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ノロ鍋始末記 第二章

 朝が来た。
 直木は意外と元気な自分を感じたが、柴田さんはさすがにくたびれたらしく、口数が減って、ぼんやりした眼をしている。田所は最初から少しも変わっていない。二十四時間働いた直木たちと違って、もともと夜勤勤務だ。彼らはずっと昼夜十二時間の二交代制で働いている。
 ほとんど、田所と柴田さんが交代で切ったが、直木もときどき切った。はたで見るのと違って、自分でやってみると、まずその熱さに尻込みしたくなる。防熱服に防災面でかためていても、いったん切り始めれば、直射する熱から逃げることができない。一歩現場を離れれば二月の夜の凍てついた大気だが、ここでは千数百度の熱で鉄が溶けている。その間近でただ耐えるしかない作業は、まるで拷問だ。手元が狂うと、火花が自分めがけて飛んでくる。直木は何度か、長い防熱手袋の中に火を飛び込ませて、あわてて手袋を脱ぎ捨て火を消した。だが、六十二才の柴田さんに負けるわけにはいかない。ときどき、田所や柴田さんからアドバイスが入る。柴田さんはとても見ていられないというふうに、いきなりガンをもぎとって自分で切り始める。見ていると確かに技術が違う。だけど新米なんだから、下手でもやらせてくれりゃいいじゃないかとも思うが、反面、熱さから逃れられて、ほっとする。
 製鉄所のがわが、クーラーボックスに用意した冷たい飲み物を、どんどん飲め、といって薦めてくれる。真夜中に飯を食いに行った。その間にアトラスとブルドーザーが入って、切り取った部分を除去する。何度かブルが入り、その間は休憩した。
 六時になると、作業長の大江が来た。並の背丈だが、スポーツマンらしい引き締まった体つきと、精悍な顔つきをしている。しかし、彼ももう五十代後半だ。顔つきに似合わず細かな神経を使うので、数年前に胃癌をわずらい、胃を全摘出したと直木は聞いている。
「柴田さん、申し訳なかった」大江はまず謝った。「夜勤が入るはずが、仕事が立て込んで、こっちにまわせんかった。氷川班が対応してくれることになったから、今夜はゆっくり休んでください。直木君もすまんかったなあ」
「いえ、いえ、ぼくはお役に立てなくて」
「そげんことなか。なおもがんばった」と柴田さんがいってくれる。
「じゃ、おれも今夜はいいのかな」と田所。
「班勤からは出せたら出して欲しい。ガンをもう一台用意して、二台で切ったほうがよかろう」
「氷川班は何人出せるの」
「まだ分からん。いまから相談する。柴田さんたちはくたびれただろうから、もうあがってください。田所は交代者が来るまでおって、引継ぎしてくれ」
「おれもくたびれたぞ」と田所がにやにやしながらいった。
 防熱服を脱ぐ。大江は柴田さんに向かい、
「柴田さん、あしたの朝、ちょっと相談がある。ミーティングのあと残ってほしい」
 柴田さんは着替えの手をとめた。
「なんや、相談やと? 気持悪いやないか。クビか」
「馬鹿なことを。あんた、クビにしたら、うちはつぶれる。ノロ鍋の件で、相談があるんだ。それで、ここの仕事は氷川班に頼んだ」
「ノロ鍋やと? わしゃ知らん」
「まあ、あした。きょうは早よ帰って休んでください」
 ヤードを出ると、空が白みかかっている。海風が強く、冷たい。汗でぬれた背中がぞくぞくする。二人は二トントラックに乗りこんだ。エンジンをかける。
「きょうはまた寒いですね」
「風邪ひくなよ。風呂はいって帰れ」
「着替え持ってきてない。このまま帰ります。早いほうが道がすいてるし」
 製鉄所の中の道路は早くも出勤してくる車で混みあっている。
「柴田さん、さっきの大江さんの話はなんですか」
「知るか。ノロ鍋の渋井が仕事しとらんとじゃ。わしに振ってくるつもりじゃろ」
 班の作業場があるヤードの駐車場にトラックをとめた。工場へ入っていく。中はまだ無人で、うす暗いが、歩けないほどではない。工場の中ほど、詰所の前に並べたロッカーに、持ち帰った備品を片付ける。詰所の横の洗い場で手と顔を洗った。水が冷たい。
「じゃ、気をつけて帰れよ。居眠りすんなよ」
 柴田さんは着替えのためにハウスへ向かう。ハウスで着替えて、自転車で帰るのだ。直木は工場から出て、すぐそこの駐車場にとめた自分の軽自動車に作業着のまま乗りこんだ。
 ぐるっとまわって、片側三車線の中央幹線に出る。まだ早いので、夜勤帰りはほとんど走ってない。出勤してくるほうは、早くもラッシュだ。いくつか信号を抜けて、北門から出た。通勤ラッシュと逆の方向なので、三十分もあれば帰れるだろう。カーステレオもないポンコツ車はラジオのニュースを聞くしかない。暖房がなかなか効かない。寒いが、それでも眠気は襲ってくる。直木はタバコをやたらとふかした。

