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須藤みゆき「冬の坂道」(民主文学15年1月号)

 いつものみゆき節である。貧しかった少女時代、おそらくそれ以上につらかった兄との断絶を、くどくどと書き連ねた最後に、「私は、前に進むことができるのだろうか?」と記し、その数行後に、「私にも、できるだろうか?」とたたみかける。このみゆき節ともいうべき独特のリズムが、彼女の小説の味なのだ。最後には必ずこのリフレインが出てくることを期待して読んでしまう。小説はずっとそこにとどまる。それが現実なのかフィクションなのかということは問題にならない。このリフレインの瞬間を生きることが彼女の小説世界なのである。
 作品世界にはいくつかバリエーションがあり、母のことだったり、兄のことだったり、別れた夫のことだったり、その義父のことだったりする。それらを通して彼女は過去にこだわり続ける。これを「なかったことにすることはできない」と作中の「私」は語る。なぜなら、私たちは「そういうふうにしか生きることができなかった」のだから。
 主人公が現実を克服してしまえば、それはいわゆる教養小説となってしまうのだ。作者がこだわるのは、現実の克服ではなく、現実そのものをもっと深く見ることである。深く見、深く味わうことである。その表現行為のなかから作者は何かをつかみとろうとしている。
 貧しさから這い上がろうとする向上心の遺伝子を共有する兄と妹でありながら、兄は自分たちを苦しめた資本主義の仕組みの中で、学問を武器に勝ち組になろうとし、妹も同じく学問によって自立をめざしながらも、資本主義に対してはたたかっていかねばならないと考える。だが、その兄から、「自分の人生の邪魔をしないでくれ」と言われた妹は、たたかいに参加することを躊躇し、ひたすら目立たないように生きていこうとする。こうして25年が過ぎ去る。妹には兄のために自分を犠牲にしてきたような感覚があり、もはや取り戻すことの不可能な人生への、複雑な思いがある。こういう思いの具体的なすべてに対して全く異なる人生を生きてきた読者がすべて共有するというわけにはいかないが、それぞれがそれぞれに持っている人生に対する複雑な思いを重ねることで共感することはできる。
 この小説世界は未解決だからよいのだ。これが小説の上で解決されてしまったら、ちょっと興醒めする。
 しかし作者にはこれとは別に、元気の良い明るい中学生だか高校生だかを軽いタッチで描いた「黒猫ちゃん」がある。器用な作家だから、ああいうものも書けるのだ。たまにはそういうものも書いてもらいたい。それはまったく違う世界の話だから、彼女のイメージを損ねることにはならないだろう。
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