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井上通泰「村の墓」(民主文学14年7月号)

 いろいろな意味で興味深かった。はじめのうち、例によって身辺雑記かと思って気の進まぬままに読みはじめた。ところが冒頭で主人公の妻の歯切れの良い言葉で、あれ? と思わせられ、そのあと80才の継母ハルと主人公との、何気ない買い物風景なのだが、その会話の素っ気なさぶりになんとなく惹かれて読まされてしまう。
 複雑な家族構成なのだ。それをここに書いても仕方ないので書かない。
 ここで作者が提起するのは共同体の問題なのである。
 封建制下の共同体があった。資本主義がそれを破壊した。ところが共産主義が何となく思い描いているのは、新たなコミュニティ、すなわち共同体である。
 必要によって生まれてきた共同体、それを利用した支配の構図、人々が自分自身をがんじがらめに縛りあげた共同体の道徳、その息詰まる世界から解放された個人主義の時代、では共同体はもはや必要ないのか、それとも必要な何かがあるのか、あるとしたら、それは何で、どこにあるのか。
 こういう問いかけが、理屈ではなく、描かれた風景の中から立ち上がってくるのである。
 主人公は定年して8年となっているから、継母と10才くらいしか違わない。継母の現況は主人公たち夫婦にとっても目の前の課題である。ということ以外にさまざまな要素が作品を複雑にしている。
 少年時代からの、継母との感情的確執、それとは別に、育った村への愛着、そしていまとなっては継母とのあいだの小さな問題は気に留めなくなっている主人公と、彼女から受けた仕打ちを絶対に許せないと考え続けている妻、彼女にとって夫の継母への態度は卑屈なものに見えてしまうのだ。
 最後の、夫に宛てた妻の手紙は強烈である。ここで共同体問題が、夫のノスタルジーを打ち破る形で提起される。それは読者に宛てた提起なのだ。
 これとは別にまた、主人公の旅にも惹かれた。主人公は夏の二カ月近く北海道を一人旅する。車旅行である。フェリーで北海道に渡り、あちらの道の駅で二泊、こちらのキャンプ場でも二泊、次はこのキャンプ場で五泊、という具合に、放浪していく。たぶんキャンピングカーなのであろう。なるほど車が一台あって、時間が無限にあれば、あまり金を掛けなくてもそういう旅行の形もできるのだ。40年間一生懸命働いてきた人にはそういう贅沢が許されてしかるべきだろう。
 だが、主人公にとってこの旅は、いましておかねばできなくなるだろうことが予感される旅である。そしてこの旅のなかで彼は育ってきた村について、共同体について、妻について、思いめぐらしていくことになる。
 夫婦とは最初の共同体であり、そして最後の共同体であろう。
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