「いとしの妻よ、娘たちよ、お父さんが帰ったぞ」キッチンへ入るなり、直木は芝居がかって両手を広げた。
「パパ、パパ」娘たちは競って椅子から飛び降り、飛びついてきた。
「酔ってるの?」美知は険しい眼をしている。
「よく言うよ。一晩中働いていたんだぜ。それも飛び散る湯玉と格闘して。見ろ、やけどだらけだ」直木は両手を広げてみせた。
「ほんとに朝まで働いてたの?」
「がっかりするよなあ。二十四時間の苦しい労働からやっと解放されてなつかしの我が家へ帰りついたら、この歓迎だ」
「ごめん。お疲れさま。でもこっちも急がないとまにあわないの」
 美知は子供たちを食べさせて保育園に連れて行き、自分も出勤しなければならない。
「風呂あるかい」
「流しちゃった」
 こういう女房だ。どうやら、朝まで仕事とは信じていなかったらしい。直木は立って水を入れにいく。
「なんか食わせろ。腹減った」
「いま、パン焼いてる」
 五才と三才の娘二人はちょうど食べ終わったところだ。テーブルに向かいあって坐ると、ふたり、ニコニコ笑った。直木はテーブルの上に手をのせた。
「見ろ、ここと、ここと、ここ」
「どしたん」とミカ。
「焼いたんだ。こうやってじゅっとな。じゅ、じゅ」
「あちかった?」とチカがまわらぬ舌できく。
「熱かったでえ。死ぬかと思った」
「パパ、かわいそう」とミカ。
「パパ、かわいちょ」と、まわらぬ舌のチカ。
 三人が出て行ってしまい、風呂を沸かしながらテレビを見ていると、ついうたたねし始める。直木はテレビとストーブを切り、風呂も止めて布団にもぐりこんだ。
「あしたの朝まで寝てやろう」と直木は思った。
 眼が覚めた。時計を見ると十二時。部屋は明るい。
「ちぇ、腹がめし時を覚えてやがる」
 テレビをつけ、缶ビールを開けて、インスタントラーメンを食べる。タバコを二本吸い、引き出しを物色して、一万円札を見つけた。
「よし、景気づけだ」
 一万円握って車に乗り、パチンコ屋に行った。一時間もせずに出てきた。
「景気落ちだったな」
 その夜はそれがばれて美知が癇癪玉を爆発させた。
「あんたの顔と口にだまされた」
 おまえが面食いだから、おれの男前にだまされたんだろう、と直木はかえっていい気になる。口のうまさにも自信がある。だが、おれだっておまえの美貌にだまされたんや。
「十五万でどうやってこの子たちを育てていくん。わたしが働いてやっとかつかつやってるんよ」
「給料安いのはおれのせいか。おれかて、楽な仕事はしとらん。このやけど見てみい」
「もっとちゃんとした会社あるやろ」
「何回会社変わっても同じことや。いまどきろくな会社があるか」
「これでも自分のうちがあるから、何とかやってるんよ。これで家賃払ったら、とてもやれんよ」
 美知の母親は未亡人で小さな喫茶店を細々とやっているが、もともと地元の、亡夫の残した家があり、直木たちはその離れに住んでいるのだ。
 二人の娘を風呂に入れて寝かしつけた。
「むかし、むかし、あるところに……」
「むかち、むかち」と、チカがまわらぬ舌でまねる。ミカが笑った。
 この子たちのためにおれは生きている。口やかましいばかりの美知はもういらんぞ。夜、直木がちょっかい出しても、美知はのってこなかった。

 朝の七時半には、せまいハウスの中で体操が始まる。班勤(交替勤務者)と一部の職場は、七時から仕事にかかるので、もういない。いまいるのは製鋼保全課の八時出勤の常昼勤務者だけで、柴田班、氷川班、その他あわせて、三十人ほどである。氷川班からは、すでに何人か転炉に出向き、あるいは夜勤にまわっているらしく、人数が少ない。大江と係長の安部がしゃべって、いつもどおりのミーティングは終わった。係の違う氷川班だけ残って、氷川作業長が指示を始めた。
「柴田さん、ちょっと頼みます。直木君も来てくれ」
 大江に呼ばれて事務室に入る。
「作業指示をせんならんけん、現場へ行くぞ」と柴田さんがいった。
「すぐ終わるから、ちょっとこっちへ」
 会議室へはいった。三人ともタバコに火をつける。
「ノロ鍋の仕事ができとらんのじゃ」大江が苦いものを吐き出すようにいった。
「そりゃ知っとる。渋井は仕事しとらん。みんな知っとる」
「物流が製鋼課へ訴え出たよ。タチバナ工業がノロ鍋の修理をせんので、鍋がまわらなくなった、業者を代えてくれ、と書面で出しよった。池山課長が、製鋼課に呼ばれて、解決せんならタチバナ工業を切ると言われた」
「なんで、渋井を働かせんと」
「肩が痛くて重いものを持てんと言いよる。誰かよこせば指導してやると言っとる」
