶ違うなと感じざるを得ないのです。そういうものの探究も必要なのかもしれません。ただぼくにはそれは理想主義に見えてしまいます。ぼくが考えるのは、隣のご主人は何を望んでいるか、隣の奥さんは何を望んでいるかということです。そういうレベルでぼくはものごとを考えます。
 ぼくには理想というものはとても危なっかしいものに見えます。いまの生活の中で何が不満なのか、どうしたいのか、そういう具体的な生活レベルから考えていきたい。」

 この言は、上から理想を語ってはならない。運動は下からに限定しなければならない、と言っているように聞こえます。
 二つあります。
 「資本の論理(もしくは原理)を超える新しい原理」を求めない運動など、今は存在価値はないということを僕は言っています。そして、今、そういう運動がない。これが一つです。「資本の論理(もしくは原理)を超える新しい原理」などよく分からない、しかしそれを探す姿勢がない。
 二つ目は、上から下から、理想主義か現実主義か、というとらえ方をやめないといけないことも言っています。「上から」と「下から」、理想主義と現実主義は矛盾です。だから両立できる。「今はそうしない限り、どの生活の問題も個別の問題も解決できない段階になっている。これは一人一人の生き方の問題としても、全体の運動のためにもそうである。」とホームページに書きました。
 両立しなかったのが150年の歴史です。
 以上、念のために書きました。これで終わりにします。

(ホームページhttp://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/を改版したので、2014年12月24日版を掲げる)
ポスト資本主義のための哲学 (旧題)マルクス主義とは何か?(要約の要約の抜粋)  高原利生

 全ての現象、行動の単位は矛盾である。
 本来のあるべき基本矛盾は、第一に、世界と各人が同時に取り組む20141221、利益第一主義を超え、人と対象、人と人との新しい関係を作るポスト資本主義を求める運動と、利益第一主義の資本主義の矛盾であるはずだが、人と対象、人と人との新しい関係を作るポスト資本主義を求める運動は、行われておらず、左翼も良識派も、その意識すらない。従って、この矛盾は存在していない。20141128,1217,18

 第二に、このため、次の三つの粒度で、「マルクス主義者」のこの矛盾についての分析は、ことごとく大きく的外れとなっている。20141209

 1)今の世界の政治、経済に実在する矛盾は、ポスト資本主義の原理を求める運動と資本主義の矛盾であるはずだが、これは実在せず、世界の多極化を志向する集団と、覇権を求める軍産集団の矛盾が優位である。田中宇の言葉では、「帝国の論理」と「資本の論理」の矛盾である20141214。これは、田中宇の仮説である(田中宇の左翼嫌いに全く同感する)20141209。これは、支配するものの内部矛盾で、両者とも利益第一主義による。
 事実を見ないこととマルクスの理念も見ないことが特徴の「マルクス主義者」は、この実在する矛盾を見ず、ポスト資本主義の原理を求める運動にも全く無関心である。20141217

 2)今の「国内の」政治、経済に実在する矛盾も、ポスト資本主義の原理を求める運動と資本主義の矛盾であるはずだが、これは実在しない。この粒度での左翼の古い固定観念上の矛盾は、労働者と資本家、プロレタリアートとブルジョアジーの対立である。この矛盾は、なくなってはいないがこれが完全に成り立つのは、マルクスが定式化し単純化された観念の世界である。20141128,1209,17

 3)一人一人の矛盾も、これらが個人の粒度に具現化した人と対象、人と人との新しい関係についての価値である自由と愛と、その前提の個の生というより大きな価値を実現する行動=労働の内容の矛盾であるべきである。(労働は、ポスト資本主義の世界では、賃労働だけでなく全ての対象、人を変える行動である。)この矛盾が人の生き方である20141221。
 本来はこれが、世界や「国」の政治、経済の内容であり原動力である。
 しかし、これを、「マルクス主義者」は、その外部の、労働条件の矛盾にすり替える。20141209,17

 これらは事実を見れば明らかである。これらの事実が、150年間の「マルクス主義者」の古い固定観念による傲慢さの間違いの実証となっている。
 マルクスの第一の、価値についての偉大さは、理想像を描いたことにある。
 しかし、彼が、実際に分析したように見えるのは、当時の労働と所有の極端化され単純化された資本主義であり、当時の課題は資本主義が解決しつつある。この点で、「マルクス主義者」の間違いは、マルクスの理想を見ず、彼の仮説の検証と見直しを行わなかったという二点である20141224。
 残っている課題は、ポスト資本主義を作ることと、マルクス以降の人類の努力で分かってきた地球規模の人類の課題を解決することである。
 「マルクス主義者」はこの二つに関心がない、それだけならまだよい、邪魔さえしているのだ。そんな「マルクス主義」は、いらない。20141018,1224
 粒度を自由に操り、事実と人の観念を相対化できるのが、マルクスの第二の、方法上の最大の長所だった。
 「マルクス主義者」は、マルクスの未完の体系を完全と思い込み固定観念とし、彼の価値と方法の二つの長所をことごとく失った。20141214,17,24

 農業革命は、太陽エネルギ-の利用によるローカルな技術革命だった。産業革命は、化石燃料の利用により活動が地球規模に広がる技術革命だった。
 今後1000年は、枯渇する化石燃料に代わる原子力エネルギーと(地球内では、プレート運動からのエネルギーも可能なら併用し)活動が宇宙に広がる技術革命の時代である。
 思想、哲学は、技術革命に従属的である。
 矛盾と粒度を見直し続ける根源的網羅思考が新しい時代の思想、哲学である。20141219

 人と対象、人と人との新しい関係をどう作るかが問題である。これは、対象化と一体化の矛盾である。これが解決すると、利益第一主義に代わる経済の起動力が可能になり、パースの連続性、サルトルの全体性が得られる。パースの連続性は、日常の判断も人類の未来に関わる問題も同じ論理によること、サルトルの全体性は、一時が万時、一事が万事ということだ。
 マルクスがこの解を得られなかった原因は、かれがヘーゲルの所有概念を対象化、相対化できなかったことである。20141219,20

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