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大陪審

 大陪審はわかりにくい制度だが、要するに起訴するか否かをくじで選ばれた陪審員の評決によって決する機関で、どこの国でも廃止されて、現在ではアメリカにしかない。そのアメリカは連邦と州との二重構造になっていて、これまたわかりにくいのだが、連邦にも大陪審があり、州は州によってあるところとないところがある。大陪審が不起訴と決めたら、検察は起訴できない。その大陪審は非公開であり、不起訴理由の開示も行われない。これは陪審員がくじで選ばれた一般市民であり、職業的に従事しているわけではないところから、個々人の考え方の公開を強制されないという趣旨によるものだろう。
 だが、そのことが今回不満の原因となっている。警察官と警察官に殺された側と、どちらに正当性があるかについて、裁判の場で公開で評議されるのではなく、秘密下でことが葬られてしまうように見えることが人々の不満をかきたてている。
 もちろん背景になっているのは人種差別がいまだに解消されていないことへの不満なのだが、具体的には大陪審制度への疑問として出てきているわけである。
 日本では起訴権限を持っているのは検察である。検察が不起訴と決めた件について不満を持つ人は検察審査会に訴える。これはGHQの要請で導入された。だが審査会が起訴相当の評決を出しても、検察はこれを無視できた。数年前に、審査会が二度評決を出せば強制的に起訴されることになった。小沢一郎がその最初の対象となった。
 だが、検察は起訴したくないと言っているのだから、弁護士が、検察官役をこなさねばならない。検察庁の手厚い協力があったようにも思われず、不利な戦いだったのではないか。(ここ、よく知らずに書いてます)。
 要するに日本の場合、市民の不満がどこにあるかというと、ことの是非を公開の裁判の場で決するのではなく、検察庁の内部で決してしまうことにあるのだ。日本では、まるで検察が裁判所のようになっているのである。
 これは検察の体質によるのだ。検察は立件した件が無罪となることを最も嫌う。逆にいうと、無罪になる可能性の高い件は立件したがらない。裁判所で決すべきことを、あらかじめ検察内部で決してしまう。こうして検察がひとたび立件すれば有罪率99.9%という結果となる。判事の方も、検察のそういう姿勢を知っているから、下手をすると予断を持つ。無罪を嫌う検察が立件したのだから有罪だろうと思ってしまいかねない。逆に、裁判をすれば有罪となったかもしれない件が裁判されないままというケースもあり得る。
 アメリカでいま起こっていることの本質は人種問題なのだろうが、具体的問題としては、裁判制度をめぐる日本と共通の問題があるのだ。
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