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「天皇」という言葉について

 これは欺瞞に満ちた言葉である。歴史の移るにつれてころころと意味を変えてきた言葉だ。この曖昧さを利用して、天皇主義者たちが天皇教を演出する。
 物事を不必要にややこしくしないために、普段はぼくもこの言葉を使うが、ときにはどうしても使いたくない気分のときもある。
 そういうときには意味の限定された、はっきりした言葉に置き換える。
 明治維新から、第二次世界大戦の敗戦まで、天皇は日本国王であった。この王権は三代続いて敗戦によって崩壊した。これは歴史的事実である。だからその時期の天皇をぼくは日本王と呼ぶ。
 では敗戦後の天皇を何と呼べばいいのか。これについては意見の対立がある。天皇はいまでも日本王なのだと主張する人々がいる。すなわちイギリス同様立憲王国なのだと。こういう人々が天皇の元首化を試みる。大統領も元首だろうから、元首が国王とは決まっていないが、世襲の元首は即ち国王である。共和制のもとでは元首は選挙によって選ばれねばならない。
 国王が政治に関与しなければ国王でなくなるかというとそうはいかない。イギリスはいまでも王国である。
 だから憲法の規定だけでは、天皇が王なのかそうでないのかははっきりしない。したがってそれを決める権利は個々人にある。
 ぼくは天皇に王であってほしくないので、憲法に従って、敗戦後の天皇を日本象徴と呼ぶ。

 ややこしいようだが、物事をはっきりさせるために必要なことである。神武以来2千数百年天皇制が続いてきたという神話は、天皇というあいまい極まりない言葉を使うことによって初めて成り立っているフィクションなのだから。
 日本の王権は、天皇氏から、北条、足利、徳川と変遷してきた。これが歴史の事実である。
 なお最近の研究によると、徳川政権が自らを幕府と呼んだことは一度もなく、これは勤皇派が徳川政権を馬鹿にして呼んだことが広まったのだそうだ。政権の側では自らを公方、もしくは朝廷と呼んでいた。朝日のいつぞやの記事である。読み捨てにしてしまったので出典を明らかにできないのが遺憾だが、たぶん事実だろう。
 司馬遼太郎は、江戸期の日本人庶民は天皇の存在など知らなかった、知っていても、神主の親玉みたいなものだろう、くらいの認識だったと言っている。これも信憑性の高い説だと感じる。

 外交を必要としなかったこの島国においては、元首というものは必要なかった。実質的に政権を掌握してさえいれば、天皇と呼ばれようと将軍と呼ばれようと執権と呼ばれようと、そんなことはどうでもよかったのだ。たまたま最も支配に便利な名称を選んだだけのことである。ところが開国と同時にそうはいかなくなり、あいまいに済ましてきたところを勤皇派に突かれたのだ。

 なお念のため、天皇を日本象徴と呼んだからといって、象徴天皇制に賛成しているわけではない。憲法のこの条項はいつか廃止せねばならないと思っているが、いま現に憲法がそうなっているので呼ぶだけの話である。
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