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小説とは何か

 文学とは何か、まして小説とは何かについて、ぼくは考えたこともなければ、そういった類の本は一切読んだことがない。考えなくとも小説はそこにあったし、だからぼくは小説を書いてきた。それだけの話である。戦前のプロレタリア運動につながるマルクス主義的芸術論にぼくは興味を持てない。こういったものはどこに根があるのだろう。おそらくソ連の御用理論があった。そしてヨーロッパのレジスタンスの時代にも何らかそれらしきものがあったのかもしれない。でもいまだにそんなものを引きずっているのはおそらく日本だけではないか。
 日本にはすべてを型にはめねば気が済まない伝統があるのだ。茶を飲み、花を生けることまで道にしてしまう。ありとあらゆる文化、生活、スポーツすべてを道にし、型にはめる。マルクス文学論というのも、日本のそういう伝統のひとつなのだ。
 以上は前置き。
 素人作家たちは案外こだわるのである、小説とは何かについて。
 次のような文章を読んだ。「随想しか書けない。小説が書きたい。どう書けば小説になるのか、それがわからない」
 ぼくにはこの人が何を求めているのかがわからない。
 小説は書きたくて書くものではない。小説を書きたい、と思って書くわけではない。小説でなければ書けないものだったから、たまたま小説になったのだ。
 エッセーで書けるものを小説にする必要はない。小説のほうがエッセーより上だということは断じてない。取材では不明な点をフィクションで補ったので小説だなどといわれると、要するに二級品のドキュメントが小説か、と言いたくなる。
 すでにこのブログでも何度か書いてきたことの繰り返しになるが、素材と文章力だけで読ませるのが、エッセーである。エッセーの目的も様々だが、非常に芸術性が高くてそこらの小説がそばに寄れないようなエッセーはいくらでもある。ぼくがすぐ思いつくのはカミュの「裏と表」だ。
 それに対して小説を定義づけるということはじつは易しくない。常に定義を乗り越えるのが小説だからだ。だが、仮に定義づけるなら、それは疑似空間を作り上げてそこに読者を引きずり込もうとする文章作品である。
 だから、この問題を提起した人が、そういうものを書きたいのであれば、小説を書けばいいし、そうでなければそうでないものを書けばよい。書いたものが小説になるかならないかという問題ではないのだ。何を書きたいのかということしかないのだ。
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403: by 匿名 on 2014/12/04 at 11:08:31

続き。だから、小説とは何かとか、考えてもいいんだけれど、読書にまでそんな雰囲気が伝わってしまったら、それは失敗作だと思います。とにかく、赤の他人の文章を読んでもらうということはたいへんなことだと思います。

401: by 匿名 on 2014/12/04 at 11:05:14

今年は初めて小さな地方文学賞をいただきましたが、何でいただけたのかなと考えて分かったこと。自然体で楽しく気楽に書いているように、読む人には見えるように書いたことかなと思いました。言い方は悪いけれど、芸人さんとおなじでしょうか。ほんとうは必死でやっていても、みなさんはにこにこしてやっていますね。こんなに勉強してどんでんがえしやトリックなどの工夫をしてがんばって書いたんだということは、なるべく読者には分からないほうがいいのだと思いました。

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