「馬鹿言うんじゃねえよ。年とって身体の痛くないやつあ、おりゃせんど。渋井にはいままで何人もつけたとやろが。かたっぱしから、役に立たんと言ってあいつが追い出すか、あいつが気にいれば、相棒のほうで渋井とは働けんと言って、逃げ出したとやろが」
「そのとおりなんだ。誰とも組めない人間なんで、わしも困っとる。よその職場にやろうにも、どこも迷惑がって引き受けん」
「なんでクビにせんと」
「そんな簡単にはいかないよ」
「それでどうせえ言うんか」
「直木君つれてあんたが行ってくれんか」
「馬鹿ぬかせ。仕事せんと給料もらっとるやつがおるところへ、なんでわしが行かないかんと。わしとこは暇じゃなかぞ」
「かといって、あの仕事をまかせられる人間がおらんのじゃ」
「わしは知らん。みんなを放っとけんから、もう行くぞ」
 柴田さんが立ち上がる。直木もそれにならった。大江が困惑の表情で二人を見送る。
 工場へ入って詰所に行くと、まだみんなそこにいた。十人ほどが、せまい詰所にすし詰めになっている。柴田さんはてきぱきと作業分担をしていく。天井クレーンの運転手一名と、離れたところにある電炉の仕事に行く者二名はいつもどおり。直木は柴田さんについて脱ガスへ行くことになった。木村と森が一緒だ。残りのメンバーはここに残って、製鋼で使う大小さまざまな部材を製作したり補修したりする。普通の鍛冶屋の仕事だ。
防塵マスクと皮手袋を用意して工場を出る。一トンのWトラックに乗り込む。いちばん若い森が運転した。クレーン詰所の前に駐車する。木村が目の前のトイレに向かおうとした。
「糞して上がるけん」
「馬鹿たれ、うちでしてこんか」
 柴田さんがどなった。木村は平然とトイレに入っていく。三人は長い階段を登って、脱ガスの操作室に入った。数名の製鉄所社員が計器を操作したり、忙しそうに出入りしたりしている。鷲尾がいた。小柄で丸顔の童顔だが、負けん気の強そうな目つきをしている。
「鷲尾、炉下に行かんでよかか」
 柴田さんは製鉄所の総作業長に対しても呼び捨てだ。すかさず、鷲尾が達者な早口で言い返す。
「自分の職場をほったらかして行けるか。柴田さんこそ、何しとんや。田所が柴田さんに逃げられたゆうて泣いとったぞ」
 柴田さんも負けていない。
「予備槽のシュートの解体やないか。せんでええなら、炉下に行くぞ」
「若いもんに任せとかんかい」
「どっちを任すんか。こっちか、あっちか」
「じいがいつまで現場をうろついとんか。タチバナ工業も進歩がないのう」
「いらん世話じゃ。早よ、指示書よこせ」
「おい、指示書書いてやれ」鷲尾がおとなしく班長に指示した。
「いま書いてます」若い班長がこたえた。
 脱ガスは、転炉で吹錬して取鍋に移した溶鋼に、巨大な脱ガス槽を被せ、下部槽からぶら下がった直径一メートルほどの浸漬菅二本を溶鋼に浸し、アルゴンを吹き込んで還流させ、窒素などの不純ガスを抜き取る現場だ。槽が二つあり、予備槽が定期的に補修にはいる。主としてレンガ屋の仕事だが、シュートの解体復旧をタチバナが請負っていた。
 直木は天井クレーンのテレコンをとり、電池残量を確かめてから、首にかけた。ちょうどそのときレンガ屋が入ってきた。
「お、じいがまだおる」
 でっぷり太ったレンガ屋が、にやにや笑いながらいった。柴田さんがすぐに反応した。
「どいつもこいつも、やかましいやい。おまえはまだ定年にならんとか」
「来年な。来年は島に帰る」
「ええのう。帰るとこのあるやつは」と柴田さん。鷲尾が横から口を出した。
「柴田さんも息子が自動車の本工になったとやろ。家でも建てて、隠居せんかい」
「そげん甲斐性あるか」
「退職金もらったんやろ。いま金利が安いぞ」
「馬鹿たれ、おまえんとこの退職金と一桁違うわい」
「そげんことなかろ」
 そのとき、レンガ屋が直木に手を出した。
「すぐ終わるさけ、先に貸してくれんか」
「うちが優先じゃ」と柴田さん。
「レンガを一回上げるだけじゃ」
 直木は柴田さんを見た。
「貸してやれ」
 直木はクレーンのテレコンを首から外し、レンガ屋に手渡した。
 脱ガスの現場は冬でも暖かい。溶鋼がすぐそばにあるからだ。予備槽はいまの季節はもう冷めているが、半年前入社したてで初めて来た時は、その熱さに閉口した。製鋼の仕事はどこへ行っても冬がいい。夏は地獄だ。若い森と、糞して上がってきた木村と、みんなで現場に備え付けた柴田班専用の工具庫を開け、工具を段取りする。
 昼までに作業を終わらせ、ハウスへ戻って昼食を食べ、昼からの仕事にかかろうとしていると、柴田さんが来た。
「大江が本事務所に来いと言うとる。おまえも来い」
 柴田さんは車の免許を持たないので、どこへ行くにも運転手が必要なのだ。

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