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「レーン最後の事件」

 広島集会の準備をするつもりだったが、結局力が入らず、「レーン最後の事件」を読んだ。上質な娯楽作品はいつでも読者を慰めてくれる。83年版になっているからそのころ読んだのだろう。「X」「Y」より20年近く後だ。ところが「X」「Y」の方が記憶が鮮明である。これは作品の良し悪しよりも、若いときに読んだもののほうがより記憶に残るということだろうか。そう言えば最近読む作品は次々忘れてしまう。中学高校時代に読んだもののほうがよく覚えている。こうして若いときの読書が人間を決定してしまい、齢をとって何を読んでもほとんど身に付かないということだろうか。
 結論部分はもちろんさすがに記憶していた。ポアロの最後の作品と同じだ。推理作家というのはこういうことをやってみたいものなのだろう。解説の中島河太郎は、クイーンはこれを書きたいだけのために「X」「Y」「Z」を書いたと言っている。そうかもしれない。
 それ以外の筋はほとんど完全に忘れていて、ただシェークスピアに関する薀蓄の話だったというのは読みはじめてから思い出した。この薀蓄も書きたいことだったのだろう。
 結論を知っていながら、ずっとわけのわからない話が続いていく。ちゃんと推理小説になるのだろうかと心配していたら、最後にきて見事にまとめた。さすがである。
 ただ、大きな疑問がひとつ。色盲は遺伝子で決まるだろうから、一卵性双生児なら、片方がそうなら二人ともそうだろう。二卵性だと、成長後相手に成りすますのは不可能ではないか。
 物語とは別に興味を引かれるのは、やはり30年代のアメリカである。60年代の日本と似たところがある。
 日本で農協さんの団体ツアーがかつて話題になったが、(いまや我々夫婦もそれに参加しているが)、この作品でもまずルイジアナの教師たち一行のニューヨーク見物から話が始まる。その場面でちょっと注意を引いたのが、高齢の女教師たちを、ミセスではなくミスと決めてかかって書いていること。30年代のアメリカでも女性は結婚すれば仕事をやめるのが当たり前だったのだろうか。
 作品全編を覆っているのは、ヨーロッパへのコンプレックスである。60才くらいのサム警部はいかにもニューヨークの田舎者である。高級レストランの給仕がフランス語をしゃべるのが気に入らなくて「アメリカ語でしゃべれ」とどやしつける。イギリス人家庭のイギリス的な執事には意味もなく腹を立てて怒鳴りつける。ヨーロッパで教育を受けた娘のペーシェンスには父親のそういうコンプレックスがおかしくてたまらないのだが、こういう田舎丸出しのアメリカ人こそ、アメリカの読者が最も好むタイプなのだ。彼らはアメリカ人のコンプレックスを正当化してくれる存在なのである。「イギリス人はみんな嫌いだ。一人だけロンドン警視庁の何某はよい。彼はイギリス人だが、アメリカ人だ」という言い方をする。
 ヘミングウエイを読むと、第一次大戦後のパリで、アメリカ人がどんなに孤独なよそ者であったかということを感じるが、アメリカ人がいまのように世界中で大きな顔をしはじめたのは、第二次大戦でヨーロッパを占領したことがきっかけではないのか。あれで彼らは自信を持ち、世界中どこでもアメリカ流儀で押し通すようになった。それまではヨーロッパでは肩身が狭かったのだ。
 もうひとつ。ペーシェンス・サムと若いゴードン・ローとが、「パティ」(ペーシェンスの愛称)、「ゴードン」と呼びあうと、サム警部がどなり始める。「いつのまにそんな関係になったのか」というわけだ。二人はあわてて「ミスター・ロー」「ミス・サム」と訂正する。娘を若い男に奪われたくない父親根性丸出しの場面だが、いまアメリカではファーストネームで呼び合うのが当たり前のように見えるのと比較すると、30年代にはそうではなかったと知ることになる。
 こういうアメリカ社会の変化、日本とそんなに違うわけじゃないということなどを知ることも大衆小説を読む愉しみのひとつなのだ。
 もうひとつ。すでに60才のサムの一人娘が20代前半と思われること(実年齢は書いてなかったと思うが)、40近くなってから作った子なのだろう。最近日本では男女とも結婚年齢が高くなった。欧米では男の結婚年齢はもともと日本よりも高かったと思われる。そして女性はある年齢を越すと未婚のまま終えるケースが多かった。欧米の小説には未婚の老婦人がやたらと出てくる。ミス・マープルもそうだし、そういう存在はありふれていた。日本も最近そうなってきたようである。
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