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笹本敦史「家族写真」(民主文学15年1月号)

 身近な人が、事実に近いのではないかと推測されるような形で、つらい話を書くと、もはやそれを小説として読むことの難しい自分を発見した。
 もっともそれは表題作ではなく、「まがね」56号の同一作家「瀬戸を渡る」を読んだときである。
 日頃ぼくは小説を小説として読もうとしない読者をたしなめている。その自分がそういう状態に陥ったことに戸惑いがあった。
 それは娘の事故死をきっかけに認知症が進んでいく母親を描いた作品だった。それがどうも作者の妹と母親の事情に取材したものに思えて(違うのかもしれないのだが)、小説として客観的に読むことが難しかったのだ。
 その作品への態度を決めかねて、合評が来年になったのを幸いとして、氷漬けにしている。
 そこへこの作品が現れた。やはり同じ素材にもっと深く突っ込んでいる。
 <私>の妹は交通事故死し、母親はそれから認知症が進み、父親は腹部にできた動脈瘤の手術を拒否して死んでしまった。<私>はこの父親によい感情を持っていなかった。
 最初の何ページかで細かい事情が説明的に書かれる部分を、ちょっとくどいかなと思いつつ読んできて、113ページにきて、はっとした。
 認知症の母親が、いくつかの同じ質問を、ローテーションしつつ、同じ口調で繰り返す場面である。質問は永遠に続いていく。きりがない。<私>の答えも永遠に続いていく。<私>は母親に呑み込まれ、母親と一体になってこの芝居を演じている。115ページになって<私>はやっとその芝居を打ち切る。
 ここはほんとうは最もつらい場面なのだが、ここを読みつつぼくは思わず笑ってしまった。それはつらさの中に一種のほほえましさの混じる笑いだ。どんなにつらい現実も、それが現実である以上、もはや笑い飛ばすしかないのだという場合があるものだ。この淡々と描かれた数ページの描写のうちに、理屈では言い表わせない人生の真実が現出している。
 笹本敦史の書いたのがほんとうのことであれ、フィクションであれ、それとは関係なしに、彼は彼の作家精神でひとつの文学表現に成功したのである。
 なおここでは父と息子という関係を、深く突っ込んではいないが、暗示的に描いている。幼くして両親に死なれ、叔父宅に養われた男の子が、成人して結婚し子をなしたものの、経験したことのない家族というものにとまどっている。<私>は、この父親を好きにはなれなかったが、そういうものとして理解し、共感することはできる。そのとき、父親の像もふくらむが、必要以上には読者に対してその内面を見せようとしない<私>という人物にも確かな手ごたえを与えている。
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コメント
410: by 石崎徹 on 2014/12/11 at 22:14:33 (コメント編集)

「家族写真」は立派に小説になっていますよ。「瀬戸を渡る」もあらためて客観的に読み直してみるつもりです。

408:読んでいただきありがとうございます。 by 笹本敦史 on 2014/12/11 at 20:48:00

身内をネタにするのはそろそろやめて、エンタメに戻りたいと思っています。

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