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エッセーについて

 言うまでもないが、言葉を作るのは、辞書学者でもなければ、学校教師でもなく、まして文部省ではない。小説家は言葉を作るが、小説家だけが作るのではない。それはいつのまにか生まれ、いつのまにか生存権を獲得していく。言葉を作るのは社会の慣習である。したがって、言葉はいつも曖昧であり、厳密に定義できる言葉など存在しない。
 広島でエッセーについて少し言葉が交わされたので、書いてみたい。もっとも、エッセーの定義など書くつもりはない。エッセーという言葉からぼくが受ける感じについてである。
 エッセーと随想と少しイメージが違うと感じるのはぼくだけだろうか。日本で随想というとなんだか雑文程度のものを連想する。エッセーというともう少し文学的なものをイメージする。もっともそれはエッセーが外来語だからかもしれない。その言葉の母国では、それは日本の随想と同じ意味なのかもしれない。
 エッセーにもいろいろある。カミュの「裏と表」がまさしく「文学的エッセー」なのに対し、同じカミュの「シジフォスの神話」は「哲学エッセー」である。高等教育を受けていないカミュに「存在と無」のような哲学の著作はできなかったが、しかし「シジフォスの神話」は最も広く読まれ、最も広範な影響を与えた哲学風文章だったのではないか。
「裏と表」には文学的感興があるという点でもっとも普通の意味における「エッセー」にふさわしい。このときエッセーはまさしく芸術である。
 だがもちろん文学的なものだけではない。「旅のエッセー」「料理エッセー」そしてかなり普遍的に存在するのが「歴史エッセー」である。歴史について学問的にではなく語れば「歴史エッセー」になる。そのほか、「科学エッセー」もあれば、「音楽エッセー」「美術エッセー」「スポ-ツエッセー」「政治エッセー」もあるだろう。
 だが、エッセーに関する一番馬鹿々々しい神話だと思うのは、「嘘を書いたら小説」「本当を書いたらエッセー」というものだ。かなり広く行き渡っている神話である。もしかしたら神話だと思っているのはぼくだけで、大部分の人にとってそれが正しい解釈なのかもしれないが、そういう理解ではエッセーのなんたるかも、小説のなんたるかも永遠に分かることはないだろう。
 もちろんエッセーと小説の間に明確な線引きができるわけではない。書く人の感じ方、読む人の感じ方の違いに過ぎない。ぼくはエッセーと銘打って嘘を平気で書く。エッセー風であるとぼくが感じれば、嘘であってもエッセーなのだ。小説風であると感じれば嘘がなくても小説だ。
 どこらへんに感じ方の違いがあるだろうとぼくなりに考えてみるのだが、「物語」があれば、それが実体験であっても小説である。「物語」がなくて、(読者の想像力を要求せずに)、文章力だけで読ませれば、嘘ばかりであってもそれはエッセーである。
 さらにぼくが随想的なものと呼ぶとき(あえてエッセーと呼ばずに)、それは物語もなければ、空想力も必要とせず、文学的感興にも乏しいような文章のことであって、そこに嘘が書いてあるかないかは関係ない。
 だが、もちろん、「物語」のあるものだけが小説なのではない。「物語」の存在しない小説もある。人の作り出すもの、人の受け入れるものはさまざまであって、すべてが変化していくから、定義できる言葉などないのだ。そのときそのときの感じ方なのである。

 今回、「民主文学呉支部」にすばらしい才能が生まれ、彼女の書いたものがエッセーなのか小説なのかということが少しだけ話題になった。もちろんどちらでもよいのだ。文学的作品だということだけははっきりしているのだから。
 小澤直という若い女性である。関心のある人は呉支部から取り寄せてください。住所はどこかに書きました。
 この人の作品に接して、ぼくは30年前ひろしま支部で書いていた高橋恵子を思い出した。この人はもとは詩人だったが、このとき小説を書いた。エッセー風小説だった。すばらしかった。だが、中国研究集会の場で褒めちぎったのはぼく一人だった。ほかに講師が(それが誰だったか思い出せない)、今回提供された雑誌の作品中、文体感覚を持っているのは、高橋恵子と石崎だけだ、と言った。二度と聞けない言葉なのに、発言者を忘れてしまったのが、情けない。
 このとき長瀬佳代子さんが、「ああいう作品が好みだという石崎という人間の好みがわかった」といかにも軽蔑するふうに言った。その頃、長瀬さんとぼくとは合わなかった。彼女はぼくの作品を認めなかったし、ぼくも彼女の作品は好きじゃなかった。ぼくもまだ若かったのだ。今では彼女の作品はしみじみ良いと思う。ぼくも少し大人になった。しかし、高橋恵子風、小澤直風の作品に対しては相変わらず弱いのだ。